「約束、しますよ、土方さん」

 そう言った斎藤の背中を、土方はぎゅっと強く抱いた。心の中で彼は思っている。

 見てろよ、土方トシゾウ、今こいつの胸ん中はおめぇで随分占められてるかもしんねぇけど、そんなのは今だけだ、すぐにひっくり返してやる。だっておめぇは遠い過去の人間だもんな。そんでおめぇのことはずっと、魂削るみてぇにして斎藤ハジメが想ってたんじゃねぇか。そのうえこいつのことまで虜にしてるのなんざ、この俺が許しゃぁしねぇ。

 目を閉じて、土方は斎藤の鼓動を感じていた。その体温はあたたかくて、そんなことが心底嬉しい。互いに生きてるうちに離れ離れになって、遠く離れたまんまで片一方が死んだ、そんな不幸は俺らとは関係がない。

「なぁ、斎…」

 背に回した腕を少し緩め、何かを言い掛けた時だった。ぱんっ、といきなり戸が開いて、近所の女が顔を見せたのだ。

「薬屋さんあのさぁ、今夜のことだけどっ、芋のさ。……なにやってんだい? あんたがた」

 女が覗き込んだ部屋の中、斎藤は隅の方までごろごろと転がっていき、土方はたった今、斎藤を勢いよく蹴飛ばした仰向けの格好のまま、目を丸くして彼女を見ていた。

「こ…これは、その。あれだ。寝技の鍛錬だよ」
「ふぅん。でも囲炉裏の傍でやるのは危ないから止したがいいんじゃあ? それより今夜のことだよ」

 転がっていった斎藤が、自分に蹴られてなんでもなかったかどうか、横目で見て確かめながら、土方も何も無かったような顔で起き上がる。

「そういや今日は晦日だもんな。芋がどうしたって?」
「芋の煮っころがしを作りたいんだけど、うちの竈は飯を炊くのと煮物をすんので塞がっちまうから、あとでここのを貸してくんないかと思ってさ。それとね、手が空いてたら皮むきを頼めないかい?」
「おう、煮っころがしなら俺とこいつで作ってやらぁ。芋ぉ置いてけよ。あと俺はいつものように美味い沢庵を持ってってやる」

 そりゃ悪いねぇ助かるよ、などと言いながら、女は芋が山のように入った麻袋を、二人に預けて帰っていった。

「こんなに作るんですか? 芋の煮っころがし」
「あぁ、そうだ。いっぱい作る。晦日の夜は里の二、三軒の家に分かれて集まって、賑わしく飲み食いすんのが村のお決まりでな。だから食いもんや酒もみんなで用意すんのさ。俺とおめぇはタケさんとこに行くことになってるからな」

 土方が当たり前のように言うと、斎藤は隠し切れず嬉しそうにしつつ、余所者が混じっていいかどうかを気にしている。

「俺も、いいんですか?」
「いいんだいいんだ。おめぇの顔はもうみんな知ってるし。てぇか、みんなが集まる宴の夜によ、おめぇだけ一人ぼっちにしとくなんざ、俺が嫌だ」
「でも」
「でももへちまもねぇんだって。早いとこ芋の皮剥いちまおうぜ」

 二人は寒い土間から部屋の中に芋を移して、それを真ん中に向かい合うと、小振りの包丁でもって芋の皮を剥いていく。

「おっ、うまいもんじゃねぇか、負けねぇぜ」

 手の中でくるくると、芋を回すようにしながら器用に向いていく土方。斎藤はそれとはちょっと違うが、戸惑うことなく次々剥いていく。最後の一個には同時に手が伸びて、指と指とがぶつかった。

「あ」
「おっと、悪ぃ。じゃあ、俺は竈に火ぃ入れっから」
「足はもう大丈夫なんですか?」
「こんくれぇ平気だ」

 土方はそんなふうに言うが、土間に下りるのを見ていたら、片足を庇うように動いている。

「もう剥けた。だから俺がやります。土方さんは見ててくれたら」
「…じゃあ、頼むかな」

 意地を張ることなく譲る土方の様子を、斎藤は少し珍しく思う。竈に火を入れて火加減を塩梅し、小さめに割った芋を鍋に投じた。そんな斎藤の後ろ姿を、土方はじいっと眺めるのだ。背中にずっと視線を感じる斎藤は、正直やりにくくて仕方がなかった。

