喪 の 時  4











 充分だ。

 そう、土方は言ったのだ。好きだ、好きだ、と飽くほど繰り返し、繰り返し聞かされて、そのたび芯から震えて喘いで、こんなにも想いは深いのだと思い知った。だからこそ、と、土方は思う。

 千切れそうに痛む心を、こうして抱いていられることだけで、ちゃんと前を向いて、毅然としてゆける。何も失ってなどいない。記憶すら失くした斉藤が、それでも自分への想いを変わらずに告げてくれたのだ。その上、何を欲しがるというのか。

 あぁ、もう充分だ。だから。

 だから…。


  * ** ****** ** *


 その夜、斉藤は土方に支えられながら部屋へと戻った。腹の包帯には酷く血が滲んでいて、その赤い色を見た時、月の明かりのその色のように、彼は青ざめて震えていた。取り乱す寸前のその身の強張りに、斉藤は嬉しくなったけれど、固い表情して斉藤の胸を押して離れて、も一度、小さく口付けして…。

 すぐに昇ってくる日の光を浴びて、きり、とした横顔を見せながら、土方は急ぎ医者を呼ぶ。近くの里から呼ばれてきた医者は、まず土方と一言二言話をしてから、怖い顔をして斉藤の傷を見る。

「…いけませんね…。せっかくかなり良くなっていたのに、随分と無茶を…。膿むかもしれない。少なくとも二日は起き上がることもしないで下さい。守れなければ、治りがもっと遅くなる」

 それはその時の斉藤にとって、最大の脅しであったから、神妙な顔して頷いて、体を休める薬とかいうものを処方された。今、彼が寝泊りしているその家は、隙間風も入って良くないからと、別のもう少し離れた場所に移ることになる。

 その後で、もう一度二人になった時、土方が手ずから湯飲みに白湯を注いでくれ、手を添えて飲ませてくれまでしたから、斉藤は満足な気持ちで床に入ったのだ。

 そうして日のまだ高い頃合に、ゆるやかに寝入りながら彼は思っていた。家が少し本陣から遠くなったから、外をゆくあの人の声が聞こえないだろうが、逆にこの場所になら、夜、こっそり会いに来てはくれないだろうか。勿論、無理は出来ないけれど、あの時のように…俺の手にあの人が手を重ねて。

 口を吸ってくれさえしたら、どんなに嬉しく思える…だろう…。

 世話してくれる近隣の里の子供が、夕の飯の後にいつも薬を差し出す。薬はさすがに、体を休める薬なのだとあって、飲めば眠りは怖いほど深かった。



「斉藤さん…。斉藤さん…。余程に深く眠っているんだな、夕べ、あの方が来たときも、目を覚まさなかったとか言っておられた。斉藤さん…。なら、ここに、おきますよ。あんたが手元に置きたがってた…大事な…」

 じゃあ、本当に、体を大事にしてください。と、そう言っている声は、あの監察なのだという男の声。聞こえてはいるのに、目が開けられなくて、斉藤は、たん…と、障子のしまる音を聞いてから、やっと目を開いたのだ。

 枕元には、妙に立派な刀掛け。そこにあるのは、勿論、斉藤の剣だった。腹の傷の、きりきりと痛むを気にしながら、床から這い出て鞘を握る。記憶などなくとも、他の何が消えてなくなっても、あの人と、あの人を想う気持ちさえ変わらないなら、何も、恐れるものなどないと感じたのだった。

 守るのだ。何に代えても。何かを失くすことが欠片ほども怖くない。
 あの人さえ、傍にいてくれるのならば。


 あぁ、だけれど、思いも寄らぬ形で、彼の胸に、冷えた風が吹き荒れた。朝を迎え、閉じた障子と雨戸を自分で開けて、陣の方を見て、何もなくなっていることに初めて気付いた。

 夕べ、あの方が来たときも。

 そう言っていた島田の声を思い出した。唇に、今更のように柔らかな心地が思い出されて、眠っている自分へと、静かに長く、口付けしていった土方の、その匂いまでを感じたのだ。重ねられた手の感触も…今更に。

