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水車小屋 1
あぁ、この小屋には水の音が絶えず響いている。水音は何かを癒すようで、それでいて、傷に染みてゆくようで…。自分が痛みを感じているのかどうか、もう、彼にはよく判らなかった。
ただ、眠るたびに夢を見るのだ。あの人の夢を…。
** * **** * **
月夜、土方は気掛かりなことがあって寝付かれずに居た。閉めた障子の向こうから、淡い銀色の光が染み入ってくる。床に入って目を閉じたり、眠れずに目を開いたり。そうして繰り返しているうちに、何故だか苛立って、独り言を言いながら起き上がる。
「何してやがるんだ、あいつ…」
斉藤から、文が来ないのだ。今、屯所から離れて、別の任に付かせているのだが、今までずっと、何日かに一度文が来ていたものを、ここ七日間というもの、その文がぱたりと途絶えてしまっている。
斉藤に限って、滅多なことはないと思うが、そう思うのもただの願望。心配事を消したいだけの、ただの甘えなのかも知れぬ。
起き上がって床を抜け出し、土方はからりと障子を開けた。冬枯れた梅の枝の向こうに、満月がひっそりと浮かんでいる。前に斉藤と会ったのは、この任に付かせる直前で、その時も確か満月だったのだ。
土方さん、と斉藤は言った。二人の時だけ、副長と呼ばずにそう呼ぶ彼の、まだ少し緊張した声が土方は好きだ。
『土方さん、俺にもしも何かあったら』
『何かってな何だ。曖昧なこと言うんじゃねぇよ』
不吉なことを言われるのが嫌で、その声を遮ったつもりなのに、ああみえて融通の利かない斉藤は、正しく言葉を選んで続きを言った。
『動けないほどの傷を負ったり、または死』
『ん』
ほんとに気の利かねぇヤツだ。そんなヤツの言葉を封じるには、こうするしかないだろう、と、土方は斉藤の唇を塞ぐ。そうすればそのまま押し倒されて、言おうとしていた先の言葉なんぞ、縁側の先、庭の隅まで転がっていくのだ。
それから熱いほどの時間を過ごして、その後で部屋を出て行く時に、斉藤は笑って言っていた。
『白の文を、届けるようにしておく』
白の文。まるで句にでも使えそうな、端正な言い回しだと感心して、それから土方は気付く。それはさっき封じた言葉の先に、用意されていたものだろう。万に一つもないと思うが、この男が怪我やなんかで動けなくなった時には、何も書かぬ文が、ここに届くようにしておく、と。
「その白の文が来ねぇ以上、あいつにゃ何も起こってねぇと…そういう…」
ぎくり、と土方は口を噤んだ。すぐ目の前の縁側、並んだ床板に、少し隙間のあるところ、そこに何か、茶色のものが挟まっているのだ。屈みこんで、爪の先でなんとか取り出すと、それは茶の紙に挟まれた文。
まさか。と土方は思う。いや、ただの紙だ。文だとしても、別にそんな。白紙だなどと、そうではあるまい。案じるあまり胸を痛くしながら、土方はその文を広げ、一文字たりと書かれていないその真白の様に、声も立てずに喘ぐのだった。
** * **** * **
あぁ、あれはいつだったろう。床の中であの人が、半分眠りかけながら言っていた。
俺の故郷は、案外と田舎でな、それをまたさらに田舎へゆくと、
細い川の傍にひとつ、水車小屋があった。
そこでよく、ちいせぇ餓鬼みたいに、勇さんやら総司やらと、
着物の裾が濡れちまうほど、無邪気に遊んだもんだったよ。
昔のことなど、滅多に教えてはくれないから、斉藤にとってその話は貴重だったが、自分と出会う前のことばかりで、いつも微かに嫉妬した。文はあの人に届いたろうか。だけれど斉藤の手を経ていない白紙の手紙のこと、居場所なんぞは書いていずに、届いたからとて何になろうか。
水車の音が、まだ続いている。
** * **** * **
「…いと…」
