此処は石田村、時は晦日の宵である。わいわいと賑やかな宴の最中、土方を呼びにひとりの男が駆け込んできた。

「サイさんッ。来てくれよ、うちのじいさんが…ッ」

 土方は自分の薬箱を引っ掴み、宴の輪を抜けて男と共に行ってしまう。その場にいる人々は、騒ぐのをやめて静かになったが、それもほんの一瞬のこと、何事も無かったように、また美味い食い物やとっておきの酒に興じる。

 タケは自分の目の前に、どんっ、と酒徳利を置くと、それを斎藤へと差し出し、猪口を取れと仕草で催促した。

「まぁ、飲みなよ」
「…でも、大丈夫なんですか、急病人なんじゃ?」
「薬屋はなんも聞かずに走ってったろ? 宴ってなると、毎度飲み過ぎてひっくり返るじいさんがいんのさ、いつものことだから」

 それを聞いて、斎藤もほっとしたように緊張を緩める。そして彼は思うのだ。土方が聞かせたがらない彼の話を、今ならタケに聞けるのかもしれない、と。

「あの、タケさん、さっき言い掛けた話」
「おうっ、丁度いいって言っちゃあアレだけどよ。あいつが戻ってこねぇうちに、ちょっくら端折って話すぜ。よく聞いてくれ」

 そう言って、タケはぐい、と酒徳利をあおった。



 ずっと昔のことは、俺もおやじに聞いたってだけだし、詳しく話すにゃぁちいっと難しいんだけどよ。これはあんたも聞いてるかな。あいつの名前の「土方」は譲ってもらった名なんだと。

 でもその名は、色んな立場の人間にいろんな風に恨まれた名なんだよ。何十年も前の、国と国との争いごとのごたごたのせいだ。

 その頃確かに、大勢の人間が不幸になった。戦では山ほど人が死んだし、戦のあとも、間違った罪を被せられたものもいた。そんでその時罪人として名前が広まったのが「新選組」の「土方」とか「近藤」とかだったって。

 薬屋はなんも言わねぇが、土方って名前を持ってるだけで、毛嫌いする人間は、きっとまだ居るんだと俺は思ってる。それに、どうやら顔まで似てるそうじゃねぇか。俺はあいつよりいくつも年が上だから、よく覚えてんだ。あいつがまだ十幾つくれぇの、ガキの頃のことだよ。

 土方という名前と、そっくりだっていう顔のせいで、あいつはトシゾウの孫かなんかだと疑われちまった。そんならトシゾウは当時、遠い蝦夷なんかで死んでいなくて、石田村の何処かに隠れ、のうのうとしていたんじゃないかって噂が立ったそうだよ。根も葉もない話さ。

 悪者と言われてた新選組。新選組を作って率いてた、局長の近藤っていうのと、副長の土方としぞう。そして、そん時のことをいつまでも恨みに思うやつらは、あいつがちいせぇ頃には、まだ居たんだ。
 
 近藤も、土方としぞうも、もうとっくにこの世にゃ居ねぇ。恨みつらみの行きどころのねぇやつの鬱憤は、まだガキだった薬屋に向いちまった。あいつは村外れで数人の男たちに囲まれ、散々責められた。

 お前の本当の祖父は土方トシゾウだろう。
 土方トシゾウは大勢を不幸にしておきながら、
 呑気に生き永らえたんだろう。
 その名とツラが証拠だ、本当のことを教えろ!
 隠すつもりなら、ただじゃおかねぇ。

 あいつは何も言わなかった。言い逃れしても無駄だと分かってたんだろう。そんでよってたかって乱暴されて、酷い傷を負っちまった。じいさんの太吉は、孫をこんな目に合わせたのは自分だと言って、さすがに暫く土方を名乗れなかったって……。

 俺が話せることはこんだけだ。そっから先はなんもねぇって、あいつは言うが、きっと心配させねぇようにって隠してるんだぜ。馬鹿みてぇに強がりなあいつのこったからよ。でも、本当にそれだけだとしたって、なぁ、分るだろ? 土方の名が、あぶねぇもんだって言うことはよ。



 切々とタケが話すことを、何も言わずにじっと聞いていて、斎藤は体の震えが止まらなくなっていた。猪口に残っていたほんの僅かの酒に、斎藤は口を付けようとし、途中でそれをやめ、その手を膝に打ち付ける。酒は零れて、飛沫が点々と畳に滲みた。

 そのあと、少しして土方が戻ってきたが、彼は何か言いたげに斎藤の方を見ただけだった。そうして注がれる酒を断らず、次々干して、やがては酔っぱらって、眠そうに舟を漕ぎ始めた。

「あーあ、こんなに飲んじまってぇ、サイさん珍しいじゃないかぁ」
「…別に俺ぁは酔ってねぇよ」

 立ち上がるも、すぐによろめいて隣に居た里人に支えられている。

「何を言ってんだか。ふらふらしてるよ。そろそろお開きだから、ねぇ、誰か負ぶって…」

 斎藤は立って行って、土方の傍らに膝をついて言った。

「俺が負ぶいます。さ、つかまって」
「ひとさん、大丈夫かい、あんたは酔ってないの?」
「少ししか飲んでませんし、この人のことは、俺が」
「そぉ?」

 頼む、とも、悪ぃな、とも言わず、土方は斎藤の背中に身を預ける。細く見える斎藤を案じる声も二、三かかったが、彼はよろつきもせず土方を背負い、皆に宴の礼を言って、すっかり更けた夜道を歩き出した。

 小石を踏む、じゃり、じゃり、という音、草の葉が風に揺れる音、すぐそばを流れる浅川のせせらぎ。何十年も前からきっと変わらないその音を聞きながら、斎藤は何も言わない。でも心の中は、おさまらない怒りで千々に乱れていたのだ。

