花 刀 8
人の「感情」を
読むのは得意だと思っていた。
言葉にせぬ思いも
顔に出さぬ心も
それぞれが何らかの形で
必ず表へ現れるものなのだと。
だけれど
あいつのは読めやしねぇ
言葉少ななあの口と同様
表情すらも変わらねぇから
だんだんあいつが苦手になった
それであれから、
もう、半年を過ぎる。
居ない間が、楽だった。
土方は人払いまでして、屯所のとある部屋に座っていた。自室ではない。局長室でもない。屯所の表門に一番近い部屋である。ざ、と小さな音が外から聞こえて、そのほんのかすかな足音に、目の前に置いてあった二本を掴んで立ち上がった。
何の異変も起こっていないような顔で、毎日ここへ戻っているような姿をして、門を通って入ってきたその男。その男の前に、土方は自ら近付いていき、まるで挑むかのような目をして、自分よりも少し背の高い相手を見据える。
「……なにか言うことはないのか」
「…あぁ。今、戻りました」
「出掛ける。共につけ」
ふい、と視線を逸らし、土方は大小を腰に付けて、大股に外へと出て行く。斉藤一は、慌てるでも急ぐでもなく、気負う様子も見せずに土方の少し後ろを歩いた。
半年以上、互いに姿も見ていなかった。斉藤は他ならぬ土方の命で、分離した伊東に従い、否、従う振りをし、隊のため、つまりは土方のために、間者の役割を果たしたのだ。
「少し痩せたのか」
「…あんたも」
「俺の話などしてない。あいつは少しはお前を疑ってたのか。それで神経を遣って痩せたのかと」
「もしそうなら痩せるのは俺じゃなくて、伊東だと思うが」
淡々と言えば、聞いた土方は小さく笑った。
「そういえば、多少やつれてたような気もしたな」
土方の脚は相変わらず速い。遅れずにぴったりと付き従おうとすれば、道に人通りが増えた時など、すぐに触れるほど距離が近付く、目前で揺れている髪の、その匂いを嗅いで、斉藤は簡潔に聞いた。
「何処へ往く?」
「…茶屋だ」
「……」
「お前、言っただろう。組を裏切って御陵衛士に着き、間者としての命を果たしたら、何か、頼みがあるとか」
言われて、不意に斉藤の足が止まった。土方はそのまま十歩も進み、中々斉藤が追いついてこないので、焦れたようにとうとう自分も足を止めた。
「俺は忙しい、時間もない。あのときのお前の様子を察して、屯所から態々場所を移しているんだ。早く来い。馴染みの茶屋だ。人に聞かれる心配はいらない。呼ばなければ茶もでない」
「……よく、覚えているな」
「約束しただろうが。お前は守った。今度は俺だ」
新選組の、鬼の副長、と、そう呼ばれるようになっても、昔っからのそういう律儀さは変わらない。半年以上も前、斉藤がこの密命の折に一方的にそう言って、返事も貰えなかったことなのに、土方はちゃんと聞いていたのだ。そうして出来うる限り、叶えようとしてくれる。
「この半年、何かと疲れただろう。お前でなくば任せられぬ仕事でもあった。組で出来ることなら、お前の願いはなるべく叶えたいと思っている。それで、何が欲しい。刀を買う金とか」
「刀なら、自分の金で買える」
だから、それじゃぁ買えねぇ馬鹿高い刀を見つけて、惚れ込んだとか、そういうこともあるだろうが。
こいつとの会話が、するすると進んだことは今まで一度としてなくて。結局は、すぐそこに見えるあの橋を渡れば、さっき話した茶屋がある。
「副長」
低く、斉藤が言った。言われると同時に土方も気付いた。橋の陰に潜むものがある。殺気の数は一つ、二つ。歩調は僅かも緩めない。気付かぬふりしてそこまで行って、橋へ一歩足を乗せながら、土方は腰の刀の柄に触れた。
その時、音は、ひとつもしなかったのだ。斉藤が自分の背についた気配も、彼が刀を抜いた気配も。何も感じないうちに、血の匂いだけが一筋流れた。背中合わせで、一瞬、斉藤の右の踵が土方の左の踵に触れ、刀を持って、振り下ろした斉藤の腕の、その袖の布地が土方の着物をかすめた。
ぱたた…、 た…っ
血の跳ねる音。続いて視野の端の空で、奇妙な形をしたものが、ゆっくりと回転するのが見えた。反射的に見上げた視界が、斉藤の着ている着物の色に覆われる。ぼつ…っと、それの向こう側に何かがぶつかる音がした。
「怪我は」
「……… いや…」
刀を握ったまま、二人の足元に転がっている腕。腕を失って、転げまわっている男。胸を貫かれて既に息絶えている死体が一つ。