「なんでそんなに見るんですか」

 いつかのように斎藤が言えば、土方は、ぷ、と軽く吹き出して言い返す。

「見てろ、って言ったのお前ぇじゃねぇか」
「そう、ですけど」
「…おめぇの立ち姿、背筋がぴぃんと伸びてて、それが真っ直ぐ首まで続いて。前から思ってたけど、見栄えがいいよな。すらっと背ぇが高くて細く見えるが、背中とか肩とか、手でこう、触った感じはがっしりしてて」

 土方の言葉を聞いているうちに、斎藤の背中には微妙に力が入ってくる。嬉しくはあるのだが、それ以上に緊張と動揺で、茹で加減や味付けを失敗しそうで困る。

「そんなに、触られたりとか、ありましたか」
 
 何気なく問うその言葉に、土方は斎藤と暮らし始めてからのことを考える。斎藤の背中や肩に触れたことぐらい、いくらでもあると思ったのだが、思い返すと案外出てこないのだ。道場で触れ合わせるのは竹刀と竹刀。それ以外の時にだって、べたべた触れたことなんか、そうは…。

「どう、だったかな、覚えてねぇや」

 言ったばかりの言葉を取り消すようなことを呟いて、土方は、ふい、と視線を横に逸らした。本当はそれがいつのどんな時だったか、ありありと思い出している。

 怖い夢を見て、宥めるように斎藤の腕に包まれたあの時。この家で、熱を出し意識の無い斎藤の体を、抱いて温めた時。そして昨日、河原で。あとは、ついさっきだ。その温度や、伝わってくる息遣いを思い出していると、なんだかそわそわしてしまう。

「芋、煮えたかよ?」
「そんなすぐは煮えないですよ、まだ湯が沸いたばかりです」
「だよな」

 土間へと下りて寄っていき、ちら、と鍋を覗き込んだと思ったら、土方はそのまま外へ出て行こうとした。

「どこへ行くんですか?」
「いや、手が空いてっから、タケさんとこにでも行って様子見てくっかなって」
「此処に居て下さい」

 真っ直ぐにそう言われ、出て行こうとした足が戸口で止まる。

「なんで」
「味見して欲しいから」
「……そんなもなぁ」
「里の皆さんが食べるんでしょう? ちゃんと美味しく作りたいんです。だから」

 土方は首の後ろをぽりぽりと掻いて、仕方なさそうに家の中に戻ってきた。

「犬っころ」
「え?」
「飼い主が大好きな犬みてぇだな! おめぇよ」

 言い終えてから、土方はちらと斎藤の顔を覗き見る。そういえば、前にも犬みたいだと言ったことがあった。でも今のはその時と少し違って、自分を飼い主に当てはめた飼い犬呼ばわりだ。さすがに酷いかと思ったが、斎藤は目元で笑みながら隣に居る土方を見ているのだ。

「俺は、あんたの犬でいいですよ、傍に居てくれるんだったら」
 
 言われた途端、土方の首筋がすうっと赤くなり、その赤が耳たぶまでを染めていく。

「…ばっ、か、お前…ッ、そういう時は少しは怒れ!」
「怒る理由がない」
「さ、い…っ。あぁもうっ。そろそろ味のつけどきじゃねぇかっ? おらっ、醤油っ」

 などと、土方ばかりが散々騒ぎながら、山盛りの芋の煮っころがしが、美味そうに出来上がっていくのであった。






「今年も無事に年が越せそうだなぁ、いやぁめでたい、めでたいっ」

 宴の席である。村長の家と、タケの家。それとあともう一軒が、毎年晦日の宴の家となり、里中の人間が分かれて集まって、夜がすっかり耽るまで、喰ったり飲んだり騒いだりの大騒ぎ。

