幾 鳴 幾 夜  二 







武人とは思えぬほどに、白くて美しい手。指が細くて華奢で、いつかどこかで見た白い花を思い出す。ぼんやりと、暫しその手を眺めていてから、島田は顔を上げて土方を見、そしてまた視線を彼の手へと落とす。

 あまりにも色鮮やかな緑の包み紙の中身は、またさっきの甘い飴なのだろう。そんな色の付いたものを摘んでいると、ますます土方の指が白く見えた。ほとんど透けてしまいそうなほどに。

 島田の沈黙をどう思ってか、土方は言う。

「いらないか…。まぁ、男がそんな女子供のように、甘いものばかり好むのもな」

 言いながら零れる、寂しげな笑い。誰のことを思っているのか、判りたくなくても島田には判る。ここにはいないもののことだ。それどころか生きてこの世にはいないもののことを。さっき言っていた「無口」な誰かというのも、多分、誰のことか島田にはわかっている。

 その誰かと、甘いもの好きの誰かと、そうして彼がずっと傍らにいて支えてきた男。その誰もが、今は彼の傍にはいないのだ。それを思えば島田は胸が苦しくなる。自分ならば、何があろうとお傍を離れはしない、と、そう思い続けた強い気持ちが心で揺れた。

「酒なら…? 酒は俺は、それほど強くはないが…」
「…もし、お許し頂けるなら、今度、ご相伴に」
 
 島田はそう言った。

「そうか。なら、今晩にここへ来てくれ。夜に…少し遅くなってからでもいい。その方が多分、邪魔は入らない。何、この分だと明日までも雪は降り続く。それに、夜くらい、好きにしててもいいだろう」

 そうであるように、と、島田も願った。重く重く白く、何もかもをどこかに閉じ込めてしまうような雪が、とてもいいものに思えた。土方の部屋からの帰り道、降り頻る雪の中で空を見上げると、白くて広い空を落ちてくる雪は、白い筈なのに何故か灰色に見える。

 おさびしい の ですか … ?

 そう聞いてしまった言葉を、あの方は咎めなかった。そうしてほんの少し、うっすらとだけれど笑った。

 どうしてなのだろう。島田は思う。答えは出ない。それでも考えた。雪の中に一筋の歩む跡を印しながら、ずっと思って、自分に与えられた、他の隊士との相部屋に戻っていく。部屋へ着いて、自分の持ち物の傍に座ろうとして気付いた。

 いつの間に受け取ったものか、腰の帯の中に、あの包み紙に包まれた飴が一つ。紙を広げると、彼自身の体温で温まったせいで、飴は少し溶けていた。折角だからと包み紙を解くのだが、溶けているから紙がくっついて中々剥がれない。

 大きな体を小さくかがめて、それでも苦心して紙をはがし、それを口に入れた途端に、島田は何故か、どきり、としたのだ。甘い、甘い味は、さっき食べたときと変わらない。ただ、少しばかり溶けていて、舌に粘つくだけの差なのだが、それが…。

 いけない、ことを、しているような気が、してしまう。己の舌の上に、副長から頂いた飴をのせて、あたりまえのように、その味を感じて、それを喰らっていることが。

 でも、口から出して捨てる気にもなれなかった。

 どくん、どくん、と胸が鳴る。体は少しずつ熱くなり、そう…少し調練の場にでもいって、この冷え込む中でも汗ばむくらい、体を動かしたかった。そうでなければこの…、この「してはならぬ事をした」ような気持ちは、どうしても消えない。

 お寂しいのですか?
 それなら、俺が…

 ああ! なんという…っ。こんなことを、思うなんて、もう、気安くお顔を見ることもならない。気付かなければよかったものを、あまりに唐突に、島田は気付いてしまった。

 お寂しそうなあの方を、どうにかもう少しでも、晴れたお気持ちにしてさしあげられないかと、そう思うばかりの、ただの忠心では…これは、ないのだ。けして、ないのだ…!

