喪 の 時 3
開いたままの障子の向こうを見て、どくん、と、土方の心の臓が音鳴らす。胸が破れるかと思った。人に預けて渡したさらしと、彼自身、何度か肌に沿わせた襦袢が、ほどけた布の中におさまっているのが見える。
それは…そうだろう。さらしはいいが、人が一度は身につけた肌着など、好んで纏うものはいるまい。幾度か袖を通したものと知って、使わず捨て置かれて…。
土方は項垂れて、それからすぐに後ろを振り向いた。下らないことで萎れている場合ではない。床にも部屋の中にも斉藤の姿がないのだ。そろそろ出歩いて体を慣らしてもいい頃合だと、医者には言われていたが、それでも心が騒いだ。
あんな体で、どこへ…。
ああ、もしかしたら…
もしかしたら記憶が戻って、
俺の部屋へ向かったということじゃないのか。
望みの薄い考えを捨てられずに、土方は自分の寝泊りしている廃屋へと脚を向ける。木の根に足を取られながら、まろびつつ駆け行き部屋へ戻るが、そこには空虚な部屋があるばかり。胸が痛んだ。もういっそ鼓動など止めたいほどに。
俺ぁは…余程…。
土方は古い家屋の傾いた柱に半身よりかけて、ほつり、ほつりと思うのだ。星の瞬く空を、木々の隙間の向こうに見て、もうその星らの一個になった友や仲間の顔を、ほんの一瞬ずつ思い出して。
俺ぁは。そうだなぁ…。余程、前世の業が深ぇんだろうよ…。
なんで、大事なもん皆、この指ん中から零れてく…。
零すまいと手ぇ握りゃぁ、今度はなんにも掴めやしねぇ。
「斉藤…、俺…は、おめぇを……。…っ!」
いきなり、だった。肩を掴まれ引き寄せられて、力強い腕の中に引き込まれて抱かれ、抱き潰されそうな強さで包まれる。
「…あんた、脚が速過ぎる。やっと、捕まえられた…」
「斉、藤…?」
「こういう時、あんたは、不遜だと怒鳴るのか」
「…ば…か、怒鳴るわけゃねぇ…」
「何故?」
何故、と問うて斉藤は腕を緩める。
ほんの一瞬、ほんの束の間。その間だけ信じていられた夢まぼろしが、またも土方の指の間から、白い砂のように零れた。斉藤は土方の体を離し、叱られた犬のような目をしながら、土方の足元に膝を付く。
「あんたは俺の上司だ。しかもこの、新選組の、頭なんだろう。そんなあんたにこんな真似。人の話を聞けば、首が何度か飛びそうだ」
「……頭、じゃねぇよ。副長だ。もっとも…局長は、いねぇけどな」
斉藤の記憶はまだ戻っていない。それなのに自分を抱き寄せて抱き締めた。そのことへの喜びだけを、そっと胸の奥へ落とすように、土方は項垂れて、斉藤の姿を見つめながら、小さく笑うのだ。
その襟元の、白い首筋の、月と星明かりに影落とす鎖骨の、青いほど白い手首の、その色に、斉藤の心はぐらぐらと揺れていた。綺麗な人だ、と、胸の冷えるほど思う。見ていたい、触れたい、もっともっと、もっと…。
「さっき、俺の名を言っていた」
「…ぁあ……」
「何を言おうとしていたか、知りたい」
「………」
「知りたい…。あんたを…。こうなる前の、俺が、この気持ちを、どうしていたかを」
「お前は、大概、回りくどい野郎だったな、そう言やぁ」
くすり、と、土方は月明かりのように笑った。ゆら、と揺らした手で、指先で、斉藤の髪の後れ毛をなぞって、そのまま彼に背中を向けた。
「ついて来い。ここで話していちゃ、寝てるものを起こしちまう」
かさり、と二人の足下で枯葉が踏みしだかれて砕ける。ぱきり、と、小さな枝が割れる。そんな微かな音をさせながら、少しの間だけ二人は歩いた。並ぶ無人の家々の間を縫い、木々の間を通って、やがては少し開けた場所へと出た。
