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「いよいよ、決めねばならないよ」

 ぽつり、と言ったのは伊東だった。傍らでその声を聞くのは、極少数の彼の腹心たちのみ。斎藤は勿論、藤堂も其処にはいなかった。

「…とは?」

 あえて誰かが問い掛けて、伊東はそれへ笑みで返した。此処は確かに彼の住いだが、誰が何処で耳を欹てているかなど、本当には分らないのだ。言えることではなかった。彼らなりの思惑の為に、近藤を暗殺しようとしている、そのことを。

「あぁ、殺伐としていて、哀しいばかりだね。そんな物騒なことなどせずに済めばいいものを。真っ直ぐな彼は…きっと、哀しみ悩むだろう」

 言いながら伊東は恐らく、藤堂のことを思っている。

「…それに、あの男は黙って見てなど、いないだろうよ」

 言いながら、今度は斎藤のことを思う。

「哀しいことだ。誰のことも、私は嫌いじゃないのに。志を貫くためには、敵にならねばならない。互いに、命を狙い狙われせねばならないんだ。もしも時代が違えば、心の通う友で居られたろうか、彼とも、彼とも、彼とも…」

 けれど、そんなことを考えても、致し方なかった。

「もっと、近くへ寄りたまえ。哀しいと言ってばかりは居られない。話をしようじゃないか。たった今、話しておかねばならないことを」




 ざわざわと、喧騒。人の流れの多い街中で。

 一人、道を行く斎藤が、急ぎ足の町人と肩をぶつけた。町人は彼の腰の刀を見て、真っ青になりぺこぺこと頭を下げながら後ずさり、怯えながら逃げて行った。その男は家に着くなり眼光鋭くなって、懐から取り出した小さな紙くずを広げ見る。そして、見る間にもっと険しい顔となった。

 紙片を囲炉裏へ放ると、それが燃えて消えるのを見届け立ち上る。

「髪ぃ結いの、仕事ぉ貰いにってくらぁ」
「あらそうかい、気ぃつけてねぇ」
「あいよぉ」

 妻に見送られ、その男が駆けていったいった先は、新選組。中でも、常から身なりに気を使う彼の私室だ。案内を乞えば、顔馴染みの髪結いは二つ返事で通される。そこからして既に、常から門番に言い含められていることだった。

「髪結いか」
「へいっ、このところ妙な風が随分吹くんで、洒落モノのお侍さんは、たいそう気にしてなさるんじゃねぇかと思いやして」
「入れ」

 そうして彼が通されたのは副長室。頭を下げたまま膝で擦りより、伏したまま彼は進言するのである。

「鼠ども、新月の宵に猫を噛む怖れ。気を付けられたし、と」

 聞いた土方は、一拍置いて確かに笑ったのだ。

「とうとう…か、待ちかねたぜ」

 きゃつらが動く寸前、出鼻をくじくように、こちらが動く。当初からそうと決めていたことだ。髪結いはその声を聞いて思わず顔を上げ、そして土方の笑みに、一瞬呆けた。局長を暗殺する計画を練られていると聞いて、こうまで嬉しげに笑うなど、流石は…。 

「なぁ、髪結い。おめぇも言った通り、近頃妙な風が吹く。髷の乱れた隊士も多いゆえ、気になるものの髪を結い直してやってくれ。代金は隊から払うから、帰る前にもう一度ここへきてくれるか」

 髪結いが辞した後、土方は、一通の短いふみをしたためた。おんなを口説く内容と見せかけた、別の意味のふみである。

  恋しくて、
  夜も日も明けぬゆえ、
  近々、逢いたい。

 言わずと知れた、斎藤への指示だった。一刻ほどのち、髪結い屋が戻ってきて、丸められた小さな紙片を受け取る。ふみは翌日には斎藤に渡され、斎藤はそれを受け取ったその足で、伊東らの館からふらりと遠ざかった。

 もれてなどいない筈の近藤暗殺計画のため、かえって斎藤は、伊東や腹心たちから遠ざけられて、この数日ずっと捨て置かれており、彼らの中から抜け出すのは簡単過ぎるほど。   

 その前日、固い顔をした藤堂と廊下ですれ違っていた。声をかけようか瞬時迷って、斎藤は結局は何も言わなかったのだ。彼も、自分と同じように、このところ外されているように見える。裏切りを危惧されているのは自分だけだろうが、近藤を慕っていた彼には、きっと何も知らされていないのだと思った。

 近藤暗殺。その計画に混ぜられていないことが、藤堂の命を守ればいい。それだけをただ思って、無言のままに、斎藤は彼の視野からも、ふっ、と消えたのである。


 

 慶応三年十一月十八日 

 それは、酷く寒い夜だったという。白い息を吐きながら、ほろ酔いで夜道を歩く伊東の喉を、一本の槍が貫いたのだ。

 近藤宅に酒肴に招かれ、暗殺の計画が洩れていないことを確信したままひとり歩きし、ただただ不意打ちでしかない刃に、彼は倒れた。彼ほどの人物の死にしては、あまりにも、あまりにもあっけなかった。

「先生が、伊東先生が…!!」
「…先生が、どうしたのだ?」
「こ、こ、殺された…っ!」

 暗殺の報はすぐにも月真院にもたらされた。遺体はしんしんと冷える路上で、既に凍りつき始めているという。これは罠だ、きっと待ち伏せされている、と言うものもあったが、藤堂は誰より先に立ち、その場所へと駈け通した。

 そういえば、と彼は思っていたかもしれぬ。昨日から、斎藤の姿が見えない。そういえば、自分を除いた他の仲間たちが、何かを成そうとしているように思えていた。そして伊東が殺されたという報を聞いた時、誰かが言ってはいなかったか。

 くそ…っ!
 もっと計画を早めていれば。
 死んだのは近藤だった筈なのに!

