幾 鳴 幾 夜 四
かちん、と小さな音立てて、硝子の器と銚子がぶつかる。傾けた銚子の中から、金色をした綺麗な酒が注がれていく。そこへ氷を一つ二つ入れて、土方はそれを島田の手元へと差し出した。
勧められた椅子に座って、すぐ目の前にいる土方の真正面で。こんなのは、ほんとは俺に許されることじゃあないのだと、どうしても島田は思ってしまって、気付けば少しずつ椅子を後ろへ下げていく。それでいて、考えないように、考えないように必死になればなるほど、島田は己の「知っていること」を頭の中で何度も思い出して繰り返していた。
京の頃、どれだけ「鬼」と恐れられようと、この人に憧れるものは少なくなかった。若い隊士は頬を染めて物陰からこの人を見たし、そうでなくとも平隊士の中には、妙な妄想をしたり、よからぬ夢をみたりしているものもいたらしい。
島田は隊長格ではなく、無口で無害に見られていたから、そういうことが耳に入ることもあった。自分も密かに思っている人のことなのだから、嫌でも色々と目に止まるし、耳にも届くし、気付いてしまう。あのことも…。
だが「知っていますよ」などと、自分は恐らく、口が裂けても言うまい。女と噂の一つもなく、勿論、衆道の匂いもさせなかった土方が、彼と同じくそういうことに無関係に見えたあの男と、本当は…。
一度、実際に見てしまったこともある。胸が痛くなるほどに、互いに心を傾けあって、口を吸い合うふたりの姿を。
あれはいつのことだったか…。そう、斉藤一が、伊東らに従う振りをして、暫し組を離れている間のことだ。連れ合い茶屋の戸口を入ってすぐの場所で、長い暖簾が、つい、と引っかかって二人の姿を隠さずにいたのでなければ、島田がそんな場面を見ることもなかった。聞こえてしまうこともなかった。
『長ぇな…ぁ…』
『ああ、気が変になりそうだ。あんたを欲しくて欲し…』
『言うな…っ、斉…藤』
ごく、と喉を鳴らして唾を飲んで、島田は卓の上にある右手を、ぎゅ、と強く握り締めた。指先が自分の手のひらに食い込んで痛かったが、その痛みで、今だけこの記憶が薄れてくれやしないかと思う。
多摩の頃から、この人の傍にいた沖田さんも想ってた。どんどん隊士が増えると同時に、この人を想っていた人が、いったいどれだけいたのか。俺も…俺もずっと想ってた。自身で気付いたときは、動揺はしたが、おかしいとは欠片も思わなかった。
それどころか、想いは膨らむばかりで、ただの憧れ、なんていう、きれいなものでは済まなくもなって。
また、ごく、と喉を鳴らしてしまって、島田は誤魔化すために酒を口に含んだ。飲み干して喉を潤せば、少しばかりほっとして、やっと土方の顔が見られる。
「何、考えてる? 島田」
「…え…、いえ、あの…。あまり、召し上がらないんだな…と」
「俺ぁはそんなに強くねぇんだ。知らなかったか」
知っています、とてもよく。心ではそう思っている島田を、土方はいつもは青白い顔をほんのり染めて、つい、と視線を落として言った。
「お前、強そうだなぁ。京で宴会の席なんかでは、ずっと端っこの方にいっつも座って、目立たなかったから、飲んでるのは初めて見たかもしれねぇが」
「そうですか」
「酒に強いってのは、いいもんか? 体が大きいからなんだろうか。そういうのとは関係ねぇのかな」
「……さぁ、よく、判りません」
そう言ってしまってから、島田は思わず土方に詫びた。詰まらないでしょう、と、そう言って、気の利かないことを謝った。
「俺などより、もっと会話に長けたものの方が、貴方の気持ちを紛らわすことも出来るのに、不甲斐なくて、申し訳も…」
「別に、話術巧みなやつがいいわけじゃない」
遮るようにそう言って、土方は少し、寂しげな顔になった。いつまでも島田が、畏まっているのが気になっているのかもしれない。卓の上に落としている彼の目が、今までよりも潤んでいて、多少酔っているようにも見える。
「……少し…寒いな…」
唐突に土方はそう言って、椅子を立った。部屋が寒いとは思わなかったが、それは島田が酒を多くあおっているからだろうか。土方は窓の傍まで行って、少しの間じっとしていた後で、すい、と両手を腰の帯にかけたのだ。
「……着物が濡れてるから寒いんだ。着替える」
「え…っ、じゃあ、俺、部屋の外に」
「馬鹿。必要ねぇ、女じゃあるまいし」
短く叱責して、土方は帯を床に落とす。がた、と椅子を鳴らして立ち上がり、島田は土方のいる方に背中を向ける。そして島田は思う。いつまで背中を向けていたらいいんだろう。着替え終えたらそう言ってくださるだろうか。こっちを向け、と声がかかるだろうか。
「島田」
「…はい」
