花 刀 32
結局私は狡い男だっただけだ。
そのせいでこんなことになったのだ。
体調が優れないからと閑職に甘んじた。
形ばかりの総長でもなんとか隊の役に立とうと、
行動することはいつでもできたのに。
もどかしい、もどかしいと、爪を噛んでいる間に、
土方君は皆を率い、前へ走り続けていた。
その方向が実は間違っていたことに、
今更気付かされて狼狽した。
出来ることが、今からでもあるのなら…。
三日だ。三日。山南は寝込んでいた。三日前に言われたことが、頭に深く刺さるようで、ずっと頭痛が止まなかった。伊東に言われたのである。鵜呑みにするつもりなどなかったが、聞き流すことなど出来る筈も無かった。聞いたことは、二つ、ある。
一つは土方のことだ。伊東はまずこう言った。
「…土方君は隊士達に相当嫌われている。斬首の恐怖で人の意思を縛り、無理に同じ方向を向かせようなどと、隊はじきに崩壊の一途を辿ることになりましょう。土方君は本当は、人に嫌われるような人ではない筈。その人柄を知りながら、一歩引いて見ておられる貴方が、今、彼に箴言しなくてどうするのです…?」
そしてまた、もう一つ。いや、二つ、か。
「沖田君が私のことで何か言ったでしょう。巧妙に秘めてはいるが、彼は未だ大病に体を犯されています。そうと指摘した私が、他にこのことを洩らすのを怖がっているのです。あと数年しか生きられないと思っている彼は、隊の未来を本気では憂えない。それから三番隊隊長。あそこまで土方さんに心酔していては、その行く手を阻むなど思えもしないでしょう」
動けるなら貴方だ。
体の不調で辛くもあるでしょうが。
時勢は一時も待ってはくれない。
と…。
三日、悩んで、そうして寝ていて、起き上がった山南は青い顔をしていた。それでも隊の未来を、土方の事を案じて、紙と筆を出し、己が出来ること、せねばならぬことを書き付け始めた。
「気を付けて、と、言ったのに」
ぽつり、声を掛けられた。振り向いた後ろには沖田が立っていた。やっぱり酷い顔色だ。大病ならば仕方ないと思えた。夜は咳で眠れないのではないか。
「…気をつけるのは君だよ。もう少し体のことを」
「それ、誰に何を言われました?」
鋭く切り込んでくる声に、山南も前のようにはたじろがなかった。
「誰にも何も言われてやしない。私自身が君の顔色とか、腕の細くなったのを見て言ってるんだ。君は隊にはなくてはならない人なのだし、きちんと養生しなければ…。気付いた私ぐらいは口に出して注意もするよ」
山南はすぐ傍の渡り廊下に腰を下ろし、隣に座って体を休めるよう沖田に身振りで勧めた。だが沖田は突っ立ったままで、怒ったように目を鋭くした。
「私が未だ病だとでも? なら今ここで手合せしましょう? 山南さんが私と三合打ち合えたら、貴方の言うのを聞きますよ」
沖田の手首が、腰にある脇差の柄の上を滑る。ほのかな鬼気さえ孕んだ姿に、山南は困ったような目を向けたのだ。沖田の鬼気が膨れ上がる。手首がさらに動いて、柄を握った。
「抜いて下さいよ、さぁ」
「…私闘は禁止だ。切腹になる気はないから」
「私闘じゃない、手合せだと言っているでしょう。でも自信がないのだと見做させて頂きます。ついでだから一つ、言っておきますよ。このところ土方さんに色々言っているでしょう? 無意味です。坂を転がり落ちていってるのは、隊じゃなく、土方さんでもなく、サンナンさんですよ」
くるりと背を向けて、沖田はその場を去った。見るからに痩せた背中に思えて、山南は心配そうにその姿を見送り、それから土方の部屋へ向かった。
土方は一人で部屋にいた。少し前まで誰かが居たのか、彼らしくなく多少崩した座り方でいた。山南が声を掛けてから障子を開くと、幾分慌てて居住まいを正す。
「あんたかい、また」
「私です。またで申し訳ないが」
「申し訳ながることはねぇよ、出来れば堅苦しい仕事の話なんかじゃなくて、酒なんか携えて夜にでも来てくれりゃぁ」
などと、酒嫌いの癖に、土方は軽口を叩いた。あんたとする仕事の話は無い、そう叩きつけられたようにも思えたが、ここ怯むのでは意味がない。きちりと座り直しつつ、襟を直すような土方の仕草が珍しく思えた。
いつも一糸乱れぬ姿でいて、着崩れたり気を緩めていたり、そういう部分を見せないのが、京に来てからの土方だった。