 飴は、変わらずに甘い味がした。島田の口の中、舌の上で、舐め絡められながら、甘い味を滲ませて、だんだんと形を変えながら溶けて小さくなる。そうしたくもないのに、口の中で転がすと、纏いつくように甘みが増して、ますます島田は居た堪れない。

 おさびしいのですか
 おさびしいのですか?
 貴方の傍にいたものたちは、今はいないから。
 お寂しいのですか? 
 この島田でよければ…お相手を…。

 ごくり、と島田は飴を飲み込んだ。そして目を閉じて、震えた。不器用ものの、この俺が、万に一つもあの方を、お癒しすることが出来るなどと、そんなのは愚かしい思い違いに決まっている。

 だけれど、それならばどうしたら。
 どうしたらいいと、言うのだろう。
 
 ここにいない彼らの、その穴を埋めることを。


  * ** ***** ** *


 からら からららら から …

 氷は、たくさん、沢山あった。外は寒いのにこんな冷たいものを飲むなどと、異人の考えることは奇妙だと思う。外の雪の中に、水を張った器に蓋をして置いておけば、いくらでも氷は作れるのだと聞いた。

 それを器から取り出して砕いて、透き通った「硝子」と呼ばれる茶碗に入れて、そこへこの金色をした酒と、水とを入れて混ぜて飲むと、良いのだと言う。

 水や氷の量は、好みで変え、さらにこちらの果物の汁を入れるといいのだそうだ。共にいて作ってやろうといわれたが、それは丁重に断った。島田と約束したのだから、他のものは居ないほうがいい。

「それにしても、遅い…」
 
 少し遅くなってから、と、そう言ったのは自分だが、もうそろそろ夜半にも近い。来ないかもしれない、と、そう思えてくる。

 からら

 器を揺らすと、中で氷がぶつかり合って音を鳴らした。甘たるい異国の酒は、甘みのあるくせ弱くはないようで、少し、体がふわふわしたようになる。気持ちが悪いわけではなかったが、一人より、誰かと居たい、と、さらに思った。

 呼びに行かせようか。

 誰に? もう小姓は土方の言いつけで先に寝てしまった。こんな夜半に、島田のいる宿舎の方へ一人で行くのは気が引けた。それに、島田の部屋がどれなのか知らない。

 からら から

 氷を鳴らす。一人では広いようなこの部屋が、ますます広々と寒くなる。


 おい、飲みすぎるなよ、歳。お前は弱いのだからな。

 一人酒ですか。お茶菓子でも用意して、私を呼んでくださいよ。

 土方さん…。

 
 声が聞こえる。二人分の声。そうして今一人は、ただ名を呼んで、小さく首を傾げて彼を見た。

 からら からららら

 自分は酷く、弱くなったと思う。いいや、そうではない、もともと弱いのだろうと思う。今まで支えとも思っていなかった支えに、いつも半身を任せてきたのだ。それとも相手を支えることで、自分も立っていた。或いは本当に、弱みも知られてすがってきた。 

 お寂しいのですか … ?

「何を言やがる、俺のどこが…」

 からん

 机の上で器が倒れた。酒は飲み干していたが、残っていた氷が零れ、そのままそこで溶けていく。

「………っ…」
 
 呼んでも来ないものの名を、今更呼ぶのは嫌だった。苦しいだけだと判っている。

「…島」

 そのとき、静かに、扉を叩く音がした。


 
















 あまりに間が空きすぎて、続きをどうするつもりだったか、思い出せなくなっておりました。が…がーーーーーーーーーん。というか、続き? 考えてましたっけ? 考えてなかったのかもしれない。どんだけ考えても思い浮かばなかったんだもの。ものの十五分くらいしか考えてませんけど、すぐに諦めてしまいましたとさ。

 つまり、改めて考えて書いたということで、まぁ、いつもとあまり変わりゃあしません。ただ、島田が…なにか、飴を食べつつ、思いに変調をきたしたようで、書いてて驚いたってくらいのことです。

 飴を食べながら青くなったり、赤くなったり、震えたり、ぶつぶつ言ったりしたら、同室の人がびびるから、気をつけようよ、島田さん。

 そして土方さんが飲んでいるのは、何? 水割り? うーーーーーーーん、気にしない方向で。昔はなんか、そんなのがあったんだよ。そしてそれは、えのもっさんからとかの貰い物だと思うよ。

 き、気にしない方向で。ではでは。←逃げてます。




10/04/15