贄 の 声 3
島田は土方を見て、項垂れて震えるその可哀相な姿を見つめた。見ていると、言いようの無い怒りが全身から吹きあがってくる。
じゃあ、この男は知らないのか? 自分の弟が本当に、密偵の真似事をし、女を通じて敵に内情を流していたことを。そもそも、左二郎が組を裏切った証拠を突き止めたから、島田はここに来たのだ。証拠もある。
懐に手を入れて抜き出し、島田は一枚の紙切れを右一郎に突き付けた。何も言わずに無言で渡すと、手にした途端に右一郎の様子が変わった。明らかに焦りを見せ、見せた焦りを隠そうとし、無理だと知るや紙切れをくしゃくしゃと丸めて…。
弟と、同じことをしようとしたのだ。証拠をなくそうと口にそれを押し込み、飲み下そうとした。だが、島田はそれを許さなかった。片手で彼の顎を掴み、喉をも握り込み、口も閉じられず息も出来ない苦しみを味わわせた。
今ので判った。この男は知っていた。自分の弟が、本当に裏切り者だったのだと。それをいつ知ったのかは判らない。最初から知っていたのか。それとも、土方を手中にしてから知って、それでも甘い蜜を吸い続けていたのか。
どちらにしても許せる罪ではない。島田は片手で右一郎を窒息させながら、抗う相手の体を軽々と宙に浮かせ、もう一方の手で、さらに懐から証拠の手紙を五、六通も取り出して床にばら撒いた。
「絞め殺していいですか? いいえ、このまま俺が、この男を処断してもいいですか、副長」
土方はばら撒かれた手紙の一枚に目をやり、紙の隅に書かれた「左」という、左一郎のしるしを見て、一瞬…ほんの一瞬だけ、瞳の中に怒りを揺らした。そののち、島田からも右一郎からも目を逸らし、こくり、と一度だけ頷いた。
土方もまた、自分を貪り続けたこの男が、何もかも判っていて、それでも無実のものを殺したという彼の弱みにつけこみ、ずっとこうしていたと気付いたのだ。
右一郎の首を絞め続けていた、島田の片手の指の中で、ごきり、と鈍いかすかな音が鳴って、この部屋の中で生きているものは、土方と島田だけになった…。
「ご無事で…」
無事と、言えるような姿では無い。それなのに言う言葉が見つからず、島田は土方から目を逸らしてそう言った。
土方が白い襦袢を左右に広げられ、何も来ていないのと等しい恰好で、精液の雫すら滴らせているのが、もう島田の脳裏に焼きついてしまった。鼓動が速い。こめかみがズキズキと痛んで、声が震えた。
「だ…誰か呼びますか」
「島田」
「……はい」
名を呼ばれて竦みあがって、逸らした目を強く閉じていると、もう一度土方は彼の名前を呼ぶ。
「島田…。そ…の…隅にある、こおりから何か、き、着るものを」
「あぁ、はい…」
言われた通りにこおりの蓋を開け、一番上に見えたかすりの着物を取り出して、畳んだままで土方へ差し出す。それを受け取ろうと差し伸べられた、土方の白い手が、ガクガクと震えていて、何度も何度も受け取り損なう。
「み、みっともねぇな…。震えが、止まらねぇ」
「…手をお貸しします」
「いや、自分でする…」
土方の手が、やっと着物を取り、それを広げて背に掛ける間、島田は彼から目を逸らし続けていて、その視線の先に咎人を見ていた。首が奇妙な方向に折れ曲がった、醜いその遺体を憎しみの火で焼き尽くすような目をしている。
「…怖い」
「え」
言われて振り向くと、普段の土方からは想像できないような、心細げな顔で、彼が島田を見ているのだ。
「お前が、そういう目ぇしてんのが…見慣れない。組にそぐわないような、優し過ぎる男だと…」
「俺は…貴方を害するものにだけは、鬼にも修羅にも」
ぽつりと零れた言葉に、言った本人が後で気付いたが、不思議と気負いは無かった。気付けば驚いたような目になって、土方が彼を真っ直ぐに見ている。
「怖いですか」
「…いや、俺を見る目は、いつものお前だ」