着替えが終わったのかと思って、身を返し、彼の姿を見た途端。心臓が誰かに、ぎゅ、と掴み締められたような気がした。呼吸も出来ないほどの動揺が、島田を溺れさせた。土方の、傷ひとつない真っ白な背中と、細い腰の括れが、彼の見開いた目に映っていたのだ。
「さっき、俺ぁを、守りてぇと言っただろう。自分しか守れねぇと」
「…い、言いました」
「どういう意味だ? 悪ぃが、お前より腕のたつものもここには沢山いるが」
「すみません、ただの…。ただの…っ、思い上がりで」
目が逸らせない。なのに土方が自分で着物を押さえた手は緩んでいく。ただでも背中と腰の細いところまで見えてしまっているのに、もっと、もっと見える箇所が増える。する…と着物の布地が下へ滑って、土方が下帯をつけていないことまでが知れた。
「か…風邪を。お風邪を召します、は、早く何か…」
「そうだな。寒い。…島田、少し、こっちにこねぇか?」
眩暈がする。こめかみまでがズキズキと鼓動して、目を逸らさなければと思うのに、貪るように見てしまっている。肌の白さ、すべらかさ。黒い髪との色の差が、目に刺さるほど眩しい。
既に土方の尻の上半分が、島田の目に触れていて、目が潰れそうだ、と彼は思っていた。
「お、お許しください。…出来、ません…っ」
「許す許さねぇとか、そういうんじゃぁ、ねぇよ。言い方も悪かった。こねぇか?じゃなく、来てくれ、頼む」
もう言葉も出なくなった島田へ、さらに土方は言った。酷く小さな声だったが、聞き取りにくくはなかった。何かを、もう、確信している声だった。島田にはそんなことを判る余裕もなかったけれど。
「来てくれ、島田。寒ぃんだ…。だが、服がどうとかは関係がねぇことだ。俺ぁなぁ、一人だから、ここんとこがずっと寒いんだよ。穴が開いたみてぇで、埋めるもんが欲しいと、もう随分前から思ってた。そんな相手も今はいねぇから、凍えたまんまでしょうがねぇって、諦めてたのに、島田、おめぇが…」
言い終えてから、土方はゆっくりと振り向いた。着物を両手で掴んだまま、へその下あたりで押さえている。
「そんな目ぇ見開いて、瞬きくらい、したらどうだ…? 俺ぁは消えたりしねぇ。…俺の傍から消えちまった、あいつや、あいつや、あいつみてぇに、消えたりしねぇけど…待つのは苦手だ。…島田」
その時、窓のひさしの上から、雪の塊が落ちた。島田は飛び上がるほど驚いたが、土方は少しも動じず、数歩後ろへ下がって、窓へ裸の背中を近寄せた。島田は急にそわそわしだして、こんな場合だというのに、こう言った。
「あ、あまり、窓に寄っては…。そ、外から見えますから」
「外? こんな時間に、誰がいる? そんな酔狂なやつぁ…」
「俺が…っ、俺がよく、こういう深夜にもこの窓の明かりを、み、見てましたからっ」
叫ぶように言った島田から、土方はやっと視線を離して、傍らの椅子に腰をおろした。ぎし、と音が鳴って、椅子が彼の体を受け止める。脱いだ着物を、下肢にだけまとわりつかせた姿だったから、その裾が割れて、片方の膝から下があらわになった。
「だったら…。あぁ、俺も相当だが、お前も随分と頑固ものだ。それと、俺が矜持が高ぇだなんて、お前ぇは思ってるかもしれねぇが、そうでもねぇんだ。どうせ農家の倅だからな。だから、もう、言っちまう…。島田…」
しっとりと濡れたような声で、土方は言った。聞きながら、耳がとけてしまいそうだ、と島田は思った。この人に頂いた、あの飴のように甘くて、味わえば二度と、知らない頃には戻れなくなる、と。
「島田…。俺ぁは、男が…欲しいんだ」
だが、言った後で土方はがくり、と項垂れた。きつく噛んだ唇が、真っ白くなって震えているのが判った。こんな言葉で誘うのは、酷く嫌だったのだと、体全部が訴えている。歯を食い縛って屈辱に堪えて、恨むように彼は島田を睨む。
土方の後ろに見える窓の外には、変わらずに雪が降っていた。裸に等しい姿の土方が、震えているのが痛々しい。
自分は体が大きいから、抱き締めれば暖かさを分けることができるだろう。願いを叶えて差し上げたい。ずっと付き従うと決めた部下の、これは役目だ。何であろうと、否など言えない立場だ。
いいや、違う。
自分が欲しいのだ、この方を…!
続
悩みすぎですよ! 島田さんっ。書いてても焦れるんだから、読んでる人があきるじゃないですかっ。(←島田さんのせいかよ)斉藤さんと恋仲だったことのある土方さんは、押し倒されたり犯されたりするのに慣れているんであって、我慢には慣れてないんだってば。もう欲しいっつってんだろ、このやろー!的な。あははははー。
島田さん、ヤっておしまいなさいーっ。
↑ふざけたコメントで申し訳ありま千!
10/06/12