水車の音の向こう側から、何か声が聞こえた気がした。ここは朽ちて果てた村のあとだから、人など通るとは思えず、それがあの人の声に似て聞こえたのも重ねて、ただの幻聴だろうと思う。
「さい……」
きっと願望なのだ。願い事を叶えたいだけの、ただの甘えだ。それでも、斉藤は嬉しかった。続いている水車の音だけ、時折響く風の音だけ、だんだん弱々しくなるような、鼓動の音だけ聞いてゆくのは、さすがに嫌だと思っていたから。
「てめぇ、このッ、斉藤…っ」
ぱし、と頬が叩かれた。驚いて目を開けたら、目の前に声の主がいた。名前を呼ぼうとするのだが、声がかすれてものも言えず、黙っているうちに抱き締められた。死ぬ前にもう一度だけ、と心から願った相手の腕に抱かれ、それでもう本望と思えそうなものを、それで突然、どうしても死ねないと思ったのだ。
彼の左腕にある熱を持った傷は、刀傷。斬り合いの最中にその傷を負い、相手を切り捨てたのも覚えているが、その小さな傷が、数日後に膿んだ。治るだろうと安易に放っておいたら、翌日には高熱が出て、斉藤は立てなくなっていた。
それも一晩、寝させて貰おうと入り込んだだけの、こんな廃村の水車小屋。誰にも気付かれないようなこんな場所で。傷口から、悪い毒でも入ったか、そう思ったが、為すすべはなかったのだ。
「なんで、ここが…わか…」
「何で判ったかなんか、俺にも判らない」
むっ、とした声でそう言って、土方は忙しく動き始めた。片隅にある木製の箱かなんかを力ずくで壊して焚き木にし、炊事場らしき片隅へ行って、ガタガタと物入れの中をあさり、火打石と紙くずを引っ張り出してくる。小さな囲炉裏に火が入ると、小屋の中はすぐにも温かくなった。
布団も着ずに横になっている斉藤の体に、自分の着てきた羽織被せ、そうしてから強引に、彼の体を囲炉裏の傍へと引き寄せようとするが、大の男の体一つ、半端な中腰ではなかなか…。
「は…。あんた、ひりき、だな」
「なんだと…ッ」
思わず言うと怒って、土方は無理やり斉藤の体を引き摺った。囲炉裏の傍まで引き寄せられると、体が段々温まる。このまま死ぬのかと思っていたのに、共に生きたい相手の姿を見て、その声聞いて、触れてもらって、鼓動も強く打ち出していた。
「…まったく、しくじった」
詫びる代わりに微かにそう言うと、土方は囲炉裏の中に、一際大きな焚き木を放り込んで、忌々しそうに言うのだ。
「色んなことを甘くみる。それはお前の欠点だ、肝に銘じとけ」
「あんたに…、しんぱい、かけないようにな」
「うるせぇ。……今日は、ここに俺もいる。明日は一度帰る。一日おきにはなんとか来れるが、俺なんかよりゃ、やっぱり医者を」
「あんたがいい」
目を細め、起き上がれもせずにいながら、斉藤は笑った。その青い顔や、さんざ髭の伸びた顔が、変に男前に見え、土方は返事をするのを忘れた。自分が見惚れているのに気付いて、慌てて背中を向けてから、土方は外へと続く木戸を押す。
「なんか薬草を摘んでくる。傷のと、滋養の。そんくらいありそうだ」
「…あんたが?」
「見てな、薬屋してた頃の腕は、鈍ってねぇから」
ぱたり、と戸が閉まって、それまで聞こえていなかった水車の音が、またはっきりと聞こえ始めた。不思議と温かな音に聞こえ、それから彼は暫くぶりの空腹を感じた。それと、凄いことに並々ならぬ性欲も。
こんな体じゃあ、と、残念に思う自分を、斉藤は少し呆れた。
続
ふるさと切手シリーズ。心の風景、第三集。郵便局で、そんな切手を衝動買い。そしてノベルを書きたくなり、某様と話しているうちに、書くことに決定ぃぃぃぃ。何が理由でもいいんです。書きたかったら書く。きっかけあったら書く。ネタがあったら書く。とりあえず書く。
某様お好みの話にしようと、斉藤を寝込ませてみましたー。どうぞ召し上がれ! ですっ。この後は斉藤も、ちょっとずつ元気になりますけどね。笑
09/01/18
