花 刀 53
なんでもっと早く、なんざ。
意味のねぇことは言わねえよ。
医者ってぇなぁ、
生きさせるだけじゃあねぇんだ。
その真逆、どう死なせるかってのも、
実は、医者の領分でな。
そう嫌な顔するない。
気持ちは分かるがなぁ。
後悔する暇があったら、
なんとかして笑っていな。
あぁ、そうさ。
笑っててやりなよ。
それぐらいしか、
できゃしねぇから。
「あいつはちゃんと布団にいるか」
外から戻るなり近藤は声を低めて言った。問いの相手は永倉で、永倉はちら、ちら、と辺りを見回してから、こくりと深く頷いた。見張りと言うのではないが、あの日から古参が順に沖田を気にかけているようになった。
「ならいい。そろそろ来客が来る。悪いが、他の誰かが此処にこねぇように見ていてくれ」
「分かった」
屯所端の小部屋で沖田は療養している。これから訪れる来客というのは、医者の松本良順という男。報を受けて自室から急ぎ出てきた土方は、近藤と共に自ら門の外へまで出て行って、通りに立って客を待った。
「お久しぶりです、先生」
「おう」
軽く頭を下げた自分の前を、短く応じるのみで通り過ぎるその男の前へと、土方は素早く回り込んで、強引に彼の足を止めさせた。
「暫し、待って頂けませんか、先生」
「なんでだ。また前のように、逃げるかもって話だろう。こうしてもたもたしてる間にもよ」
「見張らせてます。ですから暫し」
両肩を大きく上下させるように、わざとらしい嘆息をして見せたあと、医者はようやく足を止める。
「なんだ。まず別室に、とか呑気なこと抜かしやがったら帰るぞ、俺は」
口調は乱暴だが声は低く抑えられている。それでも言葉の通りに、場所を変えるなどは聞き入れて貰えないのがわかった。しかし、などと言って狼狽える近藤を、片手を軽く動かすことで制すると、土方は言うのだ。
「では、手短に。実は、前まであいつを診ていた医者は」
「さんざ脅されて、ぶるっちまって本当のことを言わなかったって話だろう。前に、その医者本人からちらっと聞いた。そん時足ぃ運んどきゃよかったんだけどなぁ…。後悔してるよ、俺も。まぁ俺は、患者に脅されて引っ込むタマじゃねぇから」
安心しな、と、言いおいて、良順はすぐに新選組の門をくぐった。その後を追いながら、近藤と土方はちら、と目を見交わす。間違いなく、最善最良の医者だ。高名だの腕が立つだのだけではなくて、信頼して任せられる気性。
「よろしく頼みます」
近藤がそう言って、土方は言葉の代わりにもう一度、真摯に頭をさげた。
「おう、任せな」
パンッ、と、大きな音を立てて襖が開いた。前触れも無く、外から声をかけられることもなかったので、沖田は横になったままで、びくりと体を跳ねさせた。
「…だれ」
「確かに、お前さんには初めて会うなぁ。俺はただのちんけな医者だ。一年半ほど前に俺が隊士全員を診た時、逃げてたそうじゃねえか。猫かよ、おめぇ」
入ってきたのは良順一人だ。近くに他の気配はない。彼は遠慮会釈も無くずかずかと近付いて膝を付くと、少しばかり身を起しかけている沖田の布団を大きく捲った。
「起きるなよ、そのまま寝てろ。仰向けがしんどかったら横向きでもいいぞ。背中を丸めてな。あっ、こら」
布団の下に隠していた、痩せた体を見下ろされ、沖田は反射で逃げようとした。身を返し畳に這い掛けたところを、太い腕で寝間着の襟を掴まれ、引き戻される。その乱暴さに軽く喉が鳴った。ひゅ、と風の吹くように。
けれど沖田の片手は、布団脇に置かれていた脇差に届いていた。その片手を強く振ることで、七、八寸ほど鞘が抜けかかる。ぎら、と銀色が良順の目を射ったが、彼は怯まない。
そのまま沖田の体を引き寄せ、診ようとした良順の首に、ひやり、と、冷たい刃。
「…っとぉ…。けっこう元気だな、まだ。いいから落ち着けや。俺を斬って此処を血塗れにしたって、なんもいいことはねぇぞ」
「………」
仰のいた沖田の顔が、見る間に真っ青になっていく。仰向けで、重たい刀を持って相手の喉へ差し付けているそれだけが、彼にとってはきついのだ。
「重てぇんだろ、その筈だ。刀を離せ。診させろ、な?」
「いら、ない」
「なんで」
「診る、とか、無意味…」
「そうかい」
「診て、どうする。言うんだろう、近藤さんに、ひ、土方さんにも。あとどれぐらい、とか…」
「…まぁ、なぁ」
