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出会った最初に見惚れた自分を
信じられない別人のように思った
それから長い間
自分の気持ちに抗っていた

毎夜思い出すあんたは
美しく清い花のようで
鋭く気高い刀のようで

ただ、確かめたくて来ただけだ
あんたが本当は何なのか
それが運命の始まりだと
俺はまだ知らなかった…





「…何のことか、判らない」

 その男がそう言うと、確かに沖田は小さく笑った。構えていた刀を僅かに下ろしたまま、彼は風の中に血の匂いを感じていたのだ。男も沖田から目を離さないままで、小さく開いた唇で、すう、と血を嗅いだ。

「知らぬふり…ですか。それも別に構いませんが、気付いているでしょう。この血の匂いがもし…」

 軽く下ろしたままの刀が、不意に前へと伸びた。

 音などは微塵もしない。落ち葉や、枯れ枝を踏む音もさせず、沖田の突きが相手の喉を狙う。右へと首を逸らし、そのまま二歩分後ろへ飛んで、飛び下がりながら、男は一度は鞘へ刀を納めた。ちん、と微かに音立てて、抜き打ちの刃が沖田の脇腹へと吸い寄せられる。

「真剣を手にして本気で胴を狙いますか。怖い人だなぁ、話くらい聞いてくれなくちゃ。ええと名前、何でしたっけ?」
「…斉藤、一」

 沖田が逆の手で、腰から抜いた大刀の鞘が、斉藤の刀を弾いていたのだ。「怖い人」などと評された斉藤は、ほんの軽くしびれた手首に、驚愕しながらも、言われた言葉をそのまま返してやりたいと思っていた。

 何故、斬りかかってこられるのか判らない。何故、自分すら判っていない感情を、この青年が知ったように言うのか判らない。鋭い狼のような目で、斉藤は沖田を見据えていたが、見据えられている沖田は、ふう、と、短く息をついて、また少し笑った。

「この血の匂いが…もし、あの人のものだったら、貴方が助けにいってくれますか、斉藤さん」
「何…」

 放たれた言葉の意味が判るなり、斉藤の心臓の鼓動は跳ね上がった。未だ濃く漂っている血の匂いが、どこか甘やかに思えた。

「…あの人のですよ。…だから、私に代わって、行ってください。貴方になら任せられると、たった今確信しました。この先の宿場町の、藤折屋の離れ、糸の間。できれば、今日深夜までに…。それが無理でもなんとか明日の夜が明けるまで、あの人を送り届けてください。なんとかそれまで、私が誤魔化しておきますから」

 早口でそう言い終えると、斉藤が何一つ返事もせぬうち、沖田の姿は夕闇に溶けるように消えていた。木々の間を縫うように、音もさせずに遠ざかる姿を、斉藤はじっと見送りながら右手に力を込める。

「藤折屋…糸の間…。今日深夜まで…」

 そう言われた意味は、はっきりとは判らない。だが恐らくは、それが土方のためのことなのだ。そうでなくば、あの人はきっと、あの唇を噛んで悔やむのだろう。そうさせないために、あの人のために、自分がなすべきことがある…!

 今はもはや、花の匂いのように思える血の香りを、もう一度強く吸い込んで、斉藤は己が勘に従い、刀の柄を押さえたまま走り出す。血を嗅いだ狼の嗅覚は鋭い。迷うことなく目的の場所へ走り通すことができるだろう。血の匂いが届くほどだ。元々それほど距離はなかった。

 そうして、視界を阻む木々が切れる一瞬前、声が、斉藤の耳に届いていた。

「ぅ、あ、ぁあ…あぁ…ッ!」

 あぁ、あんたの声だ。これは…。
 土方さんの…。

 そう思って目の前の枝を払い、駆け入ったその場所で、斉藤が最初に見たのは、今まで見たこともないほどの、白い艶めいた脚だった。

 そして次にはその広げられた白い脚を、両脇腹に抱えて腰を揺すっている、知らぬ男の後姿。突然現れた斉藤を、その両横についていた男が瞬時に振り向く。二人の男はどちらも、着物をはだけて、下帯を緩め、一物を取り出したままのケダモノのなり。

 鯉口を切る音すらもさせない。そこに現れた気配も殺したまま、最初の一刀が右にいた男の横腹を斜めに切り上げ、逆側から向かってこようとする男の心臓を貫いた。

 あがぁ…っ、と人間とは思えぬ声が零れる。血が、連なる珠のように空を走った。胸を突かれて地に伏した男は、己の血と枯れ草にまみれながら、数回跳ねるように痙攣して動かなくなったが、斉藤はその男のことなど見ていない。

 最後に、返した刀はそのままに勢いを増す。
 片手にさらに、もう一方の手を添え、
 渾身の力を込め、切っ先で真横に、薙ぐように。

 醜いほどの憎しみが、その刀にはのせられていた。憎しみの理由は、何よりも明白。血まみれになった脚を広げられて、枯れた泣き声を上げながら、揺すぶられているその人は、彼の宝珠そのものだったからだ。


 ただの一刀で、フチゾウの首は宙へ飛んだ。
 

  * ** ***** ** *


 視野が何故かおぼろだった。

 敵が多勢で迫ってくる。自分の隣には近藤さんがいる。逆隣には総司が。怖いものなどない、これから自分は志のために、士道の示す道を行くのだ…!

 そう思って土方は、腰の刀に触れようとした。だがそれが、どうしてか思うようにいかなかった。握ろうとした指の感覚が無い。刀に触れた気もしない。そうして見下ろした自分の腕には…。

 手首から先が ついて、いなかった。



「ぅ、あ、ぁあ…あぁ…ッ!」

 叫ぶと同時に、恐ろしい悪夢が縦に裂けて、悪夢のような現実が土方の体に戻ってくる。耳元にケダモノの息遣い。両脚を抱えられ、開かされた脚の付け根に、熱く太い杭が刺さって、がくがくと彼を揺さぶり続けている。

 ギシギシと軋む手首は、ずっと縛り上げられて感覚が鈍っている筈なのに、錆に蝕まれた刀の刃が、薄い肉に食い込んでゆくのが判った。

 もう、ここで俺ぁは、終わりだ。
 近藤さん、総…司…
 俺ぁのことは、忘れて、
 先へ 夢に見たとこへ…
 行っ…

 遠くなっていく意識の外で、フチゾウが二人の仲間どもを傍に呼びつけるのが聞こえた。まださらに、この先も三人がかりでなぶる気なのかもしれないが、そんなことも、もうどうでも…。そして、


 その、とき


 熱いものが、ばしゃ、と顔にぶちまけられたのだ。歪む視野が、一気に真っ赤に染められた。赤い雨が、滝の飛沫のように土方を散々に濡らして、生臭さに気が遠くなりそうになる。

 がくん、と下へ落ちかけた体を、誰かが支えた。刀の刃に縛られている手首を、誰かがしっかりと押さえてくれた。

 土方さん、

 と、誰かが言う声が聞こえ、痛いほど抱き締められて、そこで視野が暗転した。












 あら、思ったより沖田vs斉藤の斬り合いシーンが短くなってしまいました。だって、そのあともズバーっ、ザクーってシーンだからくどいかと思って…。嘘です、格好よく書くのが難しかったからなんです。もう少し勉強しなきゃね。

 でもまぁ、血まみれになりながらも、土方さんは救出されましたから、あとは黒沖田の活躍シーンと、斉藤×土方のラブラブ…。いやいや、違う違う。間違えた。介抱するシーンですよー。

 とにかく頑張ります。応援して下さると嬉しいです。読んでくださりありがとうございました。


10/10/24