幾 鳴 幾 夜  一






 寒い雪の日だった。島田は呼ばれてもいないのに、土方の過ごす部屋の前を、今日はもう三度も通ってしまった。だからといって声も掛けられず、ただ熊のように、行っては戻り、暫し時間をおいてまた近付いてゆく。

 昼間、常以上に寡黙で、蒼く見えるほど顔の白かった土方のことを、平隊士たちは「今日はまた一段と綺麗だ」とか「きっと足が痛むんだろう、お可哀相に」だとか、勝手なことばかり、遠巻きに囁いていて。

「ええぃ…っ」

 勇気を出す為にの掛け声を一つ。それから咳払いなどして、声を掛けようとした、その時だ。

「島田か? そうだろう? どうかしたか、報告か?」

 聞いただけで、どきり、としてしまう声が聞こえた。さっきの掛け声が、しっかりと土方の耳に届いたのだろう。少し大きな声だったから、それも当然と言えた。

「い、いえ。そうではありませんが…」
「…あぁ、俺に用というわけじゃないのか。悪かった。呼び止めて」
「あ。は…」

 京の頃からの癖で、床に膝をついてしまった島田は、扉のすぐ前までにじり寄り、霧散しかけた勇気を掻き集める。俺とてもう、この方と少しは古い付き合いなのだ。身分とかどうとか言って、いつまでも惑っていては何も…。何も守れやしない。

「あの…その…。す、少しお話を…」
「…そうか。あぁ、構わん。入れ、鍵は掛けていない」
「し、失礼致します」

 立ち上がって扉を開けて中へと入り、顔を上げて見た土方の姿に、一瞬島田は言葉を何処かへ失くしてしまった。総髪で、黒い異国の服にきっちりと身を包み、黒塗りの机の傍の、同じく黒塗りの椅子に掛けた土方が、見慣れぬ誰かかと思ってしまう。

 今もまだ、島田の中の土方は、長い髪を高く結った着物に袴の姿でいるからだ。

「どうした、しっかりしろ、島田。何か内密に告げたいことではないのか?」
「え…っ? いえ、いいえ、そういうわけでは」
「なら、どういう用で来たんだ」

 責めるように言いながら、土方は机の方へ顔を向け、島田から視線を離してしまう。怒らせてしまったかとうろたえそうになり、寸でのところで彼は気付いた。じっと硬い表情をして、前を見ている土方の目が、少しばかり赤いのだ。まるでたった今まで、泣いていたように。

 ごくり、と島田は息を飲んだ。昼間見たこの人の儚げな様子は、見間違いではなかったのだ。寂しそうで、今まで以上に脆く見えて、もしも自分がそう出来るなら、支えたいと島田は思った。

 近藤も、沖田も、そうして斉藤一も、今はこの人の傍にはいない。だから、役不足でも不遜でも、ここにこうして来られるのは、自分しか…。

「俺、貴方を…っ」
「何だか妙だな、島田」
「えっ…?」

 言おうとしたのを一言で遮られ、しかもその声が酷く不機嫌そうで、島田はまたもたじろぐ。土方は机に臂をついて、その片手のひらを額に置いて項垂れ、ますます顔を隠すようにしている。

「…最近よく、娘のようだ、とか言われる。異国から来た奴たちにだ。奴らに比べれば、俺は背も小さくて体の横幅も無いし、それに、男にしては色白過ぎるから、そう見えるんだそうだ。お前も体が大きいが、そう見えるか、俺が」
「い、いいえ…っ。そんなことは…」
「そうか? そんなような目で、俺を見てねぇか? もしもそうなら侮辱だが」
「そんなことは、あ、ありませんっ。失礼します…ッ」

 扉が開いてまた閉じて、島田は土方の前から立ち去った。どきどきと心臓が高鳴って、暫しそれは静まりそうになかった。一番近くの扉から外へ出て、人のあまり来そうに無い方へ走り、幾本もの松の木の一本に、島田はしがみ付き、震える。

 怒らせてしまった…。当然だ。あんな矜持の高い方を、まるで弱いもののように見て、守るのだ、などと、身勝手を思った。

 だけれど、だけれどあの方がさっき、泣いた後の赤い目を、こっそり隠していたのは、見間違いではない筈だ。あぁ、守りたい。癒して差し上げたい。自分に出来ることなら、どんなことでもして、あの方を…あの方を。


* ** ***** ** *


 その日から島田は、たびたびその松の木の下にいるようになった。時間があれば、一人でこっそりそこへ来て、遠くに見える土方の部屋の窓を眺め、どうか土方が、辛い思いの一つもせぬようにと、無駄でもどうでも祈っていた。

