花    54






 置いて行くな。

 なんて、思うのは酷い話だ。
 だって死なせるのは俺だから。
 其処へと真っ直ぐ進ませておいて、
 今更?
 死ぬな、逝くな、だなんて。

 時々、
 生きていてくれるものの顔を、
 順に思い浮かべる。
 
 其処からまたひとつ、ひとつと、
 欠けていくのを、
 どこかで想像しているんだ。

 最後に残るのは、
 つらい、だろうなぁ…


 

 天井の木目が変わった。などと、目覚めてすぐの沖田は思った。力の入らない体で急に起き上がることは出来ず、辛うじて首を横に倒すと、見覚えのあるものが遠くに見えた。

 立派な刀掛けに置かれた、立派な二本の刀。あれは確かに、近藤さんの刀だ、と。なんで此処に、不思議に思い掛けようやっと答えに行き当たる。多分、此処は局長の別宅だ。でも、どうして。

「総司…っ、気付いたかッ」

 声がしてすぐに目の前に近藤が現れた。沖田が寝ている布団脇の、畳の上にべたりと座り、両手をついて体を屈めると、ぐっと顔を寄せてくる。

「どうした、そんな驚いた顔をして。此処は俺の家の俺の部屋だ。今日からお前と寝起きを共にするぞ!」
「な、なんで」

 なんで、どうして、と思いながらも、どうしたって沖田は嬉しかった。屯所の中の、殆ど人の来ない外れの部屋に押し込められ、それが芯から嫌だったのだと、今やっと気付く。近藤は上機嫌の態でまだ何くれと話していた。

「お前、昨夜はぐっすり眠っていたからなぁ。歳のヤツが、島田に頼んでお前を背負わせ、寒くないようその上から布団で包んでな。夜中に此処にやってきたんだ。勿論いろいろ準備の上でだよ。ほら、こういうのとか」

 近藤は部屋の隅から衝立を抱え、沖田の布団と平行になるよう引っ張ってくる。

「ほら、こうしてここに立ててな。こっちに俺の布団を敷くんだ。そしたらすぐ傍だし、その…、な? 俺はいびきが少々うるさいらしいから、少しはその騒々しいのも、遮られるだろうというんで」

 言われて沖田はとうとう吹き出した。あんな薄暗い狭い部屋から出られて、近藤の顔が見られるのも嬉しい。寝起きを共にするのも嬉しいし、自分でも気付きもしなかった願いを、土方が分かってくれたのも嬉しかった。

 この衝立だって、労咳の息が近藤にかかるのを厭うだろう沖田の不安を、少しでも軽くするためのものだ。有難い、有難くって涙が出そうだ。それを隠すためにずっと笑って、笑い止んだ後に沖田は言った。

「朝ごはんはまだですか? 近藤さんの大きな口や、立派な顎を見ていたら、なんだか凄くお腹がすきました」
「おおそうかっ、そうかそうかっ、すぐ用意させるっ」

 沖田は暫くぶりに、随分と沢山飯を食べた。体の弱った沖田の為に、飯も菜も軟らかく煮たものばかりだったが、食材はなるべく近藤と同じものを使ってある。美味しいです、と沖田が言い、美味いな、と近藤が返す。ただそれだけが嬉しくて、ずっと青白かった沖田の顔に血の色が差してくる。

 朝飯の後、名残惜し気にしながら近藤は屯所へ行ってしまったけれど、その後も嬉しいことがあった。ほんの時々だが、竹刀を打ち合う音が風に乗って聞こえてくるのだ。きっと近くに道場か何かあるのだろう。

 ばしん、ばしん、だだんっ、と打ち合うらしき音、どちらかが負かされて、床に転がる音やら、威勢のいい掛け声も。それを聞いていると、沖田は自分もその中に混じって、稽古をしているような気がしてくる。

 それに耳を傾けたり、時々眠ったりしていると、もうすぐに陽が沈む頃になって、本当に近藤が彼の前にまた現れてくれた。沖田は上擦った声で言いながら、自分で布団に身を起こす。

「近藤さん、ここね、道場が近くにあるんですよ。打ち合う音がする。掛け声も」
「あぁ、歳のヤツが手をまわして、この前から空き道場を借りてるんだ。広い屯所も、稽古場となるとちょっと手狭だと言ってな」
「じゃあ、あれは本当に隊のみんなの声とか、打ち合う音なんですか?」

