曲がり刀と対の鞘 ・ 前




「退け、俺が行く」


 その日。入隊したばかりの若い隊士が、死番に怖気て後ずさるのへ、斉藤は無表情にそう言った。そうして言葉の通りに前へ出て、平素と変わらない歩みで路地に踏み入り、そうして斬り付けられたのだ。

 怖気た隊士は、仲間に散々、怯懦者よと罵られたが、この時斉藤ではなく別の誰かが前に出ていたら、血飛沫を飛ばして倒れたのは、おそらく組隊士の誰かだっただろう。



「五人の不逞浪士のうち、三人斬り捨て、二人捕縛。どこのものか、名などは今、息のあるものから聞き出している。組の被害は傷を負ったものが一人」

 斉藤の報告を、土方は伏目がちのままで聞いていた。その時は他の数人の隊士も傍にいて、ちゃんと斉藤の方を見るのが、幾分気が引けていた。別に普通にしていればいいのだが、その「普通」が、このところどうもやりにくい。

「報告はわかった。怪我のものは医者へ診せるように」

 申し訳程度の頭の下げ方で、斉藤がすぐに背中を向けたので、やっと土方は顔を上げて、立ち去る彼の背中を見た。その目が一瞬、驚いたように見開かれ、声を掛けたげに唇までが震える。

 斉藤の着物の袖が、一尺半ほども縦に裂けていたのだ。そういえば少し、血の匂いがするようにも思えた。

「斉…」

 声を掛けそうになるが、その前に斉藤の姿は見えなくなり、土方は眉をしかめて唇を噛む。これが駄目なんだというのだ。こんな事でどうする。一隊士の事だけにこんなに気を取られて、この新選組の副長がそれでいいはずがない。

「いや何でもない、茶でも持ってきてくれ」
 
 傍に居たものにそう言って、土方は中途半端にしていた書き物を続けるのだが、書き損じばかりで、どうにもやっていられなかった。


*** *** ***


刀の目釘を抜きながら、斉藤は殆ど上の空だった。

 夕刻前、今日の巡察の報告に行ったとき、土方が一度も自分を見なかったのだ。別にずっと見つめていて欲しいなど、贅沢を言う気はないのだが、ほんの一度も、欠片も、微塵も見なかった。

 嫌われたのか、と、つい思う。前に褥を重ねた時、何かまずいことがあっただろうか、などと、斉藤は考え込んでしまうのだ。普通と違う間柄になって、もう随分経つのだが、それでも土方には、どう接していいか、たびたび途方にくれる彼だった。

 たった半刻程前に、もしかしたら命を落としたかもしれなかったことなど、もう記憶の隅に押しやられている。

 考え込みながらのせいか、酷く手間取りながら目釘を抜いて、刀身と鍔と柄などに分けて畳に敷いた布の上に置いた。斉藤の刀は実は今、ほんの少しだが根元近くで曲がっていて、ちゃんと根元まで鞘に納まらない。

 その上、刀が曲がった時に緩んだのか、柄となかごに隙間が出来て、そこにまで血が滲み込んでしまっている。考え事はしたままなのだが、それでも丁寧に時間を掛けて血を拭き取り、刀身の血油を拭き取って、新しい油をひいて…。

 それから刀を鞘に納めようとするも、大体元通り、真っ直ぐになったように見えても、まだほんの少し曲がった刀は鞘に拒まれる。

 暗く沈んだ顔で項垂れて溜息を付き、それからふと立っていって、彼は開いていた障子をさらに大きく開けた。月明かり眩しく強く入ってきて、綺麗に手入れされた抜き身の刀を照らす。

