花 刀 35
これで最後と思って
私はこんなことを思っているよ
君がそれほど美しいということ
まるで雨に打たれる花のようだね
私が知らず心を寄せていたのは
無邪気で自由な以前の君だった
いつでも眩しいほどの君。
我儘な願いとは承知しているが
いつの日かあの頃の眩しい花に
戻ってゆける君でいてくれ
その為の魂をきっと何処かに
持ち続けていて欲しい
真っ青、だった。屯所に戻って、山南が見た土方の顔。常とは違う、血の失せた唇は、それでも不思議な花のように美しく、その唇を噛む様は、薄い花弁を噛んでいるように見えた。
「戻れば…切腹と、知っての上か……」
しわがれた老人のような声。明らかに言葉を間違えている。戻れば、ではなく、捕えられればとでも言うべきところを。山南は、ひた、と土方の顔を見つめ、ゆっくりと笑んだ。
「…戻らずば、命よりも大切なものを失っていた。だからここへ戻ったのは、脱走したことと重ねて、私の意志だよ」
顔が見えなくなる一瞬に、すまない、と言った言葉がその場にいたものの耳に届く。すまない、の意味を、おそらく同じに捕えた。辛い役目をさせて、すまない。切腹を覚悟した故の言葉。きちりと坐して背筋を伸ばし、揃えた指をついて頭を下げる。
「長引けばきっと沖田君が苦しむ。土方君、出来れば明日の朝にでも」
もう己に背を向けていた土方に、そんな言葉が追い打ちする。びくり、と跳ねた肩の線を、顔を上げた山南が見ていた。そのまま土方は振り向きもせずに行ってしまった。そして形ばかり牢のように装われた狭いその座敷、嵌められている格子に太い片手を掛けて、近藤か淡々と彼を見つめている。
問うのはたったの一つだ。
「覆せんのか、山南くんの気持ちは」
隊の長。土方の定めた五箇条をさえ、今すぐにでも破棄してしまえる立場に居て、それだけを。
死ぬのは嫌だ。
やり残したことがある。
いま一度、生きる機会を。
そのどれを山南が口にしたとしても、理由など何も分からずとも、それでも救うと、死なせはしないと、そう近藤の目が言っている。
「寸分たりとも」
山南の答えはそれだった。近藤はその場に膝を付き、格子に顔を寄せて、じっと彼の顔を見た。見納めだとして見る眼差しだった。覚悟を決めて、己の終りを定めた漢の心を、今更無理に変えさせることは出来ないだろう。
「残念だ。…朝まで、ここに見張りは立てない。逃げろと言う意味じゃなく、山南君に会いたいと、顔を見たいと皆も思うだろう。だからな、せめて、会ってやってくれんか、君を仲間と慕うものたちに」
「………」
黙り込んだまま、土方はそこに居る沖田を見た。沖田は山南の居る牢から出た、すぐのところにぼんやり立って、柱に背を預けたまま枯れた庭木の枝を眺めていた。
「梅ですかねぇ、これ、早咲きだったらよかったのに。だって、山南さんも梅が好きですよ。だから」
餞に
はっきりと、沖田はそう言った。連れて戻っておきながら。もう旅立つと言えば、意味は一つしか残っていないのに。
「ねぇ、土方さん。理由なんかを私に聞かないで下さいよ。私は山南さんみたいに頭が良くないし、土方さんみたいに色々考えるのも苦手なんだから、わかりゃしません。…わかってるのは、山南さんがそうしたいんだ、ってことぐらい」
振り向いた顔は、泣いても笑ってもいなかった。やっぱり白い顔色をして、淡々と言うだけだった。
「介錯を頼まれたんです。いいですよね、私で。山南さんの最後の願い事、ちゃんと叶えてあげたい。剣しか取り柄のない私に、ぴったりの役目だと思うし」
踵を返して、沖田も消えて、ひとり残された土方は、そのままそこに暫し佇み、複数のものの足音を聞いた。こそこそと物陰に身を隠しながら、原田や永倉が、山南のいる牢の裏へと回るところだった。井上の姿も少し遅れて見えた。
逃がしに来たのだろうかと思う。無駄足になるだろうと、そう分かっていて、土方は静かに眼差しを逸らす。自室へ戻れば、そこには微かに香るような気配が。目を見開き、土方はすぐに顔をそむけ、独りで居たい、とそう言った。
「…承知した。が、代わりに事後は、共に居る」
部屋に上がり掛けて、土方はぽつりと聞いた。
「お前ぇは、会わねぇでいいのか? 最期だぜ…?」
「もう会った」
「………斉…っ」
振り向いた時には、既に姿が消えていた。
