唯二無三のこの人を ・ 3
いつもなら、部屋の障子を閉める間も待たないような早さで掴まえられる。そしていつもなら、気付いた時にはもう着物の前なぞ開かれていて、いつもなら知らぬうちに喘いでいるものを。
今夜の斉藤は、常とは違っていた。土方が先に部屋に入り、それから斉藤が入り、すでに布団の用意された前で、二人して妙な間を開けて立ち止まる。
振り向いた自分を、斉藤がじっと動かずに見つめているから、土方は居心地悪そうに小さく肩を揺らした。
「なんだ、お前。そう大して欲しくねえんじゃねぇのか?」
「欲しい」
「なら、いつもみたいにすりゃあ…」
「そうして欲しいのか?」
そうは言ってねぇだろう、と怒ったような顔で言う土方を、斉藤はなおもじっと見つめている。
疲れてはいるのだろうが、どこも体に病など巣食っていない健やかな体だ。それは斉藤も同じで、気の狂うほど目の前の男を欲しがりながら、病んだようなその心以外、どこにも病など持たぬ。
「桜…」
「…桜?」
「桜が咲くまで、あとどれくらいだろう」
いぶかしむ土方の息が、微かにもう乱れている。美しい眉を寄せて、土方は自分から斉藤の傍に一歩寄り、彼の首に腕を掛けながら聞いてくる。
「桜が何だ。総司のところで何の話をしたんだ? 桜なんぞ、あと半年もいかねぇと咲かないだろう。まだずっと先のことだ」
ずっと先、と土方は言うが、それがもし、沖田の命の刻限だとすれば、たった半年先にはもう、あいつは…と、涙を浮かべるのだろうに。
斉藤は土方の細い顎を掴まえ、貪るように唇を吸いながら腰を抱いた。待ち兼ねた口づけに、土方は自分からも斉藤を求め、斉藤の体を引くようにして敷かれた布団へと導いた。
口吸いは乱暴なくらい濃厚に、着物を剥がす手はいつも通りに乱暴で非道いほどだ。だけれど、沖田の事を脳裏から追い出してくれるような、その激しさと荒々しさが、土方を救っているのだとは、斉藤は知らない。
沖田のことがあって、心を弱らせていた土方だからこそ、斉藤のものになり得たのだと、そんなことも知らない。
その夜の性交は、いつもより随分と長く続いた。嗄れかけた声で、なんとか無理に言葉をつむぎ、横に体を伸べている斉藤へ土方は言うのだ。
「お前、桜が見たいのか?」
「俺じゃぁない…」
言われると、ふ…と土方は弱々しく笑う。
「じゃあ、やっぱり総司が言ったんだろう。お前は存外読み易い」
あぁ、その言い方は沖田とそっくりだ。土方の言い方を沖田が追うのか、沖田のそれを土方が無意識に真似るのか。体が痛そうに眉をしかめながら、土方は斉藤の横で寝返りを打ち、そっと軽く彼の肩に乱れた髪の頭を寄せる。
「桜か。何がいいんだ、あんなもん。まだまだきれいで、まだ咲いていられそうなものを、春まだ浅いうちに、さっさと散ってしまう花だろう。その散り際がいい、だとか言う阿保もいるが、俺は…嫌いだ。足掻いてんじゃねぇかってくらい、生き汚ぇって思われるくらい、生きてて見ろってんだ」
ほろほろと零れた言葉は、明らかに沖田のことを言っていた。ちらりと見た彼の切れ長の瞳が、仄かに潤んでいる。
「花の、ことだ」
「…あぁ」
静かに肯定してやりながら、斉藤はまた土方の体を抱き寄せる。自分よりも少し華奢な体を、出来る限り包むように抱いて、彼の肩に目元を埋めた。不思議と、熱いものが一つ、零れ落ちてきたのを、隠し切れたかどうか判らない。
「俺にはあんただけだ。唯一無二だ。唯二無三じゃあ、ない」