言われて尚更、島田の目元が柔らかくなる。島田はその後、無言で立ち上がって、床に散らばった文を拾い、右一郎の遺体を抱えて廊下へと出た。
「小姓を突き飛ばしてきてしまった。そのままにしておいたら、誰か様子を見に来てしまう。事情を少し、監察に説明しておきます。副長は…そのまま休んだ方が」
「……島田…」
「はい」
着物の前を掻き合せていた土方の手が、ぽとりと膝の上に落ちた。襟元が緩んで、雪のように白い胸が見えた。その胸の上に、梅の花が咲いたような愛撫の跡が、濃い桃色と淡い桃色で幾つも。
「すぐ、ここに…戻ってきてくれ…」
「はい、すぐに」
打てば響くように答えたが、島田は廊下に出てから首を傾げる。左二郎の件で、詳しい報告をしに来いということだろうか。そうじゃない気がする。土方は今、そんな話を、聞ける状況じゃないように思えた。
とにかく肩に担いだ咎人の遺体を、奥庭に置いてむしろを掛け、左二郎の罪の証拠を、監察の方へと渡してから、急ぎ足で土方のもとへと戻る。
ついさっき、廊下で突き飛ばしてしまった小姓が、逆側の廊下を行くのが見えた。謝りたかったが、大声を出して詫びるのも気が引けて、それを横目に足を速める。
「島田です。遅くなりまして」
廊下に膝を付いた横に、湯気を立てる木桶と白い手ぬぐい。それと、盆にのせられた湯飲みが一つ。これらは、さっきの小姓が運んできたのだろうか。
「そこにあるものを持ってきてくれ」
「…はぁ」
湯の入った桶、手ぬぐい、湯飲みののった盆。障子を開けてからそれらを両手に持って、不思議そうにしながら入って行くと、畳の上に両脚を投げ出した恰好で、土方が彼を見上げた。
「あっちはもう、いいのか」
「詰めてた監察に任せてきました。文の内容を詳しくしてから、報告するように言っておきましたが」
言いながら土方を見れば、彼は着物の裾から、裸足の両脚を見せた子供のような座り方をしている。妙に思う島田の顔を見て、土方はいつもとはどこか違う様子をして、言い難そうに言った。
「…毎晩のように無茶をされて、足が…うまく動かねぇんだ。行儀が悪ぃのは勘弁してくれ。腕も、腰も…ぼろぼろで、な」
「なんで…。いえ、なんでもないです」
何故、あんな男の言うなりになったのかと、そう言い掛けてやめた。犯されていた時の土方の姿を思い出せば、どういう経緯でああなったのか簡単に想像がつくからだ。
それよりも、どうして今、ここに自分を呼んだのか、と島田は問いたい。桶と手ぬぐいと湯飲み。それらを自分と土方の間に並べ、島田は次の命令を待つしか出来なかった。
「みっともねぇ、と、笑うだろうが、今、一人で居たくねぇ。だから」
「右一郎と組んでたものはいないでしょうから、もう何も」
「…そういうんじゃねぇんだ。居てくれ」
「はい」
土方は島田の見ている前で、片手を伸ばして手ぬぐいを取り、それを桶に浸した。両手を添えて絞ろうとするが、湯は手を入れ憎いほど熱いし、土方の指ははっきり判るほど震えている。
「その…どうなさりたいんですか。絞るんですか?」
「あぁ、してくれるか」
どきりと、またしても島田の心臓が跳ね上がる。そういう意味じゃないと判っているが、土方の声が耳に残って、自分の顔が赤らむのが判った。あの右一郎と、似たようなことをしたくなってくる。
辛い。体が熱い。これではまるで拷問だ。
土方を目の前にして、そう、島田は思っているのだった。
続
あぁぁぁ、やっと島土らしくなってきたっ。なんか事件は終わっちまって、蛇足的な島土ですが、島土書きたいんだものっ。だからもう少しお付き合いください。
ある意味、死んで庭の砂の上かどっかに、放置されてる右一郎が気の毒。それより大したイイ目をみてないであろう、左二郎の方がもっと不憫。つーか、土方さんっ、根本的に貴方は誘い受け気質なんですねっ。
ラブラブ島土な次回を、待っててやって下さいなー♪
08/01/23
