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水車小屋 2
らしくない…。
それはおめぇが俺を知らねぇからだ。
…腹が立つ。
何が?
あんたのこと、知らないばかりで、そういう自分が嫌だ。
しょうがねぇだろう、幼馴染とかじゃねぇんだし。
それでも嫌だ。
昨夜の他愛の無いやりとりを、斉藤は一人で横になったまま思い出していた。あのあと、薬草を両腕に抱えて小屋に持ち込んで、生のままそれを磨り潰し、そこへ沸騰した湯を注いで混ぜ…。そうやって手際よく薬を作る土方の姿を見ていての会話。
ガキかてめぇ。と、苦笑して土方は言い、むくれたように口を引き結んでいる斉藤に、ずっと声を小さくして彼は呟いた。
…他のやつの知らねぇ俺のこと、色々知ってやがるくせに。
それから、苦くて飲みにくい薬を、手ずから飲ませてくれ、すぐ隣に横になって目を閉じた彼に、斉藤は当たり前のように片手を伸ばすのだが、痛みで体が動かなくて、やっと届いたのは土方の着物の袖だった。
ぐい、と引っ張ると、土方の体が少し、自分の体が少し床の上でずれて、もっとちゃんと届くようになる。
「土方さん…」
「……帰る」
「…っ。駄目だ、帰らないでくれ」
むくりと起き上がった土方は、薄暗がりで怒ったような顔して斉藤を見た。やんわりと斉藤の手を振り払い、さっきの薬の残りを、斉藤の手が届く場所に置き、何処からか調達した白い握り飯を指差す。
「このままこれ食うんじゃねぇぞ、こっちの小鍋に湯を入れて沸かして、この飯を放り込んで柔らかくしてからだ。それを食ったらこの薬を」
「帰らないでくれ!」
「お前は俺がいると馬鹿な無茶をする。だから今は帰る。明日の夕方に様子を見に来るが、その時怪我を悪化させてたら、もう二度と顔見せねぇからな」
「土方さん…っ」
がらにもなく声を大きくして斉藤が名を呼んだのに、土方は怒った顔したまま、泊まっていくはずの約束を反故にしていってしまった。
そうしてそれから半日、言われたようにして飯を食い、薬を飲み、安静にして、そうしながらあの…綺麗な顔を思い出し、白い体のことを考え、それだけで時間をやり過ごす斉藤だった。
「こんな怪我なんか、二度としない」
思わず斉藤は誰もいない小屋の中で、強くそう言った。したらこんなふうに、あの人に会えなくなって、抱けなくなるんなら、絶対二度と、こんな愚かな失敗は…。
思いながら、ゆっくりと体を起こすと、昨日と比べて随分と楽だ。何種類かの薬草を潰して練り合わせた薬が、どんなものか知らなかったが、こんなにも効くものだとは驚きだ。
それでも痛みに呻きつつ、壁伝いに歩いて、昨夜土方が探っていた竈の傍を漁ると、干した芋やら米やらが貯えられてある。芋は泥を適当に落とし、少しは細かくして、それから米はそのままで、乱暴に湯に放り込んで煮る。
空腹を癒したあとで、土方特製の薬をまた飲んだ。風に揺れる草の音が、少し変わったように思い、閉じた窓を押し上げて外を見ると、遠くから土方が、目立たない町人風の着物で歩いてくるのが見えた。頭に布を巻き、手には大きな布の包みを持っている。
「起き上がってていいって、誰が言った、斉藤…っ」
入ってくるなりそうやって怒って、持っていた包みを放り出して、斉藤の体を支えてくれる。頭にかぶっていた布が足元に落ちた。
「あんた、髪…」
「髪ぃ? 髪がどうした。さっさと横になれ!」
「髪、結ってないんだな…」
見惚れた。こういうふうな髪をしているのを見たのは、二度目だった。結い上げず、ただ首の横で緩く結んでいるだけなのだが、それがまるで湯上りのようで色っぽい。髪も、それがまとわりつく首筋も、あまりに綺麗で。
こういうのを前に見たのは、一度、無理に抱いた時だ。あんまり激しく暴れる土方の髪は、すっかり乱れてしまって、もうほどいてしまうしかないと、こんなふうに軽く結んでいたのだ。あの時の艶っぽさを思い出して、斉藤はもうじっとしてはいられなかった。
「…土方さん」
「や…っ、何、しやが…っ、ん…!」
「…う…ッ」
ガリ、と唇を強く噛まれ、血の味が微かに口に広がった。強く抗われ、まだ本調子じゃないせいもあって、簡単に逃げられてしまう。
「ケダモノかお前!」
「…そうらしい。でも、あんたが来るまでに、あんたをこの腕で抱けるように、そう思うから体の治りも早いんだ」
