刀   49




なにが望みかと
あんたは聞く
そのあやうさを知りもせず
なにが欲しいかと
あんたは聞く

雁字搦めに
縛って閉じ込めた
餓えた狼を
解き放とうとする

ひと噛みすれば
何もかも
終わるのだろうか

それとも…




「よくやってくれた」

 満面の笑みで盃を、そして酒を差し出す、近藤局長。死んだ隊士もいる。組の損なったものもある故に、おおっぴらとは行かないが、その功を、言葉だけの労いで済ますわけには到底いかぬ。

 そう言って、局長は斎藤を自室に呼んだのだ。命を果たしただけのこと、当然のことだと首を横に振り、斎藤は酒宴を断ろうとしたが、局長自身に重ねて言われれば、まさか本当に断るわけにもいかない。

「恐れ入ります」

 と、盃を受け酒を頂き、それを繰り返すうち、少しばかりは酔った。そろそろもう、と座す位置を少し下げたその時、彼の足先が触れた障子が、す、と開いた。

「残務があって、遅れた。すまん近藤さん」

 未だ座った姿勢で、斜め上を振り向き、斎藤の眼差しは"彼"を見たのだ。髪は結ったままだったが、淡い色した着流しの。

「…すまん、斎藤」

 彼はそう言って、斎藤の斜め前に座し、携えてきた上等な酒の口を開ける。

「飲んでくれ」

 斎藤は眩んだ。今、土方が来ている着流しに、あまりに見覚えがある。それは共寝の明け方によく、土方が素肌に纏っていた着物だったから。なんの罠か、或いは、どんな拷問なのかとさえ、思ったのだ。

「さぁ、斎藤、俺の酒も受けてくれ」

 笑んですらいる土方が、手を伸べれば届くほどの傍に居るのが、斎藤には苦しい。とてもこのまま傍には居られない。暫し耐えたが長くはもたず、彼は逃げた。

「もう随分頂いた。酔ったようです。ここ半年というもの、酔うほどには飲まないようにしていたので」

 飲めなかったのは、まさに彼の成し遂げた命の故だ。残念そうにしながらも、差し伸べていた酒を近藤は引っ込める。それでは、と辞するために立ち上がり、深く礼をして室を出ていった斎藤に、土方もが続いたのである。

「なら、俺も」
「おいおい、なんだ歳、来たばかりじゃないか」
「今宵は斎藤の功を労う場、本人がいなければ意味はあるまい」

 閉じた障子に、余した酒。近藤は仕方なく、手酌で酒の続きを呷るのだった。

 

 間者の命を終えて帰営した斎藤に、暫しは、と与えられた部屋。その居慣れぬ室に戻り着く寸前、彼の背に小さく掛けられた声があった。

「斎藤」

 早咲きの梅のように、甘い薫りの声がする。斎藤は息の止まるほど慄いて、返事も出来ずに立ち止まった。

「すまねぇな、どうにも性分がせっかちなもんで、昼間の話の続きがしたい。褒美は何がいい、って話だ」
「褒美なら、今さっき」
「あんなもんはただの酒宴だ。いや、たった三人じゃあ酒宴とも言えねぇだろう。やはりそれなりの、お前の功に見合う褒美をしたい。刀が要らないなら、金がいいか」

 問われた斎藤は、思わず知らず、ふ、と笑った。金も、刀も、欲しくはない。強いて言うなら、呼吸の音も届くような、これほど傍に居られるそのことが。普通に話の出来る今この時こそが、何にも替えがたい褒美だ。それをもう、死ぬまで失わずいられれば。

 けれど、土方にそれを言うわけにはいかぬ。

「今、笑ったか? 金も要らないなら…おんな、とか…?」

 まさかそれではあるまい、という響きの声だった。斎藤はそれまで背を向けていたのを、首だけ僅か振り向いてこう言った。

「それは、少し…近いな…」
「おんな? おんなが欲しいか、そうか。でも妻にではあるまい? 遊びのおんなでいいのか、廓のとか。なら、局長でさえ滅多に買わねぇほどの上等のおんなを」
「違う」

 斎藤は土方の言葉を遮った。そうして僅かだけ振り向いた姿のまま、かすれた酷く小さな声で、言ったのだ。


  あんた が ほしい


 聞こえない筈の言葉だった。ほとんど息だけの。一音も音にしなかった。だから聞き返されて、そのままはぐらかせる筈の。けれどその時、風も、土方自身の息遣いの音も、ぴったりと途切れて、その声は彼の耳に届いてしまう。

 土方は、笑んでいた表情を一瞬で消し去った。そうして何も浮かべぬ顔で、淡々と短く問い返した。


  おれ を か

 
 まるで、時間さえもが止まったような数秒。土方のその返しのあとで、聞こえてきたのは斎藤の鼓動だった。どくん、どくん、と強く、激しく。さっきの声の数倍の大きさだったから、土方は思わずくすり、と笑った。そうして、笑う自分を不思議に思った。

「…おめぇに、そういう"興味"があったとは、な。正直言って、俺ぁは男にそういう戯言吐かれるのは怖気が立つ……。が、褒美はそれしかいらねぇ、ってんなら、それを叶えるのは、俺の役目、なんだろう」

