刀   36






 恨んでいいですか?

 あなたのせいじゃないけれど、
 むしろあなたが、
 死ななきゃならなかった理由を、
 作ったのは確かにあの人だけど、

 恨んでいいですか?

 あんなにも心が柔らかな人が、
 こんな重荷に耐えられるのかどうか。
 私ならこんなことは出来ないのに。
 それを成して逝ってしまった。
 
 あなたに、言いたい。

 たぶん、あなたの思うより、
 あの人は脆くて弱いんです。
 心に既にいくつもの傷があり、
 ぎりぎりで立っているんです。

 恨んでいいですか?
 もう居ない、あなたを。
  



 君か、ありがとう。

 静かに笑んだその顔は、つい今朝の顔なのに、もうその顔は見られない。体と綺麗に斬り離されて、浅く掘った土の中に転がったのだ。その顔すらも澄んでいて、ほんの欠片ほどの恨みも、悔やみも、浮かべてはいなかった。

 ほら、今にもその渡り廊下の向こうから、誰より静かな足音で近付いて、土方君、話があるんだ、とでも、掛ける声が聞こえそうだ。

 あぁ、なんて酷い悪夢だ。
 山南が、あんなにいい奴が、
 もうこの世にいないだなんて。

 淡々と、淡々と土方は仕事をこなす。外へ出る用はなかったが、報告を聞くことも、せねばならないことを考えるのさえ、何も変わらないかのような姿で為している。そのあまりにもな変わらなさが、端から見て気味が悪くすら思えるほど。

 夢にしてもあまりに不吉。
 山南は聡いから、もしも今会ったら、
 どうしたのかと案じるだろう。
 会わねぇように、しなけりゃあ…。

 丸一日の仕事を終えて、土方はさらりと障子を開けた。空の高みに月が掛かり、その銀の光が、さらさらと音でも立てそうに、庭へと降り注いでいた。

 梅の枝に、たった一輪梅が咲いていた。開いたばかりの筈なのに、今にも散り落ちそうに儚く見えた。
 
 餞 に …

 耳に、誰かの声が聞こえて、梅の花弁が揺れた。

 思い残すことは、無いよ

 これは? 誰の声だったのか。土方の視線の先で、今にも、あぁ、風に捥ぎ取られてしまいそうに、あの花弁が、揺れ…。目を凝らし、土方は月宵の中、その一輪を、見ていた。それが、確かにあった筈の、美しい梅の花が、ふっ、と何処にも見え失くなった。

 焦ったように、廊下へと出て、ふらふらとそのまま庭へ。渡り廊下からそのまま踏み出そうとした体が、抱き止められた。

「…危ないな。何してるんだ、あんた」
「……さ、いと…」

 覚めた、ような顔をした。約束が無ければ来ない筈の斉藤が、自分となんの約束をしていたか、思い出してしまう。事後は共に居る、と、そう言った斉藤の言葉が、たった今、耳に注ぎ込まれたように有り有りと蘇る。

「触るな」
「土方さん?」
「さわ、るな…ッ。…っ」

 胸に、強く抱き取られた。そして斎藤の肩口に、強く顔を押し付けるようにされて、言葉を、抵抗を封じられる。そのまま斉藤は土方の体ごと、彼の部屋に入り障子を閉めて。

 もつれ込むように、身を絡めて、部屋の真ん中に二人は倒れ込む。まるで血の通わないもののように、土方の体は着物越しでも冷たくて、それが不安で、斎藤は彼の着物の袷に手を差し込んだ。直に触れた肌は、着物越しより少しは暖かくて、鼓動を確かめるように、心臓の上に手のひらを置く。

「約束した通り、今夜は共に居る。朝から今までが長かった。あんたをひとりにしておくのが」
「……や、め…」

 土方にとってそれは、現実を、傷の中に無理にえぐり込むような言葉だ。何が、何故、そんなことを言うのか、考えたくはなくて、逃げていた自分の在り様ごと、血生臭い匂いすら蘇る。あの、肉と骨を一息に断つ音さえも。ぽとりと落ちた丸いものが、何だったかを。

「や、やめ…てくれ…。や…」

 横を向いて、斎藤の姿を見ないままに、土方はうわ言めいて呟いた。受け止めろと、受け止め続けろと山南は言ったのに、なのに逃げている自分を、今はまだわかりたくない。心がべしゃりと潰れそうだ。自分がいったい、何を決め何をしたか、何をさせたか。