 なのに、そんなに想ってくれているのに、土方は、斉藤の前から消えた…。

 何ひとつ残ってはいなかった。残っていたのは近くの里の子供、近くの里の医者。それも土方に言い含められ、きっちりとその分の払いを受け取って、斉藤の世話をしていただけのことで、一と月、ここに陣を張っていたものたちが、今はどこに動いたかも知らないという。


 信じられなかった。
 信じたくなかった。
 彼は、そこに置いていかれたのだった。


  * ** ****** ** *


 斉藤は、お前が行ったとき、目ぇ覚ましたか?

 いえ…。

 だろうな。よく効く薬だと聞いた。体を無理にでも休ませる為に、深く眠りへ落とす薬だそうだ。これで丸三日、夜ごとよく眠ったんだから、随分あの身も癒えたろう。無理をさせる俺も、傍にゃいねぇし、なぁ。

 何故ですか? と、島田は問いかけたりはしなかった。だが、そうした眼差しだけは隠せなかった。彼がじっと見入っていれば、小さく苦笑して横顔見せて、謎掛けのようなことだけ、ぽつりと一つ言った。

 喪くしたく、ねぇからさ。

大事だから、傍から離した。俺ぁは、疫病神なのかもしれねぇからな。大事だったあの人も、弟みてぇだったあいつも、あの顔も、その顔も、どれもこれも、今は傍にいやしねぇ。それどころかこの世のどこにもいねぇんだ。
 だからな、もう充分だから、充分幸せだったから、傍におきてぇなんて言わねぇ。遠くで、確かに生きててくりれゃぁ。

 後の言葉は、彼の胸の奥にひっそりと。

 いいんだ。幸せだ。願いを全部叶えて、もうやることもなくなったら、そんときゃ飽きるほど、あいつと添うさ。

 そんな言葉も勿論秘めて。

 

 意地っ張りの、さみしがりの、負けず嫌いの、不器用な、きれいな、きれいな、白い花のようなその人は、恐ろしいほど白の似合う北の地で、真っ白いまんまの花のように、戦場でひとり、散ってった。





 あの何もかもが凍るような北の地で
 どうして俺なんかが、あの人の傍にいれたのか。
 それは故あること。
 大事だから傍には置けないのだ、と、
 告げていたあの人だから、
 こんな俺だけが、傍に添うて居られたのです。

 死せざるして、道を別った彼のことを、
 常には一言も言わぬ癖、
 夜に何度も何度も、その名を呼びかけては
 唇を噛み締めていたあの人は、今はもう何処にも居ない。

 そうしてあれからほんの半年ほど先、
 雪のちらつくある朝。
 五稜の堀の傍で見た姿は幻だったのだと、
 あえて俺は思い込んでいるのです。
 もしも会ってしまったら、
 この懐に秘め続ける、ここでのかの人の面影すら、
 渡さねばならぬと思えるから。

 この北の地の、短いひと時の想い出くらい、
 俺ひとりのもので、このままずっと。



 終











 すっすいませんっっっっっっっ。凄い勢いで、まずはお詫びを言っておくことにします。悲恋の物語だったんです。死に別れなんて…そんなの、酷いよね。と、思いつつ。こんなストーリーにしようと決めていました。

 別れはきっと、土方さんの方から一方的に、無理やりに。想うゆえの決断だったのだと思う反面、土方さんが疫病神だなんてっ、前世での業のせいとか、そんなの、ないですったらないよっ。

 そして島土ファンの方には、さらにごめんなさい。この話の島田は、土方さんが斉藤を傍から離してしまった故の、寂しさを埋めてくれる優し過ぎる人なんです。身代わりでもなんでも、俺を必要としてくれるのなら、それだけで命も捧げますって人なんです。

 あまり語るとボロがぼろぼろ出ますので、口チャック口チャック。ではでは、お読みくださりありがとうございました。

 あぁ、それにしてもうまく書けなかった。しょんぼろりー。



09/10/26