 まだ子供だったこの人を、
 大人が寄ってたかって追い詰めて、
 間違ったことを勝手に決めつけ、
 乱暴して、酷い怪我をさせ…。

 その時ついた傷はきっと、
 体にだけではなく、
 きっと、心にも。

 何故その場に居なかった。そう斎藤は思ってしまう。そんなずっと以前の石田村に、自分が居られるわけがない。それでも、傍に居たかった。不可能でも、無理でも、なんでも。俺が守りたかった。もう、この人の体に、心に、傷のひとつもつけたくない。

 その時、背中で声がした。

「随分静かだな」
「……」
「平気か、おめぇ?」
「何がですか?」

 酒が入っているからなのか、土方の体が少し熱いように思った。その熱を、斎藤の体に移すように、彼は言う。

「俺が、欲しいんだろ?」

 一歩一歩を数えるように夜道を歩きながら、斎藤は真正直に返す。土方の声は、それほど酔っているようには聞こえない。

「平気じゃあないですよ。でも、今は、違うことを考えてました」
「…タケさんに何を聞いた? きっと余計なこと聞かされたんだろ」
「余計なことなんかじゃない。大事な話でした。聞けてよかった。だから…俺はもう、あんたを『土方』と呼ぶのをやめます。あんまり浅はかでした。ずっとあんたを危険にさらしていた」

 斎藤は足を止め、一息にそう言い切った。彼の背中でその言葉を聞いた土方は、一瞬黙ったあと、笑い交じりの声で言う。

「今更何言ってんだ。そんなもん、必要ねぇって」
「いいえ」
「道場のみんなも、俺ぁのことをそう呼んでる。全員に口止めする気か? そんな面倒くせぇこと」
「いいえ…っ」

 斎藤は荒い息を、必死で押し殺しているようだった。体は震え、きっと顔を歪めているのだろう。土方はそんな斎藤に負ぶわれたまま、手を前へとまわし、彼の体を静かに抱いた。そして、目の前にある露わな項に頬を寄せる。

「落ち着けよ。いっぺんさ、その妙な考えは他所へ置いとけ」

 土方の手が、斎藤の髪をそっと撫でる。触れられて、優しい指先を感じ、斎藤の胸は騒いでしまう。そのうえ土方は、斎藤の首筋に、軽く唇を触れさせたのだ。そうやって、話を逸らそうとしているのだと、斎藤には分かってしまった。

「…ちゃんと、聞いて下さい」
「うわっ!」

 斎藤は揺く体を捩じるようにして、土方の体を地面へと落とした。いきなりのことに驚いて、土方は受け身を取るどころではない。 

「いっ、てぇじゃねぇか…っ、このッ。…あ…っ」

 悪態を吐きかけて土方は突然黙った。たった今、自分を振り落とした斎藤が、両の手で彼の体を押さえつけていたからだ。

「…守りたいんです、あんたを」
「そんなもなぁ…」
「守らせて下さい。きっと、その為に出会った。過去を、繰り返さないために」

 斎藤は土方の体を、強く強く抱きしめる。息の止まるほどの抱擁を、その想いを、土方は全身で感じて、ふと、遠い昔のトシゾウとハジメのことを思い出していた。

 よく、置いて行った。
 きっとハジメは、トシゾウのことをこんなふうに、
 もしかしたら、これ以上に思ってたんだろう。

 二度と会えないかもしれないと、
 きっと分かってた筈だ。

 なのに。
 よく、置いて行けた。

 その時のトシゾウの気持ちを知りたいと思った。いつか自分も夢で見るのだろうか。斎藤が夢でみたのと同じように。そして、トシゾウがどんな思いでいたかを知って、それを理解できる日がくるのだろうか。

 自分を抱く斎藤の体を、土方は力ずくで押し剥がす。そして、じっと斎藤を見つめ返して言った。

「タケさんが話したことは、二十年近く前のことだよ。あんなことはもう二度とねぇさ。なぁ、俺はおめぇに『土方』って呼ばれんのが好きだ。だからこれからもそう呼んでくれ。俺も、お前を『斎藤』と呼ぶ。誰に何を思われようと、どうだっていい」
「…土方さん。あ…」
「おう。それでいいんだよ」

 にっ、と笑って、土方は身を起こす。気付けば風の中に、細かい雪が混じり始めていた。

「帰ろうぜ、斎藤。こんな寒空の下で転がっていちゃあ、風邪どころじゃすまねぇよ。里の誰かに見られたら、ちょっとばかし困るしな」

 土方は、すくっと立ち上がって、さっさと歩き出す。その姿の何処にも酔った様子が無くて、斎藤は溜息を吐きながら追い掛けた。

「酔ってなかったんですね?」
「酔いがさめるようなことを、おめぇがするからさ」

 声は笑っているのに、夜道で振り向く顔が、暗さのせいでよく見えない。顔が見たくてすぐ隣に並んで、そんなふうに二人並んで歩けることを、幸せだと斎藤は思った。

 あんたを守る。
 そのために、傍に居る。
 この先、ずっと。
 


 続



 

 
 

  
 亀のような遅いペースで、それでもなんとか書き進めております。今後二人がどんなふうに、どんな気持ちで生きていくのかが、それでも少しずつ決まって言っているように思う。もう少し、昔のことが書きたいなとも思っているんですよねー。幕末の彼らのこと…。
 
 時差は随分間が空きましたが、他の組小説をブログやpixivに載せていますので、よかったら読んで欲し―っ。ではでは、また次の小説でお会いしましょうっ。




2024.08.18









時差邂逅