堪え切れなかった涙は、沖田のためのものではなかった。もしも自分が彼だったら、と、そう思ったら辛くて堪えられなかった。置いて逝く痛みは、様々な色に染められて、その色の一つずつが、自分を苛め抜くだろうと思えた。
死ねばもう、姿を見られない。
死ねばもう、声を聞けない。
死ねばもう、その息遣いも感じられなくなり、
死ねばもう、抱き寄せることも抱き締めることもできない。
死ねばもう、こうして朝を共に迎えられず、
死ねばもう、自分は、この人にとって過去になっていく。
死ねばもう、何からも守れもしない。
死ねばもう、想う心すら朽ちて…
あぁ、そうか、だからか。
斉藤は急に悟った。沖田の笑い顔と共に、あの言葉が耳に聞こえた。
死んでいったって、私の想いの一つが、貴方の心に溶けて、
一緒にあの人を想い続けるんだって…。
つまりは、託すと、そう言う意味で言ったのか。
知らぬ間に、託されたのか、俺は。
くすり、と斉藤は静かに笑い、こっそり隠して笑いながら、土方の髪を撫でた。
自分一人の気持ちで愛しても、もう気狂い同然の感情だと思うのに、その上、沖田の分もこの人を愛せと言うか。それはもう、どの一線も越えるほどだろう。他に何か好きなもののことなんか、全部全部、心の外に捨て去って、全身全霊かけて愛せと、そう言うか。
死ぬまで愛しても足りぬほど、死んでも魂で付き従い、ずっと愛せとそう言うか。
できませんか? と、笑って言う沖田の顔が見える。
して見せよう。と、皮肉な笑みで言う自分の声が聞こえる。
何しろ唯一無二だ。そんなにこの人を想うのは俺だけだ。
「俺だけ、だ…」
気付かずにその語尾が声になっている。と、不意に土方の肩がゆらゆらと揺れた。見れば可笑しそうに彼は笑っているのだ。
いやなに、と土方は言った。
いやなに、前にな、総司に言われた言葉を思い出した。
俺みたいな捻くれものの共を、嫌がりもせずにしてくれる人は
きっとあの人だけなんだから、とな。
斉藤、お前のことだろう、きっと。
だから感謝して、ずっと傍にいて貰える様に、
大事にしなきゃあ、駄目ですよ。
私はそんな捻くれたあなたの事なんか、
この先ずっとなんて、見守っていけやしないんだから。
土方の瞳から涙が零れるのをなんぞ、斉藤は見なかった。見ない振りをした。判っているのだ、この人は。沖田の命がもう、燃え尽きることも。
遠くから、沖田の苦しい咳が聞こえる気がする。血を吐く痛みが響く気がする。死んだりせずに、傍にいて、ずっと見守って居たかったのだと、土方を想う心の苦しみは、この夜を境に、すこぅし、薄れたのかもしれなかった。
斉藤が、彼の想いのひとつを、確かに託されてくれたのだから。
桜の季節はまだ遠い。
近いのは、怖いほどに真っ赤な、真っ赤な紅葉の季節だ。誰かの家の塀の内から突き出たものだったって、構うものか。それの特にきれいなひと枝を、見舞いにもって行きたいと、斉藤は思うのだった。
それくらいなら、まだ居るだろう。
なぁ、居てくれるだろう。
同胞よ。
終
あれ、この一話、なんか蛇足的な? いやその。ごめなさー。自分の気持ちを恋敵?に託す沖田を、書いたつもりだったんですけど、失敗しましたよ、思い切り。
焼きもち焼きの斉藤さんは、沖田の事を段々嫌いになっていきそうだったけど、沖田の心のうちをしり、同胞だ、この愛しい人の二本刀なのだと、そう思うようになったようです!
彼、た、単純で、すか? でもまぁ、可愛いだろう! そう思っておく斉藤ファンです。勿論、土方さんのファンでもありますさー!
08/09/17