 沖田の目が、きらきらと輝く。近藤もますます嬉しくなる。

「そうだぞ、総司。お前ももう少し元気が出たら、体慣らしをするついでに、其処で師範でもしてもらおうかって、歳と話をしてるんだ」
「じゃあ明日からでも…っ」
 
 布団に起きている姿勢から、ぐい、と体を動かして、沖田は立ち上がろうとした。でもふら付いて、近藤に体を支えられる。

「おいおい、張り切り過ぎだぞ。今は無理せず、そのうちそうするんだ、ぐらいの気持ちで少しずつ、なっ?」
「はいっ、わかりましたっ」
「いい返事だなぁ、総司。じゃあ俺は着替えに行きながら、夕飯の支度を頼んでくる」

 嬉しさを足音にまで表して、近藤は沖田の居る部屋をあとにした。台所に夕飯の支度を頼み、普段着に着替えて戻ろうとすると、渡り廊下の隅に、土方の姿が見えた。近藤はすぐに行って話し掛ける。

「来たのか歳! お前は凄い、凄いな! 総司のやつ、今日一日で随分元気になった。よく食べるしよく喋るし笑うっ。こりゃあ本当にこのまま良くなっていくかもしれんぞ!」
「そうか、よかった。いろいろ考えて準備した甲斐もあった。…だが近藤さん、くれぐれも移されねぇようにしてくれ。あんたが此処で咳のひとつもするようになっちゃ、あいつはどん底に落ちちまう」

 喜んでいる近藤をがっかりさせないように、釘を刺すのは最低限にして、土方は明るく笑って見せる。会っていかないのか、会っていけよと、再三言われるのを、言い訳を重ねてなんとか断って、土方は屯所へと戻る。

 薄暗い部屋へと戻ると、室の中に気配があるのがわかった。気配の主が誰かもわかる。少し忌々しいのと、ありがたいと思うのとが、ややこしく混ざった心持ちで、土方は腰の二本を抜き、部屋の真ん中にどかりと腰を下ろす。

「…気持ちを見抜かれるってのは、嫌なもんだな」

「……」

「俺ぁ自身いつもいつも、ひとの心や考えを見透かしてそれを様々こねくり回しては、己のいいようにしているってのに、身勝手な話さ」
「俺はあんたの心なんか、見抜けていない」
「見抜いてるさ…。だからおめぇは其処にいるんだ。近藤さんにめいっぱい期待持たせて、それを総司のヤツに見せて、なんとかして、今だけでも、少しでもあいつが気を良くしてられるようにってなぁ、要するに騙してんだ」

 らしくなく口数の多い土方の言葉が、途切れるまでじっと待って、影の中に居る三番隊隊長は言った。

「一人で、居たいか?」
「あぁ」
「…」
「でもおめぇは別だ」

 居てくれ、と極々小さな声が、そう言った。闇の中から手を伸ばして、斎藤は彼を引き寄せる。抵抗なく土方の体は斎藤の腕の中だ。抗いひとつしない土方の四肢は、押し倒されて畳の上でばらける。白い素肌は変に体温が低かった。

 俺も、あんたを騙して、
 あんたの気を、
 楽にしてやれたら。

 出来もしないことを思い、出来る限りで大事にしたい気持ちのままで、斎藤は土方を、常より乱暴に抱いた。

 あ、ぁ、と息の混じった声が続く。揺さぶられて揺れているだけの自分の体が、なんだか人形のようだと、土方は思っている。魂の無い、自分からは動かないカラクリ。でも彼の体は今何処も病んではいず、望みさえすれば自由に動くし、なんでもできる。

 山南も、藤堂も、そうではないふうになってしまった。死んだのだ。伊東も鴨も、他の沢山のやつらも死んだ。他の皆は残っているけれど、沖田は今に、そいつらと同じ、向こう側へいっちまう。

 俺のせいだ。

 そう、どうしたって思う。連れて行くと決めたのは近藤だし、行きたい、行くと言ったのは総司自身だけれど、止められる立場に、自分はあった。死への近道へと足を乗せさせ、もう引き返せないところまで来させてしまってから、俺のせいだと思うのは、無意味で、愚かだ。

 あぁ、あぁ、愚かだ。愚かだ。
 その愚かさのせいで、
 あいつは俺より、ずっと早く死ぬ。

「う…。ふ、…うぅ…」

 抱かれながら、穿たれながら、土方は両手で己の顔を覆って、性的なそれに紛れさすように心を泣かせていた。




「やっと来てくれたっ。土方さんっ、見て下さいよこれ、ほらっ、ほらっ!」

 敷いたままの布団の横で、沖田は竹刀を振っている。昼の光が、部屋に明るく差していた。庭から、きんと冷えた空気が部屋に入り込み、沖田の息は白い。

「天然理心流のあのぶっとい木刀はまだ無理ですけど、でも凄いでしょ、ねぇ、土方さんっ」

 頬を赤くして、歯を見せて笑って、足捌きもそんなにはふら付いていない。近藤の別宅で暮らすようになって半月、沖田は本当に良くなった。

 ほんの幾度かしか此処にはこなかった土方が、もっとも彼の現状を知らなかったのかもしれない。だから土方は部屋に入るなり目を丸くして驚いて、それから、少しだけれど口元を、笑いの形に綻ばせた。

