花 刀 7
どんなに沢山の
拙い嘘にも騙されてあげる
だから
たった一つの私の嘘を
見抜かないでいて下さい
何も知らない
何も見てない
私はいつまでもガキ扱いの
貴方の弟でいたいのです
馬の熱い息が、山の冷えた空気に白く浮かび上がる。だけれど土方にはそれは見えなかった。彼は自分で約束した通り、ずっと目を閉じて、名も知らず姿も知らぬ恩人の言葉に従っている。
手を貸されて先に馬に跨り、すぐに彼の後ろにその恩人が…、斉藤が身を寄せるようにして跨った。土方の背に、自分の胸を押し付けるようにして、斉藤は馬のたずなを握り、短くこう言った。
「山の道だから、かなり揺れる。鞍の端に掴まっていてくれ」
「…わか…っ。う…」
馬が数歩進んだだけで、土方は呻いた。どこがどう痛んだのか、斉藤にも判ったが、あえて何も言わず、その代わりに馬の足を止める。肩をすくめるようにして項垂れて、土方は痛みに堪えているようだったが、すぐに顔を前へ向けて言った。
「さぁ、行ってくれ。早く戻らねぇと…」
「…あぁ」
ぐらり、と、また馬の体が揺れる。単調だが、ずっと続いている振動が、土方の体を酷くいたぶった。馬の蹄が土を蹴るたびに、酷く裂けている後ろに痛みが走る。散々なぶられた足の間のものが、下帯に擦れて、それも辛かった。
堪え切れず時折零れる嗚咽や、くぐもった悲鳴を、斉藤は聞こえていない振りをしている。慎重にたずなを操りながら、目の前で揺れている髪や、その髪の隙間に見える白い首筋に、見惚れるのを止められなかった。
「少し、休むか…?」
「休まねぇでいい。早く先へ行ってくれ」
「すぐそこからは道がなだらかになる。嫌でなければ、少し、俺に寄りかかれ。落ちたそうになったら、その時は支える」
「…すまねぇな」
そんな素直な言葉を告げて、土方は手を鞍から離した。そうして背中を、斉藤の胸に寄り掛けた。ほんの少し体を斜めにして、土方が自分の左肩の上で小さく首を傾げると、やはり目を閉じたままの彼の顔が、斉藤の目にも映った。
月明かりのせいばかりではない、真っ青な顔。うっすら開いた唇から、白い息を零して、その息遣いに、時折嗚咽を絡ませるのだ。
「あんたが…どんな見目か知らねぇが、俺ももっと、男らしい姿をして生まれたかったよ。そうしたら…誰かが俺を恨んだとしたって、犯してやろう、なんざ思いもしねぇだろうに」
「………」
斉藤は何も言えなかった。土方も、自分の言った事を悔やむように、その後はずっと唇を噛んでいた。馬が街へと差し掛かると、目を閉じたままの土方が、蹄の音でそれと気付いて、体を少し緊張させる。
「人が…歩いてるか…?」
「…夜半過ぎだ。誰もいない」
「そうか…」
土方はまた鞍に手を置いて、自身の顔を隠すように前屈みに項垂れた。あまり甲高く蹄の音を立てないように、少しゆっくりと進みながら、斉藤は沖田に教えられていた宿屋を探す。宿場町では大概宿屋は一つの通りにかたまっているから、程なく探し当てることが出来た。
「あぁ…。そこの宿だ。藤折屋」
「…なんで宿の名まで知っ……」
思わず零れた疑問を、土方は途中で飲み込む。まだ少し遠く見える宿の建物の前に誰かがいる。そいつは宿屋の名の書かれた柱に寄りかかり、いい調子で流行り唄なぞ歌っていた。その声を聞いて、土方は身を隠したがるように、今一度斉藤の胸に体を寄せ、彼の着物に顔を埋めるように縮こまった。
「そ、そこの角…、曲がってくれ…」
思わず見開いた目に、塀の向こうに姿を消す原田の姿が映り、震え出した自分を、しっかりと支えてくれる恩人の手が見えた。宿の裏手へ回り、くるりと巡る塀に、裏木戸らしいものを見つけると、斉藤はそこで馬を止める。
「じゃあ、ここで」
「あ…あぁ、本当にあんたには、なんと礼を…」
「別に、礼など」
いらぬ、と最後まで言い終えることなく、斉藤は土方の体をもう一度支え、自分は馬上にいるままで、彼を馬から下ろした。もしも下りて手を貸せば、そのまま部屋へ送り届けるまで、離れられなくなりそうだった。
地面に足が付くと、土方は一度そこに片膝をつく。あの酷い仕打ちのせいで、それほど体が萎えているのだ。けれども一瞬で立ち上がり、自分で裏木戸を開け、その内へと姿を消した。土方は、ずっと彼を見なかった。彼の方へ顔を向けはしても、その目を閉じ続けていた。
斉藤は土方の姿が見えなくなり、木戸の中の砂利を踏む音が聞こえなくなると、唐突に馬を駆って走る。前を見据えたまま駆けて、駆けて、頬を切るような夜半の風に、胸の邪念を払わせようとした。けれどそれほど容易くなどない。