その夜は細月。緩い斜面の先、眼前に、打ち捨てられて半ば水の減った田が見える。青い稲も少なく細く、月明かりはそこへと落ちて、あたりはほんのりと明るい。足をとめた土方が、背中に斉藤の気配を負いながら、やっと聞こえるくらいの声で言った。
「どうしたい…?」
「え?」
「おめぇ、俺ぁをどうしたい? 言ってみろ。たぶん、記憶を欠く前も、今も、変わってやしねぇ」
「…まさか」
「何が、まさか、だ。この暴れ犬」
今も心に残る最初の日の、あの衝撃を、忘れられやしねぇ。
あの衝動を、肌で、体で無理に、受け止めさせられたのは、
まだ、そう昔のことにゃ、なってねぇのに。
振り向いた土方の顔は、淡い月明かりの中で、それでも微かに逆光。暗く影さすその顔が、うっすらと笑って、うっすらと染められて、どうしてか哀しげにも見える。斉藤…と、かすれた声が名を呼んだ。喋ることの苦しそうなそのかすれ声を、知っている、と斉藤は思った。
それでもまだ、足が動かない。腕が上がらない。喉が乾いて声も出なくて。耳にだけ声が容赦なく届いてくる。
「…この、ばか…、抱けよ…ッ…」
ふっつりと、何かが切れた気がする。それとも切れていた何かが繋がったのかもしれなかった。まだ、何も思い出せないままでいて、それなのに、その時、確かに何かが「元」へと戻ったのだ。
* ** ****** ** *
乏しい稲の青が、涼しい風に押されて、ゆるりと波打ちながら、小さな音を鳴らしている。
斉藤は、土方の柔らかな唇を吸った。とろけてしまいそうに柔らかなその唇は、きっと女のそれよりも好ましい。一瞬強張り、その後、花が開くように唇は開かれて、絡めようとする斉藤の舌の乱暴さに、震えながら答える。
まるで、すべてが元もとの、決まりごとのようだった。着物を脱がす手の動き一つ一つ。その手に従うように、身を任せ、時に手伝うように、自分から帯をほどき、下帯までも緩めていく、その土方の所作。
「斉…っ。全部、思い出したと、言って…くれ…っ」
もう、さっきまで纏っていた着物の上で、乱れていこうとしながら、土方が懇願した。首筋を、胸を吸われながら、斉藤の背中に爪を立てる。けれどその指の力が時に緩んだ。多分、斉藤の体を気遣って。
「いや、まだ、何も。でも…俺は、あんたを好きだ」
「……んなこたぁ…。あ、ひ…ぁあ…っ」
舐める舌に吸い寄せられるように、土方は胸を反らす。膝を軽く撫でられれば、勝手に脚が開いて、綺麗で生き生きした魚のように、そこを揺らし、跳ねさせる。白い雫を既に落としながら、何かを欲しがって、こんな開けた場所で、月の下で、土方は乱れた。
「ぁあ、もう一度、言ってくれ。もっと言ってくれ、もっと」
熱に浮かされたように、土方は言った。斉藤の体にしがみ付いて、半ば彼が導いて、愛しいもののその場所を、自分の中に飲み込んで。深く、深く底まで、貫かせて、喘いで。
「言って…くれ…」
「あぁ、あんたを好きだ。好きだ。あんただけだ。俺は、あんたの為に。ずっとあんたの…傍に」
「……好きだと、それだけ言ってくれりゃあ、いいんだ」
「好きだ、好きだ…」
「あぁ、斉藤」
「好きだ」
「うん…」
零れた涙の雫は、月の欠片のような銀色の光をためて綺麗だった。
おたんびーーーーーぃい? そうでもないですか? 暫らくぶりに書いたら季節なんかちっとも覚えてなくて、変じゃないかとドキドキです。それにしても開けた場所でヤってんな! 観客は青い稲の葉と月と星ですかっ。ほほぉ〜。
色々と謎な部分がありまして、それはきっと今度の展開でーーーーーー考えます。(考えるんかーー決まってないんかーーいっ)まぁ、相変わらずで嬉しいよ、惑いぼっしなアタシ!
楽しんで書きました、その楽しさの半分でも三分の一でも、感じてくださ方がいたら嬉しいですー。
09/08/27