「おいおい、そんな急に無理すんなっ」
「急なんかじゃないですよっ、無理でもない。来月辺りから本当に、そこの道場の師範をさせてもらおうかなぁ。厳しい師範がくるぞって、今から言っといてくださいよ!」
「だからそんなに。あ、あぁ、そうだ。今日は局長と話があってきたんだった。じゃあな、総司。無理すんなよ、また来る」

 くるりと背中を向けて、土方は廊下へ出た。共についてきた斎藤が、庭で振り向いて真っ直ぐに彼を見ていた。その、隠し切れずに嬉しそうな顔を。

「…なんだ斎藤」
「別に」

 斎藤は相変わらず表情という表情がないが、ただ、そわそわと、庭石の上で足を遊ばせている。土方が嬉しいのなら、斎藤もつられるようにそうなる。
 
「お前も会っていけ。俺は局長と少し話をしてから先に帰る。昼間だし、帰りの共はいらねぇ」

 首のあたりを頻りと弄りながら、土方は奥へと入っていき、そんな彼と入れ違いになるようにして、斎藤は沖田の居る部屋へと入った。

 部屋の中で沖田は、蹲っていた。竹刀が足元に転がっている。来たのは斎藤だと分かっていて、彼は顔だけそちらへ向けて言ったのだ。

「ね、嬉しそうでしたか、あのひと」
「あぁ」
「……よかった…」

 ごろりと体を転がして、せいせいと沖田は息を吐く。病は気からとはよく言ったもので、良くなってきたのは嘘じゃない。でも土方に見せるつもりで随分無理をした。倍も元気になっている振りを。

「ふふ、ふ…っ。仕返しです」
「仕返し」
「いろいろ、嬉しがらせてくれたから、その」

 其処へにこにこと笑った顔の近藤が来て、沖田は出来る限りの速さで、身を起こした。

「無理をさせるなと歳に言われたぞ、総司。無理をするな」
「はいはい、わかってます」

 局長、土方、そして沖田も、三人が明るくしていると、斎藤は少しざわざわする。この三人の間には入れないと思わされるからだ。でもそんな気持ちになれるような彼らを見れたのは嫌じゃなかった。久しぶりで、嬉しくさえあった。

 が、その数日後のことである。天と地は前触れも無く、入れ替わった。大政奉還。





 ダーンっ。
 ダダーーンっ。
 銃声。
 馬のいななく声。


 撃たれたものは声ひとつ無く、馬の背に身を伏せて、駆けた、駆けた。狙撃されたのは新選組局長、近藤勇。この数日というもの、いや、撃たれる直前まで、彼の心の中は滅茶苦茶であった。だが撃たれた衝撃と痛みとで、皮肉なことも感情が整理された。

 天地がひっくり返ったと近藤は思った。これでもう終わりなのだと。

 でも違う、幕府が終わりだと言うものは確かにあるが、それは本当に終わりじゃない。今こそ自分たちの在る意味がある。支えなくてどうする。取り戻さなくてどうする。立て直すのだ。俺たちの、輝いていられる場所を。

 そうだろう?
 立ち止まるのは今じゃない。
 断じて、今じゃない。
 そうだろうっ? 
 なあ、歳、総司、皆…!


 


 続






 昨日、組小説に初めてメッセージを下さった方が居て、テンション爆上がりした惑い星です。単純すぎ―っ。古い字作品を20個も読んで、さらにテンションを上げて、このお話の続きに着手しましたが、史実を追っているお話なので、思うようには参りませんっ。

 はぁーーーー、今元気になってもね、でも死んじゃうんだよ。史実だからね。そしたそれより先に死んじゃうんだよ、彼もね。知ってるよね、ね? 

 がっ、頑張れーっ。へこたれるな私ーっ。次も気張れよコラーっっっ。てわけで、54話をお届けしましたっ。なんか短編も書きたいなと、実は思っております。二つぐらい書きたいですから。どんな話がいいですか?? 

(念押しの追記。前々から組小説を読みに来てメッセージ下さっている貴方さま! 貴方さまにもお聞きしたい、何かリクエストないですかーっ)


 

2022.01.10