…土方さん。
寒さに震える唇が、一つきりの名を呼ぶ。彼の胸に生まれたものは、まだ、どんな名前も付けられぬ執着だった。
* ** ***** ** *
「…来た」
目を見開いたままで布団の中。沖田は気配に身を起こした。
剣を抱えたまま立ち上がって、閉じた障子に手を掛ける。彼の寝ていた布団から少し離して敷いてあるのは、土方のための布団だったが、掛け布団の中に、着替えやら手荷物やらを押し込んで、ちゃんと人が眠っているかのように設えてある。
それを振り向いて微かに笑い、そっと音を立てないように、素足で庭の砂利を踏んだ。廊下の向こう側を、同じ試衛館の原田が、鼻歌を歌いながら沖田には気付かずに通っていった。
庭へと戻した沖田の視線の先で、宿の裏木戸がゆらりと開く。砂利を踏んで近付いてくる足音。まだ影のように見える大事な姿。足音が飛び石で途切れると、外から、少しばかり激しい馬の蹄の音がした。
あぁ、感謝しなきゃならないな、斉藤さんには。
沖田は一人頬笑んでそう思い、やっと人影に声を掛けた。考えておいた言葉。決めてあった言い方。
「隠すつもりでしょうけど、判りますよ、土方さん。お医者の匂いがする」
「……総司。お、起きてやがったのか。いきなり何言いやがる」
「何じゃないでしょう。ほら、言わんことじゃない。無理ばかりしているから、具合悪くして皆に追いつけなくなっちゃうんですよ。そうやって医者になんか見てもらったって、土方さんのはどうせ心労と過労に決まってるんだから」
さっさと部屋へ入って、と、そう言って、沖田は土方からわざと視線を外した。狼狽する彼が、言い訳を考える間、先に部屋へと上がって、見えるように土方の為の布団を捲る。土方へは背中を向けたままで、沖田は言った。
「危なかったんですからね。今日は夜半に点呼があって、居ないものは浪士組から外れたものと見なす、って、そういう伝令があったので、こうやって『土方さんは、具合悪くしてるけどちゃんと居ます』って、私がなんとか誤魔化したんですよ。世話が焼ける兄貴分持つと、ほんとに大変なんだから」
「そりゃ…悪かったな」
返事を聞いて、沖田はやっと土方を振り向く。
「悪かったと思うんなら、今度は気をつけてくださいよ。判ったんなら早く寝て!」
「そうだな、そうするさ。…悪かった」
沖田はまた笑って、気持ち悪いな、と軽口を叩いた。
「嫌だなぁ。そんなに謝ってもらっちゃあ、明日は雪が降りますよ。あれ? そういえば、よくこの宿屋が判りましたね。宿割りなんて知ってたんですっけ?」
「原田の奴がな、宿の玄関前で、酔って唄ぁ歌ってやがったんだ。その声が聞こえたんで、ここだとすぐ判ったのさ」
「あぁ、そういやさっきまで何か歌ってましたね。じゃあ、土方さんは原田さんにも感謝しなきゃ」
「総司」
布団を被って、横になってから、土方は聞き掛けた。
「その…お前から見て、俺はどっか…」
おかしいか? 変に見えるか? 上手く嘘がつけてるか?
「そりゃあ変ですとも」
閉じた障子越しの月明かりでも、はっきりと判る青い顔。声は擦れていて、息が少し速い。着物の袖がついさっき少し捲れて、見えた手首に酷い擦り傷。髪だってほつれて、いつものようにきちんとしてない。
「そんなに続けて謝る土方さんなんて、生まれてこのかた、見たことも聞いたこともないんだから。違う人がいるみたいで、凄く落ち着かない」
「言いやがる。…そうだな、きっと、疲れてるんだ。少しな…」
そう呟くと、土方は頭まで布団を被ってしまった。そうして驚くほどすぐに寝息が聞こえる。器用なんだか不器用なんだか、よく判らない彼の、その規則正しい寝息を聞いて、沖田は自分の眺めていた障子の形が、少し歪んで見えるのに気付いた。
あぁ、私も何だかおかしいや。
そう思って、彼は袖で目元を拭って、眠るために目を閉じた。
続
前回の話数の冒頭ナレーション?も沖田だったんですけど、今回も沖田です。どうしてもそうしたくなっちゃったもんだから。この話って、なんか斉藤より沖田が目立ってません? いや、別にそれでもいいか? 斉藤も次に登場したら、もう少し格好よくしますし!
うまく書けたかどうか判らないけど、さくさくと書けたんで、ほんとに良かったです。応援してくださった方、読んでくださった方、ありがとうございますっ。
2010/12/19