 土方の部屋のカーテンは、いつも決まって閉じていたから、安心して眺めていられたのだが、ある時、そのカーテンが揺れて、少し開いて、そこにいる土方が自分を、見ているように島田には思えたのだ。

 都合のいい見間違いだ、と思ったのだが、事実それは土方で、見ているうちにカーテンはさらに大きく開き、そこにいる土方が島田を傍に呼び寄せるような、そんなふうに手を揺らした。

「土方さん…?」

 深い雪を踏んで、島田は土方の部屋へと歩いた。窓の外から声をかけようと思ったら、少し開いたままだったそのカーテンの内側から、土方が言葉もなく、人差し指を立てて右の方を示している。

 右にある扉から、部屋に入って来いということだと了解して、島田は服の雪を払い、頭の雪を払い、足を踏み鳴らして靴の底の雪を落として建物の中へと入っていった。部屋で待っていた土方は、窓の前で彼に背中を向けていて、島田が話しかけるまで微動だにしない。

「あ…あの…。御用か何か…」
「ん、まぁ、用っちゃ用だが、忙しかったんなら」
「いえ、一人でちょっと考え事をしていただけですから」
「あぁ、今日は大雪で調練も取り止めだったな、そう言えば」

 島田は土方と言葉をかわしながら、実は彼の姿に見惚れていた。土方はこのところずっとしていたのと違い、今日は和装だったからだ。京にいた時に見たような、渋い紺色の着流し。髪は今、結うほど長くはなかったけれど、その総髪にも着物姿が酷く似合っている。

「その…副長、今日のお召し物は…」
「あぁ、朝な、服に珈琲をこぼしちまって、それでだ。可笑しいだろう、こんな髪してこんななりは」

 言いながら、土方は少しだけ口元で笑った。島田は呆けたように口を開けて見惚れ、そんなことと知れては、またこの方の機嫌を損ねてしまうと、無理に難しい顔になろうと頑張った。

「島田」
「は、は…っ」
「甘ぇもんは、お前、好きか」
「…は?」

 土方は袂に手を入れて、そこに入れてあった何かを取り出した。それは紅色や青色の紙に包まれた丸いもので、異国の飴なのだという。

「喰うか? 榎本さんにすすめられたんだが、断り切れなくてな。総司がいりゃあ、喜ぶんだろうが…。あいつぁ昔っから…死んじまうまで、こういうもんが好きだったからな」
「……ひとつ、頂きます」

 気の利いた言葉の一つも出てこずに、島田は大きな手を差し出した。それへ一個飴を転がして、土方は自分も包み紙を解き、べっ甲色の飴を口へと放り込む。

 飴は意外に大きくて、噛まずに口の中で転がしていると中々溶けずにいつまでも口の中にある。それを舐め終えてしまうまで、土方と島田は二人して黙り込んでいて、最後の小さくなったのを、ガリリと噛んで飲み下した後、土方が呆れたようにこう言った。

「おめえも…大概、無口だな…。あいつとどっちが、って思っちまう」
「…副長」
「んん? なんだ」

 呼びかけて、飴の残りをそのままごくりと飲んでから、島田は言うのだ。

「お寂しいのですか…」

 言ってしまってから、島田は激しく動揺した。異国のものらに、娘のようだと言われて憤慨していた土方だ。寂しいだの悲しいだの、そんな女々しく見られて気分のいいはずは無い。

「す、すみま…っ」
「そう、見えるか…?」 

 土方はうっすらと笑って言った。彼は袂へ手を入れて、もう一つ飴を取り出して島田の方へと差し出していた。

















 このノベル実は、一年以上前にかなり書いて、そのまんま放置していたものだったりします。どうして途中になっていたかというと、うまくいかなくて没にしたかなんか…。実は覚えていませんー。

 冒頭部分が、ちょっと喪の時に似ていたんで直しましたけど、その時期の没でもないようですし、なんでしょうかね。で読み返したら突然書きたくなったのですよ。むふふー。

 島田に愛される土方さんは、いつも雨に打たれる花のように儚げで綺麗で、うおー誰か、彼を守ってあげてーーっ、って思う感じになっていきますね。それこそ、島田に守られ包まれて、やっと安らぎを得る、そうしたことなのかと思うのです。

 それにしても、無口な「あいつ」って? そんなことは言わずもがな!でしてよっ。うふふふふふ。それではよろしかったら続きを待っていてくださいね。ぺこり。 



10/02/05