花 刀 5
腐った花は首から落ちる
気高き花が穢れて弱る
花に焦がれて舞う狼の
二頭の血潮はそれぞれ滾る
あぁ、守られし白花よ
気高き一輪の、白花よ
こんな…こんなに、細い人だったろうか。全裸に近い体を、汚れと血にまみれさせて、それなのに穢れを免れた真っ白い素肌のところどころが、匂うように美しい。
がくがくと震えながら、斉藤は暫しの間、意識のない土方の体を抱いていた。今にも、胸を裂くのではないかと思うほどの鼓動。逆に土方の鼓動はか細くて、唇から零れている息遣いは、殆ど感じられない。ただ、閉じた睫毛が微かに震えている。その瞼さえも赤黒い闇と血に汚れていた。
「ひ…土方さ…」
名を呼んで、やっと斉藤は顔を上げた。土方の腕は両方とも高く上に掲げられて、しっかりと縛り付けられている。木の幹に括られた、錆びた刀の刃の上に、手首を…。
あぁ…、と、斉藤は息を震わせる。なんて非道いことを…。なんて惨いことを…。なんて…。
片腕で土方の体を抱いて支え、慎重に手を伸ばして千切れかけた包帯を毟り取る。やっと彼の体を束縛から自由にして、もう一度しっかりと抱き締めると、どうしてか息が詰まって、斉藤の両の瞳から、ぼろぼろと涙が零れた。
涙を流して泣いたことなど、物心ついてから一つもなかったのだ。
「あんたは…俺が守る…。俺が守る…。俺が守る…。おれ…が…」
血臭の中、守りたいその人を胸に抱いて、魂に刻むようにそう繰り返し…。斉藤は己の運命を、痛いほどはっきりと知ったのだった。
* ** ***** ** *
ざりざり、と、音がする。その音に、耳障りな甲高い音が幾重にも重なる。見開いても、見開いても、目の前は血の混じったような醜い色に満たされ、それでも段々とそれが薄れて、灰色の視野になっていく。音が遠ざかっていく。
何も見えねぇ。
聞こえもしねぇ。
あぁ、そうか。
俺ぁは…死んだのか…。
何も感じなかった体に、その時、誰かが触れた気がした。長い時間、非道い暴行を浴び続けた肌が、彼の心とは無関係に強張り、やっと穏やかになっていた息遣いが荒く、浅くなる。
「い、いや、だ…」
「…土方さん」
優しく話しかけられるが、その声は彼の耳に届かなかった。土方はまだ悪夢の中にいるのだろう。
「離してくれ…はなし…」
「土方さん…っ、もう、大丈夫だから。土方さん…」
土方の目開いた目が、何も映していないことに、斉藤もやっと気付く。あぁ、今は、何にも見えないし聞こえないのだ。それほどに非道い仕打ちを彼は浴び続けた。心に毒を注ぐようにして、じわじわと死に至らしめるほどの、あの残酷な暴行。
こんなに穢れのない人が。
これほど矜持の高い人が。
もう一度、いいや、何度でもあの男たちを殺してやりたいと、斉藤の胸に物騒な血が騒ぐ。今からでもあの場所に戻って、屍体を細切れに切り刻んでやろうかとまで思った。目を抉り、口を裂き、耳を削いでも、この憎しみは消せないと思った。
ここは少し離れた川の傍の、掘っ立て小屋だ。小屋といっても、風除けの壁の上に、葉をつけたままで切った枝を、幾重にも乗せただけのもの。それでも裸同然の土方を、ここに隠すことが出来て幸いだった。
着るものもない彼が、少しでも落ち着いたら、ここを離れて着物や手当て道具を調達してくるつもりだ。盗みでもなんでも、斉藤はしようと思っている。それくらい何でもない。この人のためになら。
救い出してから今まで、川の冷えた水で、彼の全身を洗い清め、血で汚れた手首の包帯をすっかり取り払って、汚れていない手布を当てて血も止めた。裂かれた着物はもうどうしようもなくて、自分の羽織を体にかけてやることしか、今は出来ないでいた。