「斬り合いの方が、余程、簡単だ…」

 口の中でもそもそと、思わずそう呟いて、障子を閉めようとした時、視界の端に何か動くものが見えた気がした。

 ちらりと見えたのは誰かの着物の裾と、建物の壁の向こうに見えなくなる寸前の、片足首だけなのだが、それが土方だと斉藤には判った。

「副……」

 いや、気のせいか。あの人の部屋とここは離れているし、別に会う約束も合図も何も、ここのところ何ももらっていない。

 だからそれはもう、嫌われたせいで約束してくれないのじゃないかと、斉藤はさらに悶々とする。部屋の真ん中へ戻って、刀を大事そうに手に取り、そろそろと慎重に鞘に入れていくと、今度はぴたりと納まった。

 曲がりが酷くなければ、大抵はちゃんと元のように直ぐな形に戻るものだと、斉藤は勿論よく判っていたが、それが何故か嬉しくて、土方とのことも、大丈夫なんじゃないかと思いたくなった。

 満足そうに、そして彼には酷く珍しく、少しばかり笑顔になってもう一度斉藤は庭へ視線をやる。今度は見間違えではなく、土方が庭の端に立っていて、彼と目が合うと、酷く怒った顔で身を隠す。

「あ、副長…っっ!」

 またしても珍しく大きな声を出して、大声を出した途端に、斉藤本人が、自分で驚いてやや目を丸くし、それから彼は急いで土方の消えた場所へ行く。草履を履いて庭へ出れば、まだ早春の冷えた風が、斉藤の頬をくすぐった。

 なんとも言えない、春の香りのような、そんな匂いが鼻をかすめて、それが土方の匂いではないかと思った途端、斉藤はもう彼を抱き締めたくて堪らなくなる。

「入っていいか」

 土方の部屋へ行って、閉じた障子の傍で立ち止まってそう言うと、中からは素っ気無いというか、冷たいくらいの声が跳ね返ってきた。

「誰だ。別に誰にも用はないし、呼んじゃいねぇ筈だが」
「…俺だ」
「俺、とかいう名の隊士は知らん」
「……」 

 やっぱり怒っている。呆然と廊下に立ちすくんで、斉藤はもう、何を言っていいのか判らない。

 もう一度、頭の中で、この前の褥で自分が何をしたか、土方がどうだったか思い出したが、この上なく色っぽい土方の姿が思い出されただけだった。

「斉藤、だ」
「……何の用だ。朝まで刀の手入れでも何でもしてりゃいいだろが」

 この失言。つい先刻、わざわざ斉藤のいる場所まで行ったのを、土方は自分で彼に教えてしまったのだ。しかし、それにもまして、斉藤はその土方よりもさらに妙なことを言う。

「刀。…刀…」

 刀は? どこにどうしたんだ? 腰には無い。そもそも、手入れが済んでから、ちゃんと元の姿に戻したろうか。目釘を入れた覚えがないし、鍔をはめた覚えもなかった。

「俺の…刀…。放り出して、来たのか…?」
「…おい」

 それを聞いた土方は、障子の向こうで唖然としていた。




                                      続













 あーーーっと、前後編になってしまいました。

 なんかその…若干は刀のことを調べましたけど、それと死番のこともちょっぴりね。かえって半端に書いちゃったかも? でもホント、私の書き方って、書きたいことを書けるストーリー立てにするのがメインなので、ゴメンナサイ。嘘とか色々あるかも?

 そういうのを気にせず、笑って許してくださる方は、是非、楽しんでいってください。もし、そういうのはやっぱし許せない!凄く気になる!という方がいましたら、すいませんです。うちは、こういう組ノベルだから、としか言えないのですよ。へこ。

 斉藤も土方も、書けば書くほど可愛くなっていくのは、どうしてなんでしょうか。刀のことを失念する斉藤って、どう? 私的にはアリなんだけど、武士としては駄目でしょうね。士道に叛いてます? 笑。

 刀は武士の命。でも土方さんのことは、命より大事だから、ね。そういうことです。うん。そうそう、このノベルは、かなーり前にやってた組ノベルキーワードアンケート「刀」で書いておりますよ。よろしく〜。


08/01/13