言葉少ないやりとりは、低い声でなされたが、獣じみた叫びを上げてのたうつ、浪人の悲鳴の下に、その声は変にはっきりと聞こえる。土方は血飛沫を浴びることもなく、ただ、足元にみるみる広がっていく血だまりの血が、下駄の裏についただけのことだった。
「…襟に」
「何…」
土方の白い襟についた、ほんの小指の先ほどの赤い一点に気付いて、斉藤はどこか悔やむような顔をした。
「茶屋は、別の機会を作る。…これをこのまま、って訳にゃいかねぇだろう」
「…判った」
そのまま、踵を返した土方の背に、くぐもった嗚咽が一つ届いた。それきり、あたりは静かになった。ゆっくりと振り向いた土方は、腕を失くした男の喉に、刀の先端を突き通していく斉藤の姿を見たのだ。
刀はずぶずぶと深く突き刺さり、喉からうなじまでを貫いて、そのまま地面にざく、と届く音がした。
「斉藤… っ 」
「…はい」
「必要ない」
「ある」
改めて見つめた斉藤の姿に、土方はそれ以上の言葉を失った。足が前に出ない。振り向いたままの体が強張ったようで、視野にある二つ目の死体を、土方は見ていた。
斉藤は刀を真っ直ぐ上には抜かない。上へと跳ね上げるように引き抜いた。既に息の無い男の顔を、斜めに鼻まで、その先の右目まで切り裂いて、あざやか過ぎる血が、酷く遠くまで飛んだ。
「あんたに害を為したんだ。…殺す」
血刀をぶら下げたままで、斉藤は懐の懐紙を取り出し、その端を小さく裂いて、土方に真っ直ぐ近付いた。まだ凍りついたように動けない彼の、血に一点だけ汚れた襟に、その懐紙の端を押し当てた。
真っ赤だった血の色は、ほんの少し、ほんの僅かだけ薄まったが、土方の心に染み込んでいた斉藤の色は、その日からさらに、じわじわと広がっていくばかりだった。
これから行く筈だった茶屋から、騒ぎを聞きつけたらしい男が走ってきた。その男は、ひぃ、と短く叫ぶと、その足でそのまま届けに走るようだった。
「届けはいらないようだが、茶屋へ…?」
「いや、今日はもう…時間がねぇ。またにする」
強張ったまま向けられた背中に、斉藤は言った。
「俺は、あんたの傍にいる。ああいう命はもう受けない」
「…そうか…。聞いてだけ、おく」
ずっと無意識に、手を置いたままでいた刀の柄から、やっと土方は手を離した。どこを歩くにしても、この男と共にいれば、刀を抜くこともいらないかもしれないと、奇妙な感覚で彼は思うのだった。
* ** ***** ** *
「お帰りなさい、斉藤さん。長いお出かけでしたねぇ」
「………」
「戻ってこられてよかった。だって、あなたが敵方じゃあ、斬ったあとどんな顔したらいいんだか、わからない。そういう相手は、一人でもう充分だと思ったんです」
多分、藤堂のことを言っているのだと思った。門に着く少し前に、足を速めて行ってしまったから、土方はもう斉藤の傍にはいない。
「…今、二人斬ってきました?」
「あぁ…」
「わぁ、当たった。血の匂いが二種類するから。でも、そんなことだったら、私が共に行きたかったなぁ」
それだけ言うと、満足したように沖田は行ってしまった。斉藤はまだ、隊に戻ったばかりだ。どの部屋に行くべきか、何処を部屋に使っていいのか、そんなことも聞いていなくて、ただ縁側に腰を下ろしていた。
帰ったと土方から聞いたのだろう。暫くして、近藤が奥からわざわざ現れて、彼の働き大声で褒めた。褒められている間、斉藤は庭の楓の赤い色を、何も考えずに眺めていた。
続
なんと言いますか、こんな若者二人に思われて、土方さんてば、鬼に金棒なのかもしれませんが、斉藤さんは妄信的過ぎて怖い気がします。嫌、沖田が妄信的じゃないかっていえぱ、やっぱりそうかもしれないけれど。
多分沖田は、自分がそうなりそうな姿を斉藤さんに見てしまうんじゃないかしらね。そしてそんな斉藤さんを、怖い、と思っている土方さんを見て、自分は心を隠していよう、と思う感じですか?
でもこの先………の、ことはネタバレだから黙っていよう。
読んでくださりありがとうございますっ。凄く凄く時期が飛びまして、飛びすぎかと思いつつ。そんなに長いこと指をくわえて見てたのか…斉藤さん。可哀想。もう少し待ってね。ですです。
いろいろと時の流れ的に変なことがあっても、どうぞ気にしない方向で。
11/01/04