 斎藤は土方と一緒に、タケの家の宴に混じって、威勢よく燃える囲炉裏を囲んだ輪を作っている。

「おっ、芋の煮っころがしがいぃーい匂いだねぇ。どらっ、ひとつ」

 大皿に積み上げたころころの芋、まだほのかに湯気を上げているそれへ、ひとりが箸を伸ばして食べた。ぱぁっと目を輝かせたのを見て、左右から別の箸やら指が次々伸びる。

「こりぁうめぇっ」
「ほっくほくじゃないの」
「えっ、どれどれっ?」
「美味しいねぇ、誰が作ったのこれ」

 口々に。すると囲炉裏の向こう側、奥の方に座る土方が自慢げに言った。

「おうっ、うめぇだろ、それはそこの斎藤がうちの竈で作ったのさ」
「へえーっ、凄いねぇっ」

 また左右から芋の山へと向けて箸が伸びるのを、土方は少し焦った口ぶりでからかう。

「おめぇら芋ばっか喰うんじゃねぇや、俺の分がなくなっちまわ。皿にとって、こっちもに寄越せよ、そこの一番美味そうなとこ、それそれ、その大きいの」
「薬屋さんはさっき自分で取って食べてたじゃないか、食べ過ぎだろぉ?」
「そうだっけかあ?」

 土方は隣から里の若いのに腕を引っ張られつつ、逆隣から女に酌をして貰っている。それを見た他の女らも、彼に酌がしたくて寄っていく。幾人もの里人に囲まれてもみくちゃにされている土方を、囲炉裏のこっちの遠くから、斎藤はずっと見つめていた。

 土方が遠くに座っていることに、特別意味なんかないだろうけど、どうして隣に居てくれないのか、などと、子供じみた不満が頭をもたげてしまう。

「ええっと、ひとさんって言ったかい?」
「え、はい」

 近くに座っていた男が、ひょうたん徳利を片手に斎藤の隣にやってきた。猪口が足りていないので大きな湯飲みに酒を注いで、それを斎藤に押し付ける。

「あんた強ぇんだって?」
「え? お酒は、そんなに」
「じゃなくってよぉ、薬屋があんたに習ってるって言うじゃないかい、これ」

 竹刀を振る仕草を見せられて、斎藤は不器用に返事する。

「いえ、小さな道場はやっていますけど、試合したら、土方さんには押されるときもあります。あの人は強いですから」
「……ふぅん…」

 斎藤の言葉を聞いた里人は、なんとなく物言いたげな顔をした。囲炉裏の火で焼いている干し魚を一尾取って、かぶり付いているその男の向こう側から、タケがひょいと顔を出してこう言ったのだ。

「なぁ? 気になってたんだけどな? 薬屋のヤツのこと『土方』って呼んでて、その…心配だったりしねぇのかい?」
「心配?」

 聞き返しながら、斎藤は今更のようにはっとする。

「今まで何も、ないですが、そう呼ばない方が…?」
「うーん、そうさなぁ。あいつがいいって言うんなら、別に。でもよ」

 タケは斎藤のすぐ隣に、無理やり身を割り込ませ、内緒話でもするように声を低くしたのだ。

「名前のこと、少しはあいつに聞いてんだろ?」

 賑やかな宴の最中だ、囲炉裏の火は音の聞こえるほどごうごうと燃え、笑い合う声や話し声など飛び交って、内緒話をするようなタケの声が、届いたとは思えないのに、その時、土方が遠くから言ったのだ。

「タケさん、そいつに余計なこと言わねぇでいいからな」
「余計じゃねぇだろ。里の為にも、おめぇの為にも、大事な」
「だから、それが余計だって」

 家の中が、少し静かになったその時だった。

「薬屋は此処にいるかいっ、あぁ、居た居たっサイさんッ。来てくれよ、うちのじいさんが…ッ」

 突然転がり込んできた男が、酷く焦ってそう言った。きっと急病か怪我人だろう。土方は顔を引き締めてすぐに水を一杯飲み干し、薬箱を引っ掴むと、男と共に行ってしまったのだ。







 

 
 
 久しぶりに書いた最新話に、なんの盛り上がりもないっ。難しかったんですよ、ご容赦くだされーっ。あぁ、宴の後の部分が早く書きたいな、書きたいなーっっていうね。

 っていうか、最近いろいろが忙し過ぎて、小説を書くこと自体久しぶりでしたので、書き方を忘れているかどうかが心配でした。書けてよかったですー(T T) このヘタレな惑い星め…しっかりしやがれぇぇぇぇ。



2024.04.13






時差邂逅