ぐ、と、刀が良順の首に押し付けられる。血が、わずかに滲んだが、それでも彼は怯まない。今にも死への一線を超える場所に居ながら、彼は片手でもって、沖田の寝間の着物の胸を開けた。随分骨の浮いた体が露わになった。
「吸って。息をだ。さぁ。うん、そう。吐いて。よぉし。もういっぺんな。…出来るじゃねぇか」
胸の上に置かれたあたたかい手のひら。知らず、言われた通りに沖田は息を吸い、吐いて、やがて着物の前を合わせられた時には、脇差は身脇へと除けられていた。
「気休めは言わねぇ。脅されたって嘘も言わねぇ。けどまあ、いう通りにきっちり療養すりゃあ、竹刀を振るぐらい、そのうち出来るようにならぁ、ぼうず」
「…ぼ…ッ、沖田、です」
ぼうず、などと言われて、沖田の頬に怒りの朱がのぼった。それを見て笑う良順の顔は、閉じた襖の向こうにすぐ見えなくなり、笑み含みの静かな声だけが、沖田の枕元に、ころころと転がった。
「沖田、沖田な、養生しな。またくる」
「おぉ、痛ぇ」
言いながら、良順は鞄の中から襟巻を引っ張り出し、片手で適当に首に巻き付ける。そうやって微かに切られた傷跡を隠し、外で待っていた二人の前へと。
「先生」
「…うん、間違いねぇわな、しかももうけっこうアレだ。よく今まで、斬った突いたしてたってよ」
そう言うと、良順は隠しから、十ばかりを紐で束ねた薬包を二束取り出して、それを土方の胸へと押し付けるように渡す。
「滋養の薬だ。ちゃんと効果のある治療薬なんざ、この病にはねえからな。無理をさせない。あたたかくして安静に。だが、体力が落ちすぎてもよくねぇから、起きてられるようになったら、徐々に散歩とかな。…本人の気力が戻ることが何かあったら、それが一番いい。あいつの望みが何か、とか、そういうのはあんたらが一番知ってるだろ」
来れる時にまた寄らして貰うよ、と、そう言って良順は帰っていく。人払いの為、一時沖田の室から少し離れていた永倉が、心配そうな顔で戻ってきた。近藤はそれを労い、沖田の病状の話をする代わりに、彼の肩を静かに叩いた。
「永倉君は今日は夜番だっただろう。それまで休んでくれ」
永倉の次は自分が沖田の番をすると、土方は言って、近藤を別宅へと帰らせた。ひとりになった土方は、いつの間にか夕から夜へと変わりゆく空を眺める。彼は思うのだ。
今からあいつに、
俺は何をしてやれる?
気力の戻ることってなんだ?
どうすりゃいい…?
なぁ、総司。
総司よ。
その夜半、書き物をしている土方の室に、斎藤が訪れた。声も掛けず入ってきて、ちら、と視線だけを寄越した土方の身脇から、彼はその手許を覗き見た。
綴られていたのは恐らく、病床の沖田の為に用意しようとする様々なのだろう。滋養にいい食べ物や、少しはものの良い布団など。それから、療養先を思案しているのだろう、土地の名前もいくつか。
「なぁ…?」
土方の声が、小さく。
「……」
返事をせず、斎藤は土方の次の言葉を待った。
「おめぇだったら、どうして欲しい? 何が欲しい?」
「聞かなくても分かるだろう。…あんただ」
惑いなく告げる声に、土方は、ふ、と息だけで笑う。
「あいつになったつもりで考えてくれ」
「…あんただ」
もう一度、同じ言葉を斎藤は言った。手にしていた筆を硯の上に起き、土方は薄暗がりの中、彼を振り向く。斉藤は言葉を続けた。硯の上の筆の先の、黒々とした墨を見ながら、彼はこう言ったのだ。
「あんたと、局長、井上さん、永倉、原田、それから………俺も、かもしれないが」
山南、藤堂、と、そこに入るべき言葉の代わりの、短い沈黙が、悲しい。けれども土方には、斎藤の言おうとしたことがわかった。土方の手がまた筆を取り、目の前の紙に綴られている一部を、すっ、すっ、と塗り潰す。
「うん。そうか。…そうだな」
じき、夜が明ける。斉藤は暫し土方の傍らに居たが、東の空にわずかな光が差すのを見て、黙って室を出て行った。
続
叶えてやれる彼の願いはなんだろう、って思ったんです。でも近しいものほど、病身の沖田の体ばかりを、案じてしまうのではないだろうか。もっと静かなところで、なんの心配もせずに、ゆっくり療養させれば、と。
土方のわからないことが、斎藤に分かったのは、やっぱり彼が長いこと「離れていた」からではないかなぁ。
今回新キャラ出ました。書いてて楽しかったです。次回以降も少し出るかも。とにかくやっと続きが書けて良かったです。読んでくださる方、ありがとうございます。次は一月を目指しますっ。
2021.09.23
