唯二無三のこの人を ・ 2
眠っているかに見えた沖田の目が、その時ぱちりと開いた。傍らで着物を畳んでいた世話係の女が、その唐突さに驚いて、小さく声を上げかける。剣士とか武士というのはこんなものだろうか。眠っていても眠っていないようなものなのか、こんなに弱って病床にいても。
「喉が痛い。すみませんが、隣町の甘味屋さんとこへ行って、私の好きな飴を二袋貰ってきてはもらえませんか。その一袋は貴方にあげるから」
こんなふうにして、自分の用のついでに、沖田は女に土産を用意することがある。優しい人だと女は沖田を思い、たまの無茶も聞いてくれる。女は着物を畳み終え、彼の我が侭をきくために外へと出て行き、沖田はその家に一人になった。
二十も息を数えた頃、縁側へと続く障子がすう、と開く。沖田はだるそうに身を起こし、着物の襟を整えて、ちらりとだけ、枕元の刀掛けへと視線をやってからうっすらと笑う。
「存外、貴方は読み易い。今日辺りくると思ってたんです」
部屋へと入って来た斉藤は、刀を腰から抜いて脇に置き、堅苦しく正座などして沖田を見据えた。
「…今日は、俺一人だ。見舞い、というか」
「ええ、もう長くは無いですよ」
「……」
会話になどなっていないやり取り、斉藤が言葉を選ぼうとする間など待たずに、沖田はいきなり答えを呟いたのだ。青い顔色、いっそもう紫がかった唇、紙よりも白く、薄い花弁のように透き通る肌をして。
「いつ、とは細かく、私にも判らないけど、次の春はきっと見れないなぁ…。来春にね…あの人が、散る花を見ながら私を思い出して泣く姿が、もう見えてきちゃうんです。…堪らないな、ほんと」
布団に身を起こしているのさえ、きっともう辛いのだろう、片手を敷布の上について、体を斜めに傾げて、彼は、こん…と小さく咳をついた。同時に喉で、胸で、ぜぃ…と嫌な風の音が鳴る。
肺病の胸の音を、手の中に捕らえた蝶がパタパタともがくような音だと、誰がいったい言ったのだろう。囚われているのは蝶などではなく、病に捕まったその人間そのもので、まるでそれを哀れな蝶になぞらえるような、無神経な言いようだと思う。
もがいてもがいて、翅の千切れた青い蝶。漢であろうと、武士であろうと剣士であろうと、手にした剣は何の役にも立たず、その剣すらもう、まともには振れないのかもしれなくて。そんな死に様を、笑って受け入れられる、そのことが信じがたく。
それでも沖田はうっすら笑う。元気だったころの底抜けの笑いの名残を、あちこちに纏い付けた哀しい笑みだった。
「だからね、斉藤さん。それでもきっとあの人は泣くでしょうけど、その時に少しでも辛くないように、貴方が土方さんを支えてあげてください」
「…嫌じゃないのか? 死ぬのが」
「嫌ですとも。だって、私は病で死ぬ為に、あの人たちの傍についてきた訳じゃない」
言い切る言葉の中にある激しいものに、斉藤は気付いて無意識に唇を噛んだ。まるで歌を詠むように、過去へと流れる何かを詠むように、沖田は言う。
近藤さんが好きですよ。
土方さんのことも好きですよ。
山南さんのことだって、好きだった。
組にいるみんなの事が好きです。
斉藤さん、貴方も好きだ。
特に貴方は私と同じに、土方さんを想っててくれるから。
死んでいったって、私の想いの一つが、貴方の心に溶けて、
一緒にあの人を想い続けるんだって、少なくともそう想って逝けます。
ありがとう。
殆ど何も言えずに、斉藤は沖田の言葉を聞いて、心の整理も出来ないままで、それでも何か言いたくてぽつりと言った。
「でも、あんたは俺の恋敵だ」
「…カタキ? 敵じゃないですよ。嫌だなぁ。死んだら仇も敵も関係ないじゃありませんか。今だってあの人を共に守る、二本の刀みたいなもんでしょう。私の方はもう、刃毀れだらけでぼろぼろだけど」
コン、コン…と咳が続く。その咳が徐々に荒くなって、喉に何かが絡むような音を立て、斉藤の見ている前で、沖田は少量の血を吐いた。ぜぇ、ひゅう…と胸が苦しげな音を立てる。長いことかかって息を沈め、血の付いた口で彼は言う。
