喪 の 時 1
どうして俺なんかが、あの人の傍にいられたのか。
それは故あること。どうかすると垣間見えるあの人の、
「独り」でいるための脆さを、見過ごすなどできなかった。
何故、彼らはあの人の前を去ったのでしょう。
死していった彼ら。抗えぬ病ゆえ、着せられた罪ゆえ。
そうして死せざるして、道を別った…あの…。
これは、今となってもまだ
誰にも告げられぬ告白なのです
一つずつすべては歴史に残らなくとも、幾度もの戦いがあった。錆びた鉄の匂いのような、乾いた血の香りのする日々。戦線は易しくはなく、幾度だとて危機はあった。その一つ…。
ぎぃ…んっ
刀と刀がぶつかり合い、擦れる音。血がしぶいた。濃い錆色の。敵と土方の間に立って、剣を受けた斉藤は、すでに長い戦闘で疲れていたか、重みに膝をつき…。下ってきた刃を額に。
「…斉、藤…ッ!」
叫んだ声は彼の耳に届いた。さらに脇差を抜いて、斉藤は敵の胴を切り払う。殆ど間二つに別たれた屍は、先に倒れた彼の上に圧し掛かった。ごぼ、と喉から血が溢れる。腹にも傷を受けていたことが、後から知れた。
住み人の逃げ去った廃家へと、急ぎ死人と怪我人が運ばれる。ぴくりとも動かない斉藤の体が、死人の横へと運ばれかけ、震えた怒号が飛んだ。
「そっちじゃねぇ…っ、斉藤は…」
頭から血を被ったように、額半分を血に染めて横たえられた斉藤の傍に、土方は膝を付いていた。常から白い土方の頬が、紙のように色がない。そうしてその頬よりも、斉藤の首筋がもっと血の気を失くしている。
「斉藤、斉藤…お前は、大丈夫だな……?」
大将の土方が、いつまでも怪我人の傍についていることは許されない。あえて一度も振り向かずに、そこを出て行く土方と、引き摺ってこられた町医者が擦れ違った。
そして
その夜半、土方は斉藤の横にいた。医者からの言葉は人伝に聞いた。腹の傷は深いが大事は無い。額には後が残るだろうけれど、こちらも命に触りはないだろう、と。それでも意識は中々戻らず、そのまま二日を数えたのだ。
「副長、斉藤の意識が戻りました…」
「あぁ…、そうか。ならもう大丈夫なんだな…?」
報告を持ってきた島田は、頷いていいかどうしようか迷うように、そのまま畳の目を見ていて、惑うように顔を上げてから言ったのだ。
「…それが、組のことも、仲間の事も、判らないと言っています」
「どういう、ことだ…」
「判り…ません」
それから、幾度、会おうとも。
記憶が戻ることはなく…。
「どうだ、具合は」
「…良くも、悪くも。あんたは……」
「んん…?」
傍らに座して、土方は斉藤の顔を覗き込む。布団に手を置いて、斉藤は起き上がり、結ったまま寝乱れている自分の髪を気にした。
「起きなくていい。なり、なんぞ気にすることは」
「…あんたが、いや、貴方が、俺の上司だと聞いた。他のものが貴方に接しているのを見ていても、それが本当らしいと判る」
「……そうか」
土方は小さく項垂れ、滲む落胆を隠せない。自分を庇おうとして傷を追った斉藤の記憶は、あれから随分日が経った今も、一欠けらも戻らないでいる。
「その呼び方は止せ。お前が自然に呼んでいる呼び方で、いつも俺は呼ばれてた。それを…俺は、許してた」
上司だという部分は訂正せず、土方は彼へ向けて、今まで言ったこともないことを、遠まわしに言った。他のものへは許さぬことを、お前にだけは許していたと。
「何か、したい…ことは…。いや、して貰いたいことはないか」
「……剣が欲しい」
「…まだ無理だろう。記憶…も…」
記憶も戻らないで、自分が誰かも判らないで、当然、誰がどういう理由で敵なのか味方なのかも、今の斉藤には判っていない。ただ、斉藤が至極自然に土方を「あんた」と呼んだように、彼の身に染み付いた欲求が、自分を求めてくれるのではないかと、密やかに土方は望んでいるのだ。
「実は、少しの間、人払いを…してあるが…」
「…人払い……」
何故なのか、と問う眼差しに、土方は自身を自嘲して唇を噛む。堪えられぬ望みが勝手に彼の手を動かさせ、斉藤の手の上に、手が重ねられる。
「熱は下がっているな」
殆ど無意識に、土方は彼の傍に身を寄せた。布団に起き上がった彼へ、すい、と身を近寄せ、ただただ自分を見ている斉藤の顔を、随分と間近で眺める。
口づけを、したくはないのか…?
そんな心も忘れたか。
例え記憶がなくとも、お前はその身ひとつで、
俺を欲しがってくれるだろうと。
自惚れ、だったな。
視線を逸らし、土方は儚く笑った。無駄と諦めかけていながら、ついぽろり、と言葉が零れた。
「今のお前は俺を、どんなふうに思ってる?」
記憶にもない、ただの上司か。わけの判らないことばかり言いに来る、奇妙な男か。武士の端くれとも思えぬ、女々しい態度の。
「……あんたを…」
斉藤は言った。いや、言いかけて黙った。さっ、と視線を逸らし、土方の手のひらの下になっていた手を引っ込め、その手の甲を黙って眺めた。畳の上に残された土方の、生娘のように白い手をひっそりと視野に置いて、彼は言葉にはせず独白する。
上司に、言っていいこととは思えない。聞かされた鉄の掟に照れせば、それこそこの場で切腹申付けかもしれぬ。最初見た時から、どうやら懸想している、らしいなどと。
「人払いがどういうわけでか知らんが、俺の失くした記憶に、何か大事な報告ごとでもあったか。すまないが、まだそれも思い出せない。思い出したら、貴方に…あんたに真っ先に言う」
「そうか…。そうしてくれ。記憶が早く戻るよう、その為にも念じていよう。邪魔をしたな、斉藤」
斉藤、と呼ばれた瞬間、彼の中で何かが解けかけた。彼は立ち去る土方の背中を見つめ、尚更傍に剣が欲しいと思った。それもなくば傍にいる意味がないと、そう思った。その為に、ここにいる気がすると。
続
ぐぉぉぉぉぉおぉ〜。難しいものに手ぇ出しちゃったかもしれません。続き読んで下さる気のある方いましたら、パワ!下さるよう切望します。人払いしてたりして、副長、何を期待していたのーー。とかとか、欲しがる土方さんにちょっとゾクゾク。斉藤、勿体無いよ、思い出せ!
馬鹿なコメントすみません。では、ほんとに応援よろしくね。さすらば書くぜ、力みなぎりてっ。いかにも頼りない執筆後コメントでござしましたーっ。
09/05/18
