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 ころせ。

 ころせ。
 
 ケダモノを。

 そうしなければ、
 息も出来ない。

 ころせ。
 
 ころせ。

 ケダモノを。
 
 そうしなければ、
 俺がこわれる。

 あんたが こ… 

 

 
 目の前が、真っ赤になった。何を考えることも出来なかった。怒りで感情が焼き切れて、気付いた時には血の海だった。どすぐろく、どろりと腐った汚毒の中に、あんたはぽかりと浮くように。

 俺は血刀を鞘におさめて、あんたを抱いた。折るほどに。腕の中であんたは、一瞬震えてそれきり、動かなくなった。



 

 夜半、沖田の室を訪ったものがあった。監察の山崎だった。乞食のなりをして、一瞬彼だと分からないほどの変装ぶり。それが息をひそめて沖田の名を呼び、これを、と菰に巻いた長いものを差しだした。
 
 一目見て沖田には分かった。うっすらと降る月の明かりだけで、つや、と光る拵えが、それが誰の刀であるものかを語り掛けてくる。紛いようもなく、土方の脇差しだった。山崎はそれを川の流れの下で見つけたのだと短く語り、その川の流れが、速いことを小さく言い添えた。

「このことを、他の誰かに?」

 沖田はそう尋ね、山崎がしっかりと首を横に振るのを見ると、御苦労、とだけ言い捨てて表へと走った。非番の自分と違い斎藤は外回りだった筈だが、見上げた月の居場所が、そろそろ帰営だと教えてくれている。そうして沖田は、土方の部屋へと向かう庭で、彼をつかまえた。

「これを。あの人のものだ。多分、何か」

 よくない、ことが。

 山崎から聞いた通りに場所を告げて、共にゆく筈が、矢の如く走る斎藤に、僅か遅れをとった。斎藤の方が道に詳しい。わずか鞘走らせたその刀。斎藤の方が、邪魔なものを切り捨ててでもゆく気に満ちている。その上、ぜい、と沖田の喉は鳴って。

 それでも遅れることほんの少しばかり。そのほんの少しの間に、橋の翳りは、地獄絵図、へと。
 
 ようやっと追い付いた沖田は、土方の脇差を抱いて、そうしてそこで立ち竦んだ。斎藤の背と、斎藤に抱かれている土方の四肢を見て、それでも息を深く吐いた。身動きせぬ斉藤の背なだけで、とにかく、間に合った、のだと分かったからだ。

「斎…」

 けれど、そう言い掛けてぎくりとする。うっすらと土方の目が開いている。それが段々見開かれて、つう、と唇の端から血がひとすじ。

「…っじかたさん…っ」
 
 沖田は無理でもその口を抉じ開け、己の指をそこに突き入れた。舌を噛んだのかと思ったのだ。でもそうではなかった。切れているのは唇で、空虚な目はただただ見開かれ、土方は沖田の指を口に差し込まれたまま、何かを、呟いていた。

 お、めぇ…

 だった、のか…

 おめぇ、だった、のか…

 沖田の体は、すう、冷たくなった。何か取り返しのつかぬことをしてしまったのだと直感した。けれどももう、ほんの数瞬手前にだとて戻れない。

 彼は着ていた着物を脱いで、己は襦袢だけになり、それを斎藤に差し出した。斎藤の体は強張ったように動かず、それでも沖田の意を汲んで、強張った腕を解き、全裸の土方の体にそれを着せ掛けた。

 白い素肌は、幾重にも汚れていた。泥、泥混じりの草、汗と、おそらくは穢れた白濁、それから、血…。

 ここですぐに洗い流してやりたいと思ったが、川の水も真っ赤だと、宵闇の中でさえ察せられた。三人の男の体が、刺し貫かれ切り裂かれ、或いは分断されて、流れにひたっているからだった。
 
 視線を感じて沖田が見上げると、目立たぬように身を縮め、橋の袂で山崎がこちらを見下ろしていた。目だけで沖田に言っている。

 ここの始末は私がうまく。
 だから、
 そのひとを、早く何処かへ。

 こくりと頷き、沖田は斉藤と土方を抱くような気持ちで、川沿いを隠れるようにしながら、その場を動いた。ぴちゃぴちゃと、水を踏んでゆくのは、履物の血を洗い流す為でもあったが、歩くごと、その血が足首を越え膝を越え、全身を穢していくような、そんな気がしてならなかった。

 


 尻穴から脳天までずうっと、長いもので貫かれているようで、俺ぁは、いってぇ、なんだ、と遠い脳裏で、思っていた。そんな時、突然びしゃりと、熱い液体が全身に浴びせられ、視野が真っ赤になって、何も見えなくなった。

 大丈夫だ、あんたは、大丈夫だ。

 そんなふうに、耳に、繰り返し流し込まれる言葉。心ん中に、急に、なんかあったけぇもんが入ってきて、あぁ、これは悪夢だったのかと、朧げに思って。また聞こえてくる声を、貪るように聞いた。

 俺が、何度だって守る。
 あんたは忘れりゃいいんだ。
 あの時のことも、今日ことも、
 全部、全部、忘れて。
 あんたはずうっと、
 きれいな、まんまで。
 
 あの時、と、声は言っていた。途端に、それが蘇った。もう俺ぁは、汚れているんだと。でも。でも何故それを、知って、いる…?

 きつくきつく折る程に、俺を抱いてる体が誰か。こうして守ってくれたのが誰か。そう、あの時、守ってくれたのが、誰か、分かった。


 あの日の「アレ」を、こいつが、
 お前が、知っている、のだと、

 いう、こと、を。


 見開いた目に映った姿に、どぷり、と墨の色。ぶちまけて、塗り潰した。消した。見えないように、闇色の、底の底に。  
 



 土方副長
 不調のため
 不在なり

 室の障子の表に、小さな紙。他は滞りなく、隊は機能していた。四肢の力が入らずに、動くことが出来ず、土方は今は余所にいるものの、その脳裏はいっそいつも以上と思うほど冴えて、信用の置ける少数の隊士だけを出入りさせ、ちゃんと指揮を取っている。
 
 ただ、その中に斎藤は含まれていなかった。

「斎藤? 誰だ」

 と、彼は言ったのだと言う。少なからず驚いて、山崎が簡単に説明すると、ちゃんと思い出し理解はした。が、三番隊、隊長、どれほどに腕が立ち、どのような剣を使うかということや、寡黙で表情の無い男だと言うこと以外、覚えておらぬようだった。 

 土方の中から、彼のみ知り得る斎藤一は、消えたのだ。




 続











 すんごい、佳境、ですね。楽しく書きましたです。こんな内容を楽しくって、ちょ、…あのアレですけど、正味二時間弱で書いたところから言っても、のりのり、でさ。まぁ楽しかったーっ。てのが、正直なところです。

 次回も楽しそうだ。忘れられた斎藤が、どんな気持ちでいるのかとか。山崎のこともちょっと書きたいし、沖田も。それからちょっとばかり、一部イッちゃった人の土方さんは、きっと綺麗だろうなって…////

 いや、八月からずっと続き書けずにいてすみませんっていうのを言い忘れていた。ごめんなさいぃ。再開しました! 読んで下さった方、ありがとうございます!


2015/01/02