寡黙な男は寡黙なままに、目の前に唐突に表れてすぐに消えた。ただ、何かを見抜こうとするかのように、真っ直ぐに目を覗き込まれて、それだけで納得したのか、すぐに背を向けたのだ。だから、声を掛けたのは山南の方だった。
「君は…ずっと傍にいるんだろうね」
「……」
「私が言う筋合いじゃないが、それでも言わせてくれ。彼は、脆い。私のことでも、それ以外でも、これから何度も傷付くだろう。支えていてくれ、ついていてやってくれ。でなければ、いつかきっと…」
振り向かず、斎藤は言った。脳裏には花に似たあの姿。
「…罪なひとだ」
「あぁ。でもそれは、けして土方君のせいじゃない」
その夜は、長くて賑やかな夜だった。沖田と共に屯所へ戻り、土方と話し、近藤と話し、斎藤と話して、その後は他の皆が訪れる。説得しようとしたものも、怒ったものも居た。格子の間から手を差し伸べて、最後に山南の手を握ったものもいた。
ひとりひとりに別れを言って、悔いはないのだと心から伝えた。独りになってすぐに夜明けが訪れた。閉じた障子の向こうから差す、朝日の色が美しい。
やり残した仕事は一つ。それさえやり遂げれば、生まれて来たことにすら感謝が出来る。腹を割き、首を落とされることにさえ…。朝の光の差す中で、山南は眩しげに目を細めて言った。
「…君か。有難う」
そこに立つ男の顔を見ただけで、自分の成し遂げたことが分かった。やはり君は気付いてくれた。これで何も悔いはない。
「思い残すことは無いよ。…露ほども」
山南の心と同じように、その朝の冷えた空気は、とても美しく澄んでいた。そこに居た皆が真っ直ぐに、彼の最期を姿を見つめていた。誰も何も言わなかった。柔らかく笑んだままに腹を割く、見事なその姿が、ひとりひとりの心に刻まれる。
そして光る銀の光が一刀の風の如く、彼の命を断ち切った。
人の命を断つことの重み。
君はそれを、幾つも幾つも、
その身に背負って行く道を選んだ。
けれど背負うことの苦しみに、
慣れてしまってはいけない。
どれほど鬼となろうとも、
心はいつも柔らかで傷付き易く、
故に傷を負ったままで、
痛むままにゆかねばいけない。
忘れ得ぬ惨い傷の最初の一つに、
私が今からなろう。
君の胸を内から刺して、
君がずっと君で居られるように。
すべてが終わった後、
幾重にも絡んだ鎖を断ち切って、
自由な君に戻れるように。
君の中の君を、
私は守るために逝く。
辛いのなら、泣けばいい。その日の夕、沖田にそう言ったのは、近藤だった。庭の隅、漸く枝先の目が綻んだ梅の木の傍で、そう言葉にした近藤の目も、濡れてはいない。沖田は、うっすらと笑んでさえいた。
「…何がです? 生憎、品切れなんです」
山南さんの決心を最初に聞いたのは私だ。だからその時に泣き尽くした。その後は泣かずに済むように。
「近藤先生こそ。私、人に言ったりしませんから」
「俺か? そうだなぁ。俺は声が大きいから、そのうち山奥にでも分け入ってってひとりで泣くさ。少し先になりそうだ。あいつが立ち直ってからにしたい」
沖田はくるりと近藤を振り向き、そしてくしゃりと顔を歪めて笑った。
「好きですよ、土方さんのことも近藤先生のことも。私自身のことよりも、きっと好きだなぁ」
私が一等大事に思ってるのは、
土方さん。
それから次に近藤先生。
その次に山南さんの事が大好きで、
その次あたりが私自身…。
いつだったろう、そう言ったのは。きっときっと約束ですよ、と念を押したのは、いつ、誰にだったか。
「あぁ、早く梅が咲けばいい」
餞に。それから、梅の大好きなあの人の心が、少しでも早く癒えるように。
続
シーンがあっちこっち飛んですみません。分かるように書けてるといいんですが。それから切腹のシーンは、もっと生々しく書くつもりが、ぜんぜんそうはなりませんでしたね。あまりに山南さんの覚悟と想いが見事で、あ、ショッキングに書く必要ねぇな、と。だからこんな感じになりましたです。
事後、の土方さんについては次回。です。かなり落ちてますよ、土方さんはーっ。続き、待ってて下さいね、頑張ります(Hシーンもv)
あ、そだ、終わりの所の沖田の心の声は、お正月にブログに書いた「薄慕の士」っていう組ノベルから引用です。よかったら探して見てーv
14/02/19