山南はちらりと思う。やはり誰かと居たのだろうか。今日は三番隊は非番だったろうか、と。だとして、何だと言うのだろう。斎藤が土方に心酔していると、伊東は言っただけ。深いことなど何も口にしていない。なのに「そんな」想像をする自分は、下種だ、と思う。
「そんな」の中身が、じわ、と脳裏に描かれそうになって、山南は本題を言葉にしようとした。それを挫くように短く、すぱり、と土方が切って捨てる。
「屯所移転の件も、隊規の文言も、変える気はねぇよ」
言わぬ目が言うのが聞こえた。前々に土方に告げられた言葉が、勝手にまた山南の脳裏で語られる。釘を刺すように、淡々と揺るぎなく、揺らがぬ意思を幾度でも見せつけるようにだ。
誹りを恐れて意思を曲げる気はねぇ。
命を惜しんで逃げる奴はいらねぇ。
ここに入ってきた以上そいつは新選組の隊士だ。
その名を捨てる時は命と引き換えにして貰う。
それを厳しいと思う奴ぁ了見が甘かっただけだ。
倣うか、でなければ死ぬか。
そうして「それ」に倣ううち、
己自身が「それ」そのものになる。
そういう奴じゃねぇと使い物にはなんねぇ。
土方の欲しがっているのが、まるで心の無い「駒」だと思えた。感情を捨てて駒になれというのか。昔の土方はこうではなかった。こうでなくとも充分に人を惹き付け、率いていける男だったのだ。憎まれながら隊を固めて、固めて、やがてはそれに罅が入ったら? 思想の無い集まりは脆いのだ。
きっと土方は、体を張ってそれを止めようとし、止め切れず、真っ先に、その身を八つに十にと裂かれる。そんな彼を見たくない。そんなことになるぐらいなら…。
「私は君のやり方には、反対だ」
「…伊東が、俺を止めろと言ったかい?」
淡々とした言葉のままで、土方はほろりと言った。口をつけていなかったらしい冷めた茶を、古馴染みの気安さゆえに、山南へ差し出し、からからに乾いた喉を、まずは潤せと。
「なぁ、サンナンさん。俺はあんたが好きだけど。それとこれとは別なんだよ。言ったろ。そういう奴じゃねぇと、使い物にはなんねぇ。って。いらねぇってさ。だから黙っててくんねぇかな、黙っててくれたら、あんたが心のそこで嫌がってたって、この先も一緒には行ける」
土方からしたら、最大限の譲歩だ。総長という地位のものが、副長の意見と違う気持ちを持つ。ましてや今は伊東がいる。伊東も土方とははっきりと合わない。その上に山南までがこんなことを言っていると知れたら、組は…割れる。
けれど山南は土方の言葉に、痛そうに顔を顰めてこう言った。
「その言葉は…はっきりと侮辱だよ、土方くん。嫌でも黙ってついてくるしかないだろうと、高をくくっているようにしか聞こえない。とにかく、これは置いていく。目を通して、後日、君の意見を聞かせてくれ」
話せて嬉しかった、と、それでも山南は言ったのだ。そうして自分の意見書いたものを置くと、いつの間にか随分と細くなった手で、指で、閉じていた障子を開け、それをまたそっと閉めて行ってしまった。
山南は部屋を出たところで、庭に居たものの姿をちらりと見た。着ている着物の袖と、大刀の鞘尻だけだったが、それでも誰だったのかが分かった。斎藤一だ。立ち聞きしていたとは言わないが、ともかく、彼は非番のこんな時間に、土方の部屋の傍にいたのである。
聞いてやろうか、何をしに今ここに、と。
君の心酔する副長に、会いに来たのか、と。
伊東の言葉を鵜呑みにしたつもりはなかった。なかったけれど、伊東は一種、気味の悪いほどに弁が立つ。人の心を見抜き、揺すぶる術を持っている。
山南は自身では何も気付かぬまま、既に伊東の手のひらの上であった。
続
今回は清々しいまでに斉藤不在っ。しかも、この清らかなエロ無しは一体。いえ、エロメインの話じゃないけどさ、詰まらないんじゃないかと思ってしまって。
書いてる私は正直、ちょっぴり物足りなですっ。次回は土方さんと斉藤さんの会話とか、そういうのとか入れられるかなぁ。今、ストーリーがややこしいからどうかなぁ。次にならないと分からんです、すみませんっ。それにしてもな、大義と私情に翻弄される山南さん。難しい…。
読んで下さった方、ありがとうございますっ。
13/05/03