「私は…あの人と寝たりとか、そういう事は、してません。気にしてました?しているのは、貴方も知ってる『まじない』だけ。そもそもそんな、身を裂かれるようなこと…命を縮める、ばかりだしね…」
言い当てられた気がして、斉藤が怯むと、沖田はいっそう楽しげに笑う。
「やぁ、嬉しいな。年も近いのに、貴方ばかり大人びてて、土方さんは内心で私と貴方を比べてる。その斉藤さんにそんな顔させたなんて、ここしばらくで一番胸がすきました」
そろそろ帰って。と沖田は外を気にしつつ言う。外へと遣いに出した女が、もうじき戻ってくるからと。まだ気になることがあるんなら、また来て下さい、待ってます。私に息のある間にね。
そうして斉藤は言われるままに帰路につく。部屋に残った沖田は、唇の血を手ぬぐいで拭きながら、くすりと笑って斉藤の顔を思い浮かべる。
恋敵…。
自分が土方さんに恋していると、
そんな当たり前みたいに言ってみせて。
本当に、存外貴方は読み易い。
添っていってください。
きっと命ある限り何処までも。
貴方の好きなあの人は、
一人の堪えられる人じゃないから。
女が部屋に戻った時、何事もなかったように沖田は目を閉じて、いつもよりも少しは血色の良い顔で、すやすやと眠るふりをしているのだった。
*** *** ***
「どこへ行ってた」
屯所に戻った途端、待ち構えていたようにそう言われ、斉藤こそその問いを待ち構えていたように、平気で答えた。
「予備の脇差を研ぎに出していたから、それを取りに」
「…どれが予備だ。脇差は今、一本しか持ってねぇだろう」
「まだ仕上がっていなかった」
逃げるように斉藤が廊下を歩く後ろを、土方は何か言いたげに付いて歩く。人目につくそんなことをするのも珍しいが、表廊下を曲がり、あまり人通りのないところまで来ると、土方は斉藤の袖を掴んで引き止めた。
「沖田のところだろう」
「……違う…」
「違わねぇ。匂いがする」
犬のようなことをいう、と斉藤は思いかけ、それから、はたと気付いた。これは明らかに自分の手落ちだ。沖田の部屋には薬の匂いがしていて、それは着物に染み付いてしまっているだろう。気付かれて当たり前だ。
「何しに行ったんだ」
「見舞いだ」
「やっぱり行ったんだな。で、どうだった。臥せってたか」
さらに強く袖を引かれ、すぐ傍の部屋へと斉藤を引き入れ、土方は青い顔をして問い質した。
「顔色が悪かっただろう。起き上がれていたか。声は出てたか。熱や咳は? 血を吐いたりは? あいつは俺がいくと虚勢を張る。お前を相手なら、年も近いしどうかと思ってたんだ、そのうち頼もうとも考えてた」
「…咳は、一度少し。血は…別に。起き上がっていたし、笑ってもいた」
「そ、そうか。よかった」
柱へと背中を寄り掛けて、土方は深く安堵の息を吐く。沖田が血を吐いただの、咳も酷かっただの、そんなことを教えたいとは思わずに、それでも嫉妬の想いがもたげて、斉藤は彼の顔を凝視する。
相手の命が短かろうが、あとを自分に託してくれようが、嫉妬とそれとは別物なのだ。
「土方さん」
「ん、なんだ。…にしても、よくあいつを見てきてくれたな、斉藤、多忙の俺が暫く行けなくなるから、そうと判って行ったんだろう。恩にきる」
「…なら褒美を、今夜にでも」
言われた途端、弾かれたように顔を上げ、土方は怒ったように目を吊り上げた、のだが、その首筋が薄く赤らんだのを、斉藤は見逃しはしなかった。多忙になる彼が、夜半だけでも体が空くのは、きっと今夜くらいだろう。
そのつもりだった、などと言えず、土方はほんの微かに頷いたのだった。
続
続きをまったく予想せずに書くのは、ちょっと怖いことです。思ったとおりへタレ文全開。ゴメンナサイ。面白くない内容だよね。せめて(せめて?)ラストは斉土エッチいきますー。それで勘弁…してもらえそうもない。へこ。
2008/5/28
