花 刀 47
心は
願い通りになど動かぬ
運命も勿論
思い通りにならぬが道理
嗚呼
浮かぶその背のつれなさに
そむけた顔の見えなさに
結んだ糸をただただ弄る
捩れぬよう
切れぬようにと
指に想いをひたと籠め
手繰るその日を
夢に見る
もう、秋深い時候の薄暮の夕。
藤堂はひとり、ふらりと茶屋に入った。刀研ぎの店からの帰りで、不意に喉の渇きに気付いたからだった。店はやや混んでおり、お侍さまにそんな、と恐縮がられるのを笑んで許容し、壁の際の狭い席へと座る。
運ばれてきた熱い茶を一杯、喉奥までひいやりとしていたのへ通して、ふう、と、ひと心地付いた時のこと。その声は聞こえてきたのだ。
わたしも
案外未練ですねぇ。
なんだか恥ずかしいや。
息の上に、うっすら声を乗せたような、低くて聞き取りにくい。けれども、よく聞き知ったその声は、藤堂の体のすぐ右横、低い位置にしつらえられた、細かな格子の窓の外から、聞こえてきたのである。
「…おき……」
思わず名を言い掛けると、藤堂の声を即座に遮るように、早口にその声は言った。
「黙って聞いていて下さいよ。最後に一度だけ。一度だけあなたに言いたいと思ったんです。もしも。もしもですよ…? 戻る気がほんの僅かでもあるなら、斎藤さんに、そう…。あなたなら、必ず近藤さんは許す。近藤さんが許せば、土方さんだって、きっと許すんです。だから…だから…」
ただただ、聞くだけで、藤堂はなんの声も発しなかった。身じろぎさえせずに、じっと聞いて、それから茶をまた一口のみ、ことり、と音させてそれを宅の上に置いた。
仲間が死ぬのは、
もう、嫌だなぁ…。
最初と同じに微かな笑みを含んで、最後にもう一言その声は言い、そして気配と共に消えたのだった。
「何か話があるでしょう? 藤堂君」
夜半に部屋に呼ばれて、そう問われた。あげていた顔をすぐにも俯け掛け、藤堂はそれを無理でも押し留めた。伊東は、笑んでいる。月明かりの差す自室にて、招いた藤堂を前に、彼はどこまでも静かだった。
「……はい」
藤堂は心を決めて、口を開く。
「伊東先生は、ここ数か月ずっと、斎藤さんを共にお連れですが」
「あぁ、そうだね。見ての通りだよ」
「…危険では、ありませんか…っ」
「………とは…?」
言う前から、いや、今宵こうして呼ばれる前からずっと、藤堂は青白い顔をしていた。唇も、指も震えていた。寧ろだからこそ伊東は彼を自室に呼んだ。見兼ねてだったと言えるだろう。
「いえ…っ、あのっ」
言い澱む藤堂に、伊東は何処までも静かなまま。一度斜めへ視線を揺らしてから尋ねた。
「藤堂くん。彼のことを、見事だとは思わないか…?」
「え?」
ゆっくりと、伊東は笑みを深めた。改めて彼は、部下の藤堂の前で、きちり正座をし背筋を伸ばし、りんと前を向いて、歌うようにこう言った。
「見事だと、私は思う。だって、彼はただひとりの為に、たったひとりでこの『敵地』に居るんだよ。その様があまりに美しくてね。日々、私は見惚れている。それゆえ、その姿を無粋に断つなど、思いも寄らない程に」
「…で、では…っ」
先生は、すべてを知って、分かったうえで…。
ふるり、と、また藤堂の体は震えた。危険なことだと分かっていて、伊東は彼を共に連れている。まるで己の運を、天命の有る無しを、身を差し出して試すように。
「ならばせめてっ。わ、わたしも共にお連れ下さい。もしもの時は、きっとわたしが先生をお守りしますっ」
思い詰めて、そう言えば、伊東はそれへも笑んだ。そうして首を横に振り、立ち上がって庭へと出て行きながら囁いている。
「そんなことをしては、諍いたくないもの同士の諍いを、私の故に呼んでしまうかもしれないよ。そんなものを、私は見たくなどないんだ」
伊東は月明かりを背に、周り廊下で藤堂を振り向いた。逆光に隠れたその顔が、藤堂にも隠されて見えない。あえてそうしたように、伊東は見せない表情で、きっとまだ笑んでいたのだろう。
