花 刀 30
あの人は、
まだここへ来て間もないのに、
皆のことを、本当によく見ている。
土方君のことも、沖田君のことも、
他の隊士のことも、
そして、私のことも…。
知れるのならば、
先に己で気付きたかった。
そうして人を知られる前に、
見事に消し去ってしまいたかった。
あまり隊士の通らぬ一角。寝間の着物の上に羽織を羽織って、彼は縁側に痩せた足を下ろし、真っ赤なもみじの散る様を、黙ってじっと眺めていた。土方ならばここで、句の一つもひねっているだろうかと、小さく口元だけで彼は笑んだ。
真昼間から見回りにも出ず、かといって鍛錬するでもなく、非番と言うわけでもなくて、それでも今、ここでこうしていられるのは、それが山南だからだ。無理はするなとそう言われ、期限を切らずに休ませて貰って、ここに居る意味は何かと、つい考えてしまうことがある。
『隊を脱するを許さず』
土方の取り決めた隊規に照らせば、辞めるという選択肢は元よりなく、だからといって、無論、処罰されて死する理由も彼には無い。副長直々に許されてはいるが、この新選組の中で、いつまでもふうわりと浮いたような存在であることが、正直、彼には苦痛だった。
一番隊…っ、今日の巡回路の…
遠くからキリ、と澄んだ沖田の声が風に乗って届いた。彼も少し前まで療養していて、今は元のように隊務に復帰し、元のように働いている。まだ顔の色が前より白い気がするが、もう大丈夫だと、医師のお墨付きが出たのだという。比べて自分は、いつまでこうして…。
また紅葉の葉の一枚が落ちるのを、ぼんやりと目で追って、それがカサリと足元へ落ちたその時、気配もないのにすぐ傍から人の声がした。
「美しい紅だ。見惚れるのも分かります」
弾かれたように顔を上げれば、いつからかそこにはある男の姿があった。
「伊東参謀、これはこのような格好で申し訳ない、不調法を…」
「いや、美しい景色は纏う衣で見るものではありませぬ故、お気に掛けずに。それよりもこちらの方が無作法に声を掛けたりして、お邪魔ではありませんか」
物腰の柔らかな男だ。地位や家柄を鼻にも掛けない。伊東は首を横に振って見せた山南の隣に、自分もゆったりと腰を下ろし、最初は彼の体調のことや、目の前の紅葉のことなどを話していた。そして紅葉の話から句作の話になり、それで思い出したのかどうか、彼は土方の名を呟いたのである。
「…泣き言、と取って頂くしかないが、どうも私は彼に嫌われているようだ。先日、隊士皆がいるところで、土方副長のことを、美しい、などと評してしまって」
「あぁ、それは」
怒るだろうな、と山南は小さく笑う。美しいものは美しいのだから、それを言葉に出されても、褒められたと取って喜ぶか、いいえそんなと謙遜するか、山南からしたら、そのどちらかでいいと思うのだが、それを怒るのが土方と言う男なのだ。
「それで実は、なんとか山南総長に御口添えを願えないかと」
総長という役職名が、耳にちくりと痛かった。何もせず、療養してばかりの総長など…。
「いや、実は先日、一番隊隊長の沖田君にもそう願ったのだが、適役じゃないと逃げられてしまいました。彼については、健康上のことも気になって、少ししつこく聞き過ぎたのかもしれないが。それから三番隊隊長殿は、何ゆえか目も合わせて貰えず、ここはやはり山南総長にと」
「…え?」
名前こそ、口にはしなかったが「斉藤」のことを彼は言った。ここでどうして斉藤君のことを、と、不思議に思った山南だった。小さく聞き返した言葉が聞こえなかったのか、伊東は散り続ける紅葉を見ながら、さらに言葉を続けている。
「局長に上からの口添えを願ったのでは、事を大袈裟にし過ぎでしょうし、他の隊士は誰もが土方さんを尊敬し過ぎていて、口添えなどはそれこそ重荷、いろいろ考えたのですが」
「何故」
「え、何故とは?」
ぽつりと言って言葉を遮った山南を、伊東は曇りの無い笑顔で振り向く。瞬間、根拠のない不安が胸を過ったが、止められずに聞いてしまっていた。
「何故、そこで斉藤君に、と?」
「…あぁ、もしかして総長はお気付きじゃなかったのか。余計なことを言ってしまったかな。何やら急に随分と、親しくなられたようですから、お二人は」
言いながら、伊東は立ち上がった。そうして足元から血のように真っ赤な葉の一枚を広い、それを指先で弄びながら言ったのである。
「申し訳ない。知らなかったのなら知らないままがよかった。今のは忘れて下さい。その方が心安らかでいられる筈だ、特に貴方は…ね」
たったこれだけの、短いひと時で、ずくり、と深く胸に何かを刺された気がした。それは鋭利に研いだ刃物ではなく、赤土色に錆びて散々に刃毀れし、毒を含んだ剣であるように思えた。
何故、そんなふうに思う?
