贄 の 声 2
その日、島田は大きな体で風を切って、屯所へと駆け戻ってきた。そのまま土方に目通りしようとしたら、廊下の真ん中に座った小姓に引き止められた。土方の命で、今は誰も通せないのだという。
「火急の用なんだ。それでも駄目か」
「誰も通すな、と言われております。副長はお加減がよくないので、早めに休むと言っておられて」
早めにしても早すぎだろう。まだ日が沈んだばかりの頃合だ。島田はそう思いながらも、まさか小姓を押しのけて通るわけにもいかない。それに、最近ずっと、土方が紙のように白い顔をして、具合も悪そうだったのを彼も気付いていた。
出来うる限り、土方の姿ばかりを追っている島田の脳裏に、項垂れた花のような儚げな姿が思い出される。
「副長は、何かご病気なのか?」
「…頭痛とか、腹痛とか…最近よく。今日も疲れていると仰られて」
「そうか…」
心配だった。いつも忙しい人で、あんなに体も華奢で。医者には掛かっているのか、薬は飲んでいるのか。温かくしているんだろうか。隊士の一人に過ぎない島田が、そこまで気遣うのもおかしいのかもしれないが、それでも気になってしょうがない。
彼は土方を、ずっと想ってきたから。
それに今は本当に、早く知らせたいことがある。前から不審なところがあって、秘かに調べていた茶屋で、不逞浪士が数人捕まったのだ。そしてその浪士共に通じていた一人の女も。
その女が、先に斬首になった男の字で書かれた手紙を、何通も持っていた。それには恋の言葉など一つも書かれておらず、組の組織のことや、巡回の日程などが事細かに書かれていた。須崎左二郎は確かに組を裏切っていたのだ。
島田はそれを早く土方に知らせようと、息を切らせて走ってきた。けれど、今は土方は臥せっているのだろうし、左二郎は既に罰せられてこの世にはいない。
明日の朝が来て、土方が部屋から出てくるのを待って知らせても…。
その時、思案していた島田の視界の遠くを、人影がよぎった。誰も通さないように、小姓がここで粘っているのに、誰も入らない筈の土方の部屋の方へと、その人影は歩いていったのだ。
「今、誰か通った」
「…? 誰も通していません。錯覚では」
「いいや、確かに通った。あの人の部屋の方へ言った。今のは、確か…」
須崎…右一郎…!
斬首にされた左二郎の兄だ。あいつが何故副長の私室へ…? とてつもなく嫌な予感がした。島田の脳裏に、またしても土方の姿が思い出された。
このところずっと、青い顔をして顔を伏せてばかりいた土方。着物の襟は、いつも以上にきっちりと閉じ合わされ、何かを隠しているように見えていた。それに、彼が一人で廊下を行くとき、柱に一々手を置いて、よろめいていた姿を一度だけ見た。
そうして島田の耳にだけ、ほんの微かに声が聞こえたのだ。押し殺した、悲鳴、のような、土方の声が。
「通してくれ…!」
「…あ…っ…」
小姓の小柄な体を付き転がし、それを大股で跨いで、島田は廊下を先へと進んだ。殆ど走るような勢いで、角を曲がり、その先の土方の部屋へと向う。
障子の閉じたその部屋の外で、それでも膝をついて頭を垂れ、急いた声で言った。
「島田です。副長…、入っても…」
「……っ、だ、駄目だ。入る…な」
その声は土方の声だったが、今まで一度も聞いた事の無い声だった。上擦ってかすれて、それなのに濡れていて、どこか媚びるような声なのだ。聞いた島田は、どきりと心臓を跳ね上げ、それでも障子に手を掛ける。
「副長、お一人ですか。誰か傍に、いるのですか?」
「…ひ…一人だ、入ってくるな。報告なら、あ…っ、明日聞く…」
畳の上に、どさりと何かが倒れるような音、そうして衣擦れのような音。土方の声はさらにくぐもって、合間に嗚咽を織り交ぜながら、泣き喘ぐように上擦った声になる。一度聞いたら、もう二度と忘れられないような声。
「ん、く…っ、島…田…。は、早く部屋へ、戻っ…。は、ぁあ…ぁ」
「は…い、副長」
膝を床に付き、両手をも床に付いて項垂れたままの姿で、島田は目を見開いて震えていた。研ぎ澄ませたその耳に、土方のものとは違う、獣の荒い息遣いのようなものが聞こえ、それで島田は決心した。
…というよりも、その時の彼は、殆ど無心だったのかもしれない。上司の言葉を聞かず、自分がもしも罰せられても、万に一つの土方の危機を救えるのなら、それでもいいと思ったのかもしれなかった。
「副長…っ。島田は命に叛きます!」
そうして彼は、一気に左右の障子を押し開けた。右と左とに、障子は勢いよく開き、そこにある光景を島田の前に露にした。
土方は両脚を広げられて、前から深々と貫かれていたのだ。着物の襟を両肩から外され、白い綺麗な胸をさらし、右一郎の膝の上で、深く奥まで貫かれながら、桃色の胸の飾りをしゃぶられていた。
抗っている様子はなく、ただ、辛そうに歪んでいても美しいその顔が、流れた涙で濡れている。
短く一つ息を吐く程の間だけ、島田は立ち尽くし、そうして次の瞬間には、腰の刀を抜いて振りかぶっていた。
「島田、や…めろ…ぉッ、殺すな…っ」
島田にとって、土方の命は絶対であるに等しい。抜いたその刀で、自分自身を斬れと言われても、無意識にそのまま刃を自分に向けただろう。だから彼の叫びに忠実に、振り上げた刀に込めた力を抜いたのだ。
刀は右一郎の右肩に食い込んで止まった。そうでなければ、その体は、縦に両断されていたはずだった。
「う、ぅおおお…ッ」
叫んだのは斬られた右一郎。
激痛に喚き、右一郎は蹂躙していた土方の体から腕を離した。繋がれていた身が離れて、土方は嗚咽を堪えながら下肢の痛みに喘ぎ、肩口から血を流す右一郎と、その後ろに仁王のような顔で立っている島田を見た。
「斬っちゃ…駄目ですか、副長」
「よせ、島田」
「じゃあ、絞め殺してもいいですか…? 士道に、叛くまじきこと。この男は、副長である貴方に…」
「駄目だ、やめろッ。…これは…俺が、ゆ、許してさせてたことだ」
島田は土方の言葉に驚き、何故かと問う様に顔を歪める。殺されないと知って、痛みに苦しみながらも、右一郎は島田の方を見て嗤った。
「副長は、お偉いんだ。俺の弟の左二郎を、無実で殺した罪滅ぼしに、俺に自分の身をくれたんだ。この人は俺のもんなんだ」
右一郎は嗤って、誇らしげにそう言うのだ。斬首にされた左二郎は、無実だったのだ、と。新選組副長、土方歳三は自分のものになったのだ、と。
続
ぎゃーー。島田は出た。出たのはいいけど、この話、むちゃくちゃ暗いですよね。ぎゃーーーっ。陰気な話ですみません。ラストにはもうちょっと明るくなると思うので、今は部屋の明かりを煌々とつけて読んでいてください。スイマセンスイマセン。
それにしても土方さんのこと、苛めすぎ? 私も島田に首絞められそうです。こーわーいーっ。優しそうに見えて、土方さんにこんなことをした相手には、彼、容赦なさ過ぎですよね、マジ怖!
次回で終わると思いますが、きっと来年でしょう。では、また来年!
2007/12/15