 目の前が、黒く塗り潰されていく。あるいは、肉の切り口のように、真っ赤に、なっていく。

 明らかに普通ではない土方の姿に、その体を押さえ込んだままに気付いて、斎藤も心を乱した。乱れた髪を撫で、肩や背中、触れられる箇所全部を撫でる。もう、抵抗はされていなかった。

 動かない体を不安がりながら、斎藤は土方の着物を肌蹴させ、冷えている肌を愛撫する。いつもよりは淡いけれど、それでも土方の体は反応して、緩く背を抱いてきたのだ。

「抱いていいか…?」

 気遣うように、普段は問わないことを問いながら、返事を待たずに唇を吸う。正直、どうしていいのか分からなかった。過去に、複数の男に犯されて、それでも乗り越えた土方なのだから、時さえかければ大丈夫なのだと、そう思いたかった。

「なぁ、俺は傍に居るから」

 斉藤は、どんなことでもして土方の心を癒したいと思っていた。けれど何も言わぬまま、真逆の心で、土方は癒されてしまうことだけは、己に許してはならないと思っていたのだ。

 隊を守る為、どれほど鬼となろうとも、
 心はいつも柔らかで傷付き易く、故に、
 傷を負ったまま、痛むまま。

 己の腹に刃を突き立て、横に裂いてゆきながら、唇から血を零しながら、首を跳ねられるその瞬間までも。いいや、首だけになった今でさえ、それが山南の願い。命かけて、土方に伝えた想いだ。だから。

「抱い、てくれ…」

 心を閉ざしたまま、
 決してお前に癒されることなく。
 抱かれる、から。

 斎藤はそんな土方を、不安なままで抱いた。傍にいる事で、肌を重ねることで、少しでも楽にならせようとする思いが、届かずにただ空回っていることには、気付いてしまったけれど、それでも、それ以外にどうしたらいいのかが分からなかった。

 あんたがそんなふうにいることを、あの男はきっと望まない、とでも? どうしたってもう戻らないのだから、とでも? それとも、あんたのせいじゃないとでも、言えばいいのか。どれもあまりに空々しくて、否定されたらもう言葉を継げないような気がして怖かった。

 仕方なかった、と、それだけでも言いたかったが、仕方がないような状況を作ったのは、確かに土方だったから。

 もうこの世に居ない男を、恨みたいような気持になった。





 雨が、降っていた。あれから十日が過ぎている。葬儀も済んですべてが元に戻ったように見えて、心がまだ血を流しているような日々だった。

 毎晩斉藤は土方の部屋を訪れ、平素に戻ったような昼間の土方とは、まるで異なる彼を抱き寄せる。そんな彼に従順に体を開きながら、土方の心はいつまでも、頑ななままなのだ。

「面白くねぇだろう…?」
「……」
「抱かねぇでいいぜ、こんな人形みてぇな体」
「人形のようだなんて俺は思ってない。あんたはちゃんと反応するし、声も上げてるだろう」

 ただ、心を閉ざしたまま、その閉じた心の内側の避けた傷を、癒されようとしないだけだ。

「くく…。無理、してやがる」
「無理など…!」
「いいさ、でも明日はくるなよ、斎藤」
「…っ」

 反論しようとする斉藤の頬を、布団から出した右手で土方はするりと撫でた。相変わらずひいやりとした手だ。

「馬鹿、気色ばむな。夜番だ、おめぇの組は」
「巡察が終わってから来る。あんたの顔だけでも…見たい」
「…おもしれぇか、こんな陰気な顔見て」

 薄く笑って、土方は斉藤に背を向けた。土方の体を後ろから抱いて、斎藤は彼の首筋に唇を付ける。そんな場所を強く吸おうとすれば、いつもなら抵抗されるのに、土方はじっと黙ってさせていた。

「巡察だろうがなんだろうが、常にあんたを、傍に居たいぐらいだ」
「…犬、みてえだな。おめぇは俺の」

 くく、と小さく声立てて笑う。その声が斉藤は酷く嬉しかった。やっとほんの少しばかり、傷が癒えてきたのかと思ったのだ。

 悲劇はけれど、傷が癒される前に重なるものだ。
 まるで、致死毒のように、容赦なく…。















 エロくなりませんでしたが、ちょっと書く前に、エロはよそうって思ったんです。だってこのあと濃厚、だと思うから。非常に不幸な展開になります。次回の話は冒頭に注意書きを入れようと思うのです。ですので、気を付けて閲覧くださいね。

 読んで下さるお方にお詫び、花刀、いつもお待たせしてごめんなさいです。



14/05/18