まだ傍を離れられない。離れたくないのだ。自分の目の届かないところにいて欲しくない。一瞬も目を離したくない。あとほんの数刻、来るのが早かったら、こんな目には合わせなかった。例え誰が、この人の目の前に立ち塞がっていようと、この腕で、この剣で、俺が。
どうしようもない後悔の念に、斉藤は血が滲むほど唇を噛んで、自身を抱き締める腕で体に爪を立てていた。
「…だれか…いるのか…。誰…?」
そうして、どれだけ時間が経っていたのだろう。ずっと大人しくなっていた土方が、その時ぽつりとそう尋ねた。斉藤は宙を彷徨っている眼差しと、空に揺らぐ手を見て、聞こえるか聞こえないかの声で言う。
「…誰でもいい…。味方だよ、あんたの…」
「……ぁあ…れ、礼を…言…」
「少し、聞こえるようになってきたのか? 目は、まだ? じきにちゃんと治る。目も見えるようになる。ただ…あんたは、少し、疲れただけなんだ…」
「腕…。俺の、手は…」
ぶるぶると震える両手を持ち上げて、まだ霞んだままの視野で見ようとする土方の手首を、斉藤はそっと捕えて、布を巻いた傷の上を撫でてやった。
幸い、と言えるのかどうか。彼の手首の傷は浅かった。錆びた刃物の食い込んだ場所が、破傷風になる不安は拭い去れなかったけれど、腱や神経は無事に済んでするだろう。体の傷もどれも深いものは無かった。川の水で洗い流された血は、殆ど奴等のものばかりだったのだ。
「手首も、なんでもない。そら…ちゃんと動くし、感覚も…」
両方の手首の下を掴んでやって、動くのを確かめさせてやる。焦点の合わない目に、それでも明らかな安堵が滲んで、それを見ているだけで、斉藤の息は詰まった。
何も纏わぬ土方の胸は、夜の闇の中でも抜けるように白い。血を洗い流してやった全身と、まだ漱いだ水に濡れている髪が、酷く寒そうに見えて、庇いたくて無意識に伸ばした斉藤の手は、途中でびくりと震えて止まった。
「今、何か探してくる。…着るものとか、何か。近くで…」
「…? なんて言ったんだ。耳が、よく聞こえな…。もっと傍で、言ってくれないか…」
「……あぁ」
一度は立ち上がった斉藤が、土方の傍に膝をついて、その傍らに手を置いて、土方の耳に触れそうなほど唇を近寄せる。疲れ切った青い顔は、花のように美しかった。うっすらと開いた土方の唇が、斉藤の鼓動を騒がせる。
「少し、待っていてくれ、と、言ったんだ。すぐに戻る…。あんたの為に」
「…おめ、ぇ…。誰……」
「味方だよ…」
ほんの微かに、土方の耳朶に斉藤の唇が触れた。斉藤はその一瞬、目を閉じて震えて、泣きそうに顔を歪めたが、低く零れた喉の奥の嗚咽すら、土方には届かないほど微かだ。
もぎ離すように視線を逸らし、今一度立ち上がると、斉藤は土方に背中を向けて、夜の木々の間を抜けて走った。ここからすぐに行ける里は小さく、欲しいものが手に入るかどうか判らない。しかし、時間も無限ではないのだ、急がなくては。
闇は濃いが、まだ約束の時間までは間があった。彼が駆けているその少し後、沖田が何処で何をしたか、斉藤も、勿論土方も、恐らく永劫に知ることはないのだった。
続
見えてもらっちゃ困るし、聞こえてもらっても困る、とか。別にそういう理由で土方さんの状態を決めたわけじゃないんですよ。…なぁんて言ったら、そりゃ言い訳になるんですけど、それだけ彼にはショックな出来事だったのだと、そう思ってもらえると助かります!
ここで「斉藤、お前か!?」となられては台無し! 台無しなんだよぉ〜!
そしてそのころの沖田は一体?! この番組は、黒沖田に純情斉藤。そういうコンセプトでお送りしてます。提供は…ええと、その…。もごもご。何言ってんだか判んないよ自分。
はいっ、御疲れ様ですー。雰囲気壊す執筆後コメント、失礼しました。
10/11/13