 軽蔑、しねぇで貰いてぇもんだが、と、土方は自嘲するように続けた。

「経験が、無くはねぇよ。嫌だろうと、気持ちが悪かろうと、抗えねぇほど無力だった頃が、俺にも合った」

 昏い、昏い眼差しをしていた。今の話は恐らく、大人の力ずくには抗えない、幼少期のことだろう。色白で背も低く、華奢な子供だったと聞いたのは誰にだったか。消し去りたい過去を、そんなふうに言葉にして、大したことはねぇさ、と自分を騙そうとして、土方はひとつ、息を飲む。

 呼吸を落ち着け、くるり、斎藤に背中を向けて、こう言った。

「どうしてもなら、今がいい。…来い」



 斎藤を招き入れると、ぱしん、と小さく音を立てて、土方は自室の障子を締めた。部屋の中には既に布団が敷いてある。酒宴のあとにすぐ寝ようとしていただけのことで、それ以上の意味などは勿論あるまい。土方は斎藤に背を向けて、彼へと問うのだ。

「…で。どうすりゃいい? 脱げばいいのか。全部か?」
「……」

 斎藤は、言われるままに此処までついてきた。許されて部屋に上がり、障子を締められて二人きり。「ほしい」と言った言葉に「是」で返され、あまりにも望み通り過ぎて「そのあと」蛇蝎のように嫌われ軽蔑されることになるのかと、今更のように怖気た。

 それよりも、指一本でもその素肌に触れた時、気が違ってしまうのではないかとさえ思えて、動けない。

「…斎藤…? どうした、今更、怖気たか」
「怖気もする…。さっきあんた言ったな。遊びの、か、とか、戯言で、とか。…どっちも違う。俺は…」

 俺は、
 あんたの消えた記憶の中で。
 俺は、
 消された幾夜の時間の中で。
 俺は。
 俺は…。

 斎藤は数歩、土方から遠ざかるように下がった。閉じた障子にぶち当たり、ガタ、と大きく音がした。

「…欲しい褒美なら、他にもある…。俺は、あんたに、思い出して…ほし…」  

 戻りたいのだ、あの時、まで。欲しいと言ったのも、同じ意味だった。一度は手に入れたものを、引き千切るように奪われ、無かったことにされて、どれほど苦しかったか。どれほど…。

 濁流に飲まれるように、ぶり返したその想い。斎藤の顔は蝋のように白く褪めて、いっそその表情のない顔が、彼の悲しみをあらわにする。

 土方は広くは無い自室の真ん中で、そんな斎藤の顔を真っ直ぐに見ていた。そして酷く疲れたような顔をして、かくり、と項垂れると、ついさっき、燈したばかりの行燈に手を伸べて、中の火を一息に吹き消した。

「悪ぃ。消させてくれ。こんなことで顔見られたくねぇとか、まるで女みてぇだな。勘弁しろよ。それでわかった。いや、前から本当は薄々わかってたのかもしんねぇ。斎藤、おめぇ…」

 おめぇは、俺と。

 おめぇは、俺の。

 おめぇは、俺を。

 あぁ、そうじゃぁない。違う。違うさ。

 俺ぁは、おめぇを、だ。

 じゃなきゃあ「ほしい」なんざ言われて、どんな理由があったって、厭わずいられる、筈がねぇって。

「悪ぃ。斎藤。どうやったら想い出せるか。俺にはわからねぇんだ。だから、形から…で、いいか……?」

 手を伸ばしたのは、どちらからだったろう。引き寄せたのは、つぶすほど激しく抱いたのは、斎藤の方からだった。強張った土方の体に、瞬時、斎藤は怯えた。嫌われて、取り返しのつかないことになったら、と、ずっと近付けもしなかった。それぐらいなら、と生涯会わぬことを選ぼうとさえした。

 でももう彼の中の狼は、放たれた、のだ。

「っ。斎…ッ 」

 おんなの着物を裂いて剥ぐように、土方の肌は晒され、その素肌に斎藤は歯を立てた。火のような熱い息、震えて痙攣するかのような、荒々しい愛撫。薄い和紙の一枚になったように、土方の体はもみくちゃにされ、よじれて、濡れて、汚れた。

 歯を食い縛り、或いは己の着物のどこぞかを、口へと突っ込んで、ぎりぎり声を抑えながら、土方はそれでも細い音を、喉奥から何度も零す。

 けれども。

 抱かれても、剥がれても、舐めしゃぶられても、記憶は戻らなかった。追い上げられて、ひくひくと喘ぎながら精を放って、意識を幾度手放して戻っても、まだ、何も思い出せないままだった。

 ただ、思った。

 こんなにも、こんなにも、おめぇは…  と。















 ええと、わりと急展開の自覚はあって。でもなんか、もう色々、避けよう除けよう逃げようとする土方さんも、このままでもう充分と自分を騙す斎藤さんも、かわいそう過ぎて、さ。

 敏い土方さんは本当はもうわかってて。そんなこととは知らない斎藤は、どこまでもぎりぎり諦めることに慣れてしまって。こんなまんまじゃいつ二人は、前へ進むのだろうと思ったのですよ。

 いいじゃん、記憶なんかどうでも。誰にそうされても気持ちの悪いことが、この人にされたら嬉しい、とか、そういうのが恋なので、記憶なくしたってそれが残っていることを、いい加減わかれこのやろーーーーーーっ。

 です。
 
 半年ぶり以上間が開いてて、やっと書ける時間が取れて、書けて良かったですーーーー。またずっと先になりますけど、その…すみませんんんんっ。



2019.01.02