 藤堂の心は揺れていた。それでも伊東の為に走っている気持ちに偽りは無かった。だから彼はその時、そのまま逃げてくれ、生き延びてくれと小声で言ったかつての仲間の言葉を聞かないふりをし、逃げず、引かず。最後にはいくつもの刃を浴びせられ、死んでいったという。

「それならせめてこの手で、と思っていたんですけどね」

 すべてが終わったあと、血の匂いの満ちた油小路にて。彼の遺体を前に、静かにそう言ったのは沖田だった。

「私が他の人と切り結んでいる間に、貴方のことをぜんぜん知らない、平隊士の剣に倒れてしまうなんて、藤堂さん。あなたは直ぐだから、消せない迷いもあったんでしょうよ。向こうではちゃんと鍛錬しといてください。私が死んだら、何より一番に、あなたと手合せしにいきますからね」

 


 藤堂は戻らぬものとなり、その翌日、斎藤は隊に戻った。

 逢いたい、と記された、かの人のふみを懐に、ただの散歩から戻ってきた態で彼は新選組の門を通り抜ける。彼があまりに当然のような顔をしていたせいか、三番隊隊長の帰営に、門番は頭を下げまでしたのだった。

 そんな斎藤の目の前に、半年、遠目に見ることも出来なかった姿が立つ。不思議なことに、慄きも眩みもしなかった。此処に彼がいる、その空気を、斎藤は静かに全身全霊で感じた。

「……何か、言うことは無いのか…」

 土方の声が、斎藤の耳に届く。

「あぁ、今、戻りました」

 自身の放つ声で、彼の息遣いが聞こえなくなる気がして、短くそれだけを言う。ふん、と小さく鼻を鳴らした土方が、彼のすぐ横を通り抜けながら、こう呟いた。

「出掛ける、共につけ」

 街中を歩きながら、互いにやっと届くだけの声で会話をする。土方は茶屋へ行くと言った。歩きながらの彼の言葉で、仮初に隊を裏切り、屯所を出て行ったその日のことを、斎藤は思い出すのだ。

 必ず戻れ。
 敵陣に居ようと、
 その時が分かるように、
 何らかの形で指示を送る。

 斎藤を見据えて、それだけを言った土方に、斎藤が返したさらにずっと短い言葉。

 戻ったら、その時は、

 けれどそれ以上は言えなかった。想いは混沌すぎて、とても言葉に出来なかった。元より、戻れるかどうかも分からなかったのだ。生きて傍に居られるのは今が最後かも知れなかった。

 斎藤の声が聞こえていた筈の土方は、問い返しもせずに内心焦れて、焦れて待って、その時、二人でそうしていられる時間が終ってしまった。それなのに今彼は、斎藤の記憶とは異なることを言う。

「お前、言っただろう。間者としての命を果たしたら、頼みがあると」
「………よく、覚えているな」

 確かめるつもりで言ったのに、土方はたじろぎもせず言葉を返す。

「約束しただろうが。お前は守った。今度は俺だ」

 はっきりと言われて、かえって、そうだったのかもしれない、と斎藤は思ったのだ。戻ったらその時は…と言うだけで途切れた言葉の先を、彼は聞いたのかも知れなかった。
 
 土方の言葉は続いている。ますます斎藤は不思議な心地になる。ねぎらうための土方の声があまりに優しく、何処へ自分は戻ったのか、とすら思えそうだった。

「この半年、何かと疲れただろう。お前でなくば任せられぬ仕事でもあった。組で出来ることなら、お前の願いはなるべく叶えたいと思っている。それで、何が欲しい。刀を買う金とか」
「刀なら、自分の金で買える」

 笑いが込み上げそうになる。そんなもの。目の前にこうして居てくれる、あんたの存在に比べたら、新しい刀など露ほども欲しくはない。あんたを守るに、手に馴染んだこの刀があれば充分。技量も、あんたのことが守れるならば、より以上など望みはしない。

 その時、さ、と二人の前に不穏な気配が差した。すぐ其処の橋の袂に、ひとり、否、二人。

「副長」

 言葉を発し、剣の柄に手首を触れさせた。剣と、体とが、一つになる気がする。肉を、骨を断つ感触、一瞬跳ねた血の色。

 あぁ、あぁ。
 この一瞬に、心など要らぬ。
 ただ、弑すだけだ。
 大切な、大切な、
 あんたに害為す者どもを。

 怪我は、と問うと、少し長い間の後に、いや、と短く土方が返した。彼は少し、慄いたような顔をしていた。まるで、見知らぬものを見るような顔をしていた。






 
 




 


 内容あっちこっち飛び飛びの48話で、どうにもこうにもです、あぁああ、すみません~~。とゆうか、遥か昔に書いたところと重ねようとして重ねようとして、ここ数日めっちゃ悩んでいたんですけど、出来ることと出来ないことは、どうしたってあるようです。

 ぐぬぅぅぅ。ふぉぉぉぉぉ…。

 一本の連載にして、あるまじき…って思って、いますが、これ本当に無理だ。タイムマシンが無いとどうにも出来ないぃぃぃ。てなわけで、出来る限りで合せてみました…orz 不甲斐なくて土下座するしかないぞ…。

 あと、伊東さんと藤堂さんにもお詫びしておく。あっさり死なせてスミマセンっっ。もう本当に申し訳なさ。お詫びしてばっかりですね、私。次回も自分の出来る限りで頑張りますので、なにとぞ、なにとぞ。

 というか、書くのが遅いのもお詫びしないと、ゴメンなさいでしたーーーm(_ _)m

 

2018.07.01