今、一体自分は何を言われた?
参謀が、土方君と打ち解けたがるのはわかる。立場からだけ言ってもそうだろう。仲違いしていては仕事にも差し支える。沖田君の健康上のことも気にして当然だろう。少し前に長く臥せっていたのだし、無理はせぬよう、自分だとて何度かたしなめた。
そして聞き逃してしまいそうなくらい、さら、と告げられた「三番隊隊長」の役職名。名前も知らぬ筈はないのに、わざと避けたようなそんな言い方をして、聞き返した山南に伊東は、何と言った?
斉藤と、土方が、親しい、と。
表向き、どのように見間違えようとそうは見えない。仲がいいとか良くないとかではなく、接点すら上司と部下の、最小限のそれ以外ない筈なのに、それを、親しい、と。その上、伊東が去り際に言った言葉が。
知らないままの方が、
知ったなら忘れた方が、
心安らかでいられる。
特に、私は。
苦しいほどに心臓が高鳴っていた。つい先日、久々に言葉を交わした時の、土方の気を許した顔がチラついた。あんな顔がみられるのは、自分を含めごく一部の人間だけなのだと、そう思えた胸の湧くような喜びを。甘いような幸福を。
たった一人の部屋に戻って、あの笑顔をいつまでも思い返しては、恋を抱いた小娘のようにいつまでも、いつまでも笑んでいた自分を。
「山南さん?」
「…ひ…っ」
「えぇ? ひっ、て何です。酷いなあ、人のことをお化けか何かみたいに」
真っ青な顔をしている山南を、沖田は心底心配そうな顔をして見た。それから少し逡巡して、沖田はさっきまで伊東の座っていたところに、子供のような仕草で腰を下ろし、間近から山南の顔をじろじろと眺める。
「今、伊東さんがこっちから来たみたいだったから」
心配で。と、隠しもせずに沖田は言ったのだ。
「何話して言ったんです? もしくは、何か頼んで行きました? あんまり密談、っぽい感じで話さない方がいいですよ、あの人とは。土方さん沸騰するから」
「み、密談って」
「いや、言い方悪かったかなー。でもこんな場所、隠れて話すのにぴったりでしょ? ちなみに、どんな話だったか、私に今ここで全部言えます?」
山南が嘘をつける性格じゃないと、はっきり分かっていて沖田はそう言った。そして暫く彼の顔を真っ直ぐに見て、そして小さく肩をすくめる。
「言えませんか」
「あ、いや、そうじゃないんだ。あの、意外な話があったから、ただ、驚いて」
「どんな」
焦って、困って、けれどもどんな嘘も隠し事も、うまく出来る気がしなくて、山南は真っ青なまま、額に汗まで浮かべてやっと言った。結局は自分がもっとも気にしていたことを、そのまま口に出したのだ。
「土方君と斉藤君が、親しいと」
言った途端に沖田は激しく眉を顰めた。そうしてそんな表情をしてしまったことを、内心で激しく悔いた。何を馬鹿な、と笑うべきところだったのだ。それをこんな顔をしてしまった。しかも、隠し事の出来ない山南さんの前などで。それでも慌てて取り繕う。
「親しいって言ってました? ふうん、まあ、そういう言い方も出来るのかな。斉藤さんて、余計なこと何も言わなくて、剣の腕も立つじゃないですか、そういうとこ、気に入ったみたいですよ、土方さん」
誤魔化し切れたとは思えない。それにもう一つ、沖田が気になって堪らないことがある。斉藤と副長が親しいからって、どうして山南がこんな顔をしなくちゃならないのか。理由は一つだけだろう。
気付いてしまえば、妙に納得できた。あの人の、本当の本質に気付いた人が、あの人に惹かれるのは仕方のないことだ。
「ねぇ、山南さん。心配しなくても、土方さんは私のことも、山南さんのことも好きですよ。勿論、試衛館のみんなのこともですけどね」
それから、と、まるで伊東の仕草を見ていたかのように、沖田は自分の足元から紅葉を拾った。曇りなく美しい赤い紅葉だった。
「あの人には、気を付けて」
沖田の立ち去った後、山南は自分もその場所から立ち上がった。けれど、拾おうとして足元をどれだけ見下ろして探しても、虫食いもなくむらもなく、美しくそまった真っ赤な紅葉は、もう落ちてはいなかった。
これほど無数にあるというのに、ただの一枚も。
続
斉藤さんも土方さんも、一瞬も出てこないなんてっっ。あるぇ〜? とか思いつつ。とっても不穏なターンでしたね。伊東が鋭い男であり、気を許せない男なのは確かなようです。そして散々噂されて、土方さんも斉藤さんも、散々くしゃみしていたと思います(笑)。
山南さん切腹の真相が、本当にははっきり分かっていないそうで、こんなことにしていのかなーと思いつつ〜今後も頑張って書いていきますので。よろしくお願いしますっ。てか、この話もう30話って…。
またこれとは別に短いのブログで書きますねw
13/01/14
