其は常の褒美にて  1






入隊したばかりの新人隊士に、
市中の巡回がどういうものか見せるため、
必ず連れ歩くように。

その際、指導は組下のものには任せず、
組頭が責をもって行うよう。



 それを取り決めて周知させたのは土方だったが、彼にしては珍しくも一つの事柄を失念していた。三番隊隊長の斉藤には、とある料亭と、そこに出入りする数人の浪士の見張りをさせていたのだ。そんな暇のあるはずがない。

「三番隊の…隊長の代わりに、今夜の巡察は俺が付いて指導する」

 聞いていた皆はざわめいた。取り分け三番隊のものたちが一番騒いだ。土方の厳しさは誰でも判っているから、下手な弱気を見せれば切腹ものだと震え上がる。

 近藤や沖田などは驚いた顔をして、止めたそうな様子だったが、土方の性格を知っている彼らだからこそ、言ってしまったものを簡単に引っ込めない性分も判っていて沈黙した。

「誰か、今夜の巡察地の地図を…!」

 言いながら、もう三番隊の方へと近付いていく土方でなのであった。


 * ** ***** ** *


 その夜の見回りは静かなものだった。

 副長の土方のことは、今や子供でも知っているくらいだったから、店々も道行く町人も恐れをなして縮こまっている。けれども、縮こまりながらも、美しくきりりとした土方の姿を一目見ようと、茶屋の娘などはそわそわと、道の隅から隊士たちの歩く様子を眺めていた。

「こんなものか…。まあ、何も起こらぬ日もあるだろうが。ん、…気配が…」

 少々拍子抜けして、これでは新人隊士の訓練にもならないと、舌打ちも出ようという頃、物陰から数人の浪士が駆け出してくる。隊列の真ん中を分断するような形で斬り合いになり、土方も一人、二人と手だれそうなのを選んで倒した。

 剣の擦れる音が響き、血飛沫が飛ぶ。見れば最後に残った一番弱そうなのの相手を、うまい具合に新人がやっている。必死になっての働きぶりに、まあまあだな、と満足したその時のこと。

 きん…っ!

 一際鋭く、剣を擦り上げる音が響いた。澄んだ音に、誰かが剣を跳ね上げられたものと知り、土方はすぐに新人の方を見る。若いその剣士の手に、しっかりと刀が握られているのを確かめ、それの相手の手に剣が無いのを確かめた。

 うん、中々の働きだ、後で声をかけてやろう、と満足そうに笑んで目を逸らした時、左足に熱が触れたのだった。

「ふ、副長…ッ!」
「…つ…っ」

 何がどうなったかはすぐに判った。油断した、と失笑したい気分だった。跳ね上げられた浪士の剣が、何処へどう飛んだのか考えていなかったのは、土方一人じゃなかったが、負傷したのは彼一人だった。

「だっ、大丈夫ですか、副長っ」
「大変だ、副長が負傷された…ッ!」
「…あーっ、うるせぇ、騒ぐなッッ」
「うぁぁぁぁっ、すいません、すいませんっ、俺…っ、俺…ッ」

 初めての市中巡回で、精一杯頑張った筈の新人隊士は、まさかの事態に真っ青になって震えている。

「俺…っ、せ…せっ、切腹…ですか…ッ」
「切腹?! 馬鹿を抜かすなっ」

 土方は脚から血を滴らせながら、足音荒く帰隊する。ことの次第を知った沖田が、酷く面白そうに言ったのだ。

「うわ、こりゃあ、見事な後ろ傷だなぁ」
「よく見ろ、別に後ろじゃねぇじゃねぇか! 内って言うんだここぁ!」
「まぁまぁ、歳、そう喚くな。傷に障るぞ」

 土方の負傷は左脛の内側。頭上に跳ね上がって落ちてきた剣で、こんなところを怪我するなんて、いっそ器用過ぎやしませんか、と、沖田はいつまでも笑っている。沖田がそう言って笑い、朗らかに近藤が取り成すと、それを聞いている隊士たちは一様にほっとする。