「じ、自慢げに言うな…っ。まぁ、確かに薬も食べ物も、ちゃんととってたようだけどな。もっと滋養のとれるものを持ってきた。そこまで元気なら看病なんざ必要ないだろう。手当てが済んだら俺はすぐ屯所へ戻る」
「駄目だ、帰さない」
強く、そう言った言葉を聞いて、土方は何故か、かぁ、と顔が熱くなるのを感じた。いつかの…そうだ、多分、肌を重ね始めたころも、こういうやり取りをした気がする。屯所へ戻ると言った。色々とやることは沢山あって、こんなところに来ている暇なぞもともと無いのだし、そうするべきだと判っている。
判っているが、こんな場合でもなければ、邪魔が入ったりするのを気にしないで、二人傍にいられないのも事実なのだ。
「半刻だけ、いてやる」
「たった半刻じゃぁ…」
あんたを抱くのに足りない、と続けようとした言葉を飲み込んで、大人しく傍から離れて囲炉裏の前に座る。土方は持ってきた包みを広げ、干し魚やら米やら野菜、それ以外にも包帯や薬などを取り出した。
「今、飯を食ったばかりか。何を食った?」
「芋と米」
「薬は」
「その後に飲んで、昨日作ってもらったのがなくなった」
「ん。じゃあまず着替えろ。俺のだが、襦袢と、それに包帯だけは替えたほうがいい。傷が酷くなったのも、悪い風が入ったからだろう」
ばさ、と広げられた真っ白な襦袢に、また眩暈のような性欲。土方が常から地肌に身に付けている肌着だ。そういう気を起こすなと言う方が無理だ。土方の白い顔やら、細い指やら見ている斉藤だったが、土方は心底から、心配そうにして斉藤の怪我のことを気にかける。
着物を脱ぐと、土方はじろじろと斉藤の左の腕を眺めた。彼が自分で巻きつけた包帯に手を伸ばし、間近に寄って、丁寧にほどいてくれながら、咎めるように、そして伝授するように言い続ける。
「巻き方は悪くねぇが、結び目が傷の上にかかってるんじゃ台無しだ。こう、こうして、こっち側にこの結び方がいいんだ。覚えとけ、ほどけにくいし、締め付けねぇ。刀傷の手当てに向いてるんだ、このやり方が。…少し、動くな」
かた、かた、と静かな水車の音が小屋の中に響いている。
包帯を解いて、むき出しにした傷を、湯で濡らした布で拭いてくれ、塗り薬を塗ってくれる土方。指先の感触が、一度は腐ってしまった刀傷の上を、行ったり来たりする。ふる、と斉藤が震えると、ちょっと手を止めて、土方は彼の体を気遣った。
「痛むか。明日にでもなりゃ、もう少し痛みも引いてくる。熱はもう無いみたいだな。…よかった」
「痛みは、そうでもない。…ただ」
ただ、こんなに傍にいられて、そんなふうにされて、今すぐあんたを抱きたくて堪らなくなるだけだ。
途切れた言葉の、そういうふうな先を飲み込んで、斉藤は大人しく包帯を巻かれていた。新選組副長が手ずから、こんなふうに親身に手当てしてくれるなぞ、他の隊士には教えられない特別さ、贅沢さだということも分かっている。しかもこんな、屯所から離れた場所に、一人で人目を忍んできてくれるのだから…。
「自惚れそうだ」
「ふん…好きにしろ」
「なら、口だけ吸わせてくれ」
「…好きに」
目線をあげてそう言った途端に、もう唇は塞がれていた。抱かれたい気持ちが、ないわけはない。どれだけの間触れずにいたと思っている。斉藤の怪我はどんどん治ってきている、そういう安堵の影には、もう頭をもたげた欲望が、ぐるぐると渦を巻いていた。
「欲しい、あんたが…」
「馬鹿、駄目だ。傷に障る」
「平気だ、もう治った」
治ったはずなんかねぇだろう。そう言わねばならない口は、小刻みに塞がれる。口吸いだけならいいだろう。互いに触れるだけならば。無茶をしなけりゃ大丈夫かもしれない。こんなに治っているのだから、きっと…。
あぁ、駄目だ。とまらねぇ…。欲しくて、欲しくて。
あんたが。
お前が。
ほしい。
水車の音に混じる水音は、もう、外を流れる川の音だけではなくなっていた。もっと、温度の高いような、そういう音が二人の重ねた唇から、零れ続けているのだった。
続
あんまり進展なくてすみません。斉土「水車小屋 2」お届けです。っつか、水車小屋である必要はもう、なさそうな…。この続きがエロス満開であることのほうが、遥かに重要ですねぇ。笑。そんな二人でゴメンナサイ。
斉藤の怪我が悪化するか否かは、土方さんの従順さにかかってますので、頑張ってね!
09/03/06