「己のすべてを、見事に殺すほどの、あの美しい忠心。私はどうやら、それをまだ得ていない。心底、羨ましく思うよ『彼』のことを、ね」
「伊東…先生…」
私だとて、と、藤堂はその時、言えなかったのだ。斎藤が土方に忠心を尽くすのに負けぬほど、伊東へ己の忠心を、と言えなかった。そして恐らくは、沖田が土方を思う魂にも、遥か、届かないのだ、と。
容易く届くものではない。もっと、想像も及ばぬほどに、それらは精錬されたものなのだ。そのことに今更思い当って、彼は慄いていた。伊東の傍らに、そこまでの者のひとりとて、居ないだろうことに。
「先生、私はせめて…どこまでも、先生と共にあります」
音としては今にも消えそうな、藤堂のその固い誓いに、伊東はただ一言。ありがとう、と、沁みるように言った。
ちき、と土方は爪を噛む。夜回りの隊がそろそろ戻ってくる頃合いと、報告待ちで彼は少し前から起きていた。
文机を出しきちりとその前に座し、待つこと既に四半刻ほどだろうか。遅い。もしや何かあったか。けれど、あまりに静かな早朝で、何かあった気が微塵もしない。ならただ、何事もなく報告が遅れているだけなのか。
土方は一度立ち上がり、身幅より細く障子を開けてから、同じ場所にもう一度座す。そして少し姿勢を崩して、文机に片肘をついた。ついたその手の甲に額を寄せて、垂らした指の隙間の向こうに、ほの白い朝の空気の色を見る。もう秋だ。あれから半年もの時が過ぎた。どうしているのか、と、ふと思う。
思い浮かぶのは、斜めにこちらへ向けられた背中だった。すらりと立って、あぁ、あの肘の位置は、また大刀の柄に手首をかけているんだろう。隙だらけのようでいて、本当は僅かも隙の無い、その。
そう、殺気でも感じようものなら、
音もなく真一文字に刀を抜くんだ。
おめぇは…。
思いながら、土方の目が、眩しいものでも写したように、す、と眇められる。そこからは零れるように、次々浮かぶ、あの姿。でもすべてがすべて、顔を見せない姿ばかり。
屯所の庭で、
市中の路地で、
竹林の傍で、
どこぞの茶屋の前で、
神社の石段に片足掛けて、
あと…
この、部屋の、
丁度俺ぁが今見てる、
障子の前に座って。
それから、
夜具に寝ている、
極間近い、背中まで。
あぁ、この明かりはまさに、
夜明け寸前の、ほの白さで…
「いつ、だ…」
ほろり、土方は言った。思い出した幾つもが、その前後の分らない記憶だった。それら斎藤の背姿は、まるで絵のように、ぴくりとも動かない。
覚えてねぇからだ、と、そう思う。
忘れちまっているんだ、俺ぁが。これはいつのおめぇだ? この前、この後、おめぇは、俺と、何をした? 俺は、おめぇと…何を…。たった今、おめぇが此処に居たなら、すべてが苦も無く埋まる気がして。
なんで今、
おめぇは此処にいねぇんだ
…と。
がやがやと、屯所の門前あたりでざわめきが聞こえた。ようやく夜回り組が戻ったようだった。目の前に見えていた斎藤の姿を、無理やり霧散させるように、土方は一つ、二つ首を振った。
続
今回も少々短く終わってしまいました。しかも冬になる前に書きたいと言っていたのに、この体たらくで本当にすみません。どうも秋口から年明けぐらいまでは、予定が多くて追われてしまうみたいで、計画性がまったく足りてないようですねっ。土下座致しますです。
でも「さぁ、書くぞ」って思ってから、こうして書き上げるまでが、数日ぐらいで出来たのは、46話とか45話が文章としてストーリーとしても、けっこう好きだからみたいです。更新遅くても、書く時に頑張っているとこうして報われるのかなぁ、などとも思ったり。
いえ、遅いのは反省ですがっ。読んで下さる方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
2018.01.04