 手当てを受け、さらしで脛を巻かれた後、いつもどおりの衣服に着替え、いつもどおりにきちんと正座して、土方は例の新人を部屋に呼んだ。にこにこと笑っている沖田と近藤も同じ室内にいる。

「おい、お前っ!」
「はいぃぃ…っ」

 新人はただでも震え上がっているのに、土方が固い声で言うので、今にも泣き出しそうな顔になる。

「切腹だなんざ、誰が沙汰した? いい加減なことで怯えるんじゃねぇ、折角の働きが霞むじゃねぇか」
「土方さんがそんなだから、怖がってるんじゃないですか」
「うるせぇな、総司、いいから黙ってろ。…お前、さっきの音だと刀も刃こぼれしたろう、特別に金子をやるから、研師に見せるんだな。今後も今日調子で励んでくれ、判ったか?」
「は、はい…っ」

 若いその隊士は、やっと何とか顔を上げ、少しだけ笑っている土方の顔を少しの間、ぼうっと眺め、それから深々と頭を下げて退出した。何故か近藤はにこにこと笑っていて、土方はことさら顰めっ面だ。

「さて。歳、どうだ、いい機会だから数日休養して、怪我を治すのと一緒に、頭の方も休めちゃどうだろうな。お前は休息所も持ってないから、いつも隊にいるままで、休まらんだろうと実は思ってたんだ」

 痛そうな顔を見せないよう、内心で苦労しながらもやっと足を崩し、馬鹿を言うな、いらぬ世話だと返事をしようとしていたのに、その代わりに沖田が自分のことのように言うのだ。

「ああ、そうしましょう。隊士たちもそれだったら、たまの息抜きになるし。折角今回のことで、土方さんのいいとこも判って貰えそうなんだから、怖い顔はしばらく見せない方がいいんですよ。足が治るまで数日別んとこへ行っててもらって」

「総司、てめぇ、言うにこと欠いて何言いやがる! 屯所にいなきゃ出来ねぇ仕事もあるし、そも俺にゃあ休息所がねぇって、近藤さんがたった今言ったんじゃねぇか!」

 こうして騒いでいると、無く子も黙る新選組幹部のやり取りも、多摩の餓鬼のころとちっとも変わらない。

「じゃあ、昼間の何刻かだけ屯所へ出てきてもいいから、他は怪我を治すためにもどっかでしっかり休んで…。あ、ちょっと待ってください。文が…。女からですか、土方さんも相変わらず」
「うるせぇな、一々…」

 土方は門番していた隊士が持ってきた文を一目見て、ちょっと笑い出しそうな顔になる。今は外で密偵のような仕事をさせられている斉藤からだと、紙の折り方ひとつで判ったからだ。

 あまり綺麗な折り方じゃない。端があっていないし、女の文と見せかけるため、結び文にしようとして真ん中が少し破けている。それを開いてちらりと見て、「異な様無し」との短い文字を確認してから、彼はふと何かを考えた。

「近藤さん、俺に似合いの休息所があったぜ。数日の間、夕刻からそこに行ってることにする」

 変に浮き立つような顔を一瞬見せ、それから土方は殊更に顔を引き締めたのだった。





















 どうしてこう…この頃の私の書く文は、主人公の両方か片方が不在なんでしょうかね。しかし、この話、書き始めるまではタイトルから何から、すっかり悩んでいましたが、書き始めたら面白くって! 

 土方さんと斉藤だけじゃなくて、ちょっとした場面でしかないところに、近藤さんや沖田までいて、新人隊士とかも出ているっていうのが、凄く書き応えあって楽しかったですー。

 前に書いてた連載は暗かったから、その反動で今回は明るくなりそうだし、書くのも楽しいなーって♪ 読んでくださる方にも楽しんでもらえると幸せです。うふふー。



10/01/12