やさしい男 前
息が止まるかと思った。
背中に殺気を感じて、振り向きざま斬り捨てようとした彼の視野にあったのは、あまりに見慣れた島田の背中だったのだ。ほんの一瞬、判断が遅ければ、刀に島田の血がべっとりと付いていたことになる。
「危ねぇだろうが…っ」
それでも声を押さえて土方は言って、振り向いた島田の困惑顔を睨み据えた。島田はその大きな両の手に、間者二人の頭をそれぞれ掴んで半ば持ち上げてしまっている。
「い、いけなかったですか」
二人の男をすぐそばの草むらに放り出し、島田は土方の前に膝をついて、叱られた子犬のような顔をした。
「この二人が貴方に斬りかかるのを見たら、もう必死で。俺…」
「いけなくはないが。でも、いきなり飛び出すのは危険だろうと言っただけだ。危うくお前を斬るところだった」
ぶるりと身を震わせて、土方は島田から目を逸らす。自分のこの刀が島田を? 想像したくもない。どんな形でも、この男が自分の前からいなくなるなんて。
そんなふうに思ってしまって、もう土方は島田の顔を真っ直ぐには見られない。抜き身のままだった刀を、あざやかな仕草で鞘におさめ、ただじっと横顔をさらしている土方を、島田はいつまでもじっと見つめていた。
「…なんで、そんなに見てるんだ」
横を向いたままで言う土方に、島田は微かに笑って言う。
「副長こそ、横を向いたままなのに、よく俺が見ているのが判りますね」
柔らかな笑みを含んだ言葉を聞けば、島田が自分を見つめながら微笑んでいるのも判る。知らずに少し頬を染めて、それでも彼は新選組の副長として、監察の島田に指示を出した。
「この二人、どこの出だか判るか。確かつい先だっての募集で来たものだったと思うが、何処かの手のものか」
「…長州、でしょう。まだ確証はありませんが。同じ募集で来たものの中から、すでに一人、あちらからの間者として斬ってますし」
それを調査の遅れとして咎めるでもなく、土方は二人の男を上から覗き込み、死んでいるのか、と短く問う。
「いえ、ちょっと加減が出来なくて、暫くは目が覚めないと思いますが、起きたらすぐに調べられます。縛っておきますか」
慣れたやり取りに、慣れた仕草で、島田は二人の男の刀を傍から遠ざけ、腕を背中で縛りあげた。
ちょっとした用で、島田とそれからこの二人を共に、公用に出た帰り道だったから、特に急いで帰る事もないし、逆にこの二人を背負った島田と一緒に、まだ明るい町中を歩くのは目立ち過ぎる。
「少し、ここで時間を潰す。人を呼ぶほどの事でもないし、あと一刻もすれば日も暮れて人通りも少なくなるから、それから戻れば問題はない」
「ここでですか?」
「そうだ」
言葉どおりに、その道端のしげみの中で、土方と島田と、意識の無い間者たちとで、短くは無い時間を過ごすことになる。土方は傍らの石に腰を下ろし、島田は土方と間者達の間の地面に片膝をついて屈んだ。
そうして暫し、時間が経つと、また土方がさっきと同じようなことを言う。
「そんなに見て、飽きないのか、この顔に」
「飽きません」
「…呆れるな…」
「どうしてです? 何時間でも見ていられますよ、俺は」
「止せ。こっちが気になってかなわん」
ぴしゃりと言われると、島田はしょ気た顔で黙り込む。
「デカいなりして、犬みたいに萎れるな。…褒美を…やってもいい」
視線を逸らして土方は言うのだ。彼の黒い瞳が濡れたように潤んでいるのを、実は島田は少し前から気付いていた。どきどきしながら、島田はもう一度、そっと尋ねるのだ。
「ここで…ですか…?」
「…そうだ」
木立が茂り、背の高い草の生えたここでなら、地面に横たわってしまえば、道からは見えない。それにここは半ば山へ入ったような場所で、さっきから誰一人通るものはなかった。
ただし、今、彼らは二人だけではない。すぐ傍の草むらに、二人の隊士が気絶させられて横たわっている。それなのに、確かに土方は「そうだ」と言ったのだ。
欲しいと、思って下さるのですね。
とは、無論、島田は言わない。そうは言わずに手を伸ばし、自分の方へと土方を引き寄せた。彼に比べれば、折れそうに細い体が無抵抗に倒れ込んできて、腕の中で島田を見る。
「ただし手短に」
そんな事をいう無体な唇を、島田は吸った。身を横にしなければ、道から見えてしまうというのに、土方の体を横にさえさせず、草に座ったそのままの恰好で、着物の襟を肩から落とした。
大事にしたいと思っているのに、いざ手を触れれば、欲望が止まらない。緑濃い初夏の草の中で、その白い肌が、ぎくりとするほどに白く美しく、島田の平静さを簡単に裂いてしまう。
肌をさらすこの人を前にして、理性的でいよと言うものが居れば、明らかに言った方が間違っているのだ。
土方を遠くから見ればその美しい姿形が、傍に寄れば甘い息が、手を伸ばして着物を剥げば、白い花のような肌が島田を誘惑し尽くしてくる。それを「褒美」をくれるなどと言われては、もう。
「しま…だ…ッ。んぅ…!」
花を手折るように抱き寄せて、花びらをむしるように着物を剥ぎ、息付く間もなく裸にさせて、その花芯を口で愛する。
袴の帯を緩め、それを膝下まで引き下ろし…。唇の間に挟んで吸い、愛しむ様に先端を舐めてやれば、押さえつけた土方の脚が、もがきたがってガクガクと揺れた。
土方は体を屈めて、島田の頭を抱き締めるようにして、強すぎる快楽に堪えている。声は、吐息に少しばかり喘ぎが混じったものだけを、喉の奥から幾度も零す。
「副長…副長……土方…さん…っ」
口を離せば今度は、熱い声で、何度も島田が自分を呼ぶ。
いつもいつも島田に見つめられて、欲しくて欲しくて堪らない気持ちを、その視線に込められて、いつの間にか土方は、彼無しの自分を考えられなくなっていたのだった。
続
07/05/09(10/01/29再UP)
