花      29







南へ向いた山の
穏やかなその山肌を
柔らかな緑の優しさを
嫌うものなどあるだろうか

時に
そぐわぬことがあろうと
それはそれ
これはこれだ

俺はあんたが好きだぜ
誰がなんと言おうと

あぁ
知ってるだろうよ
そりゃあそうさ

知らねえ奴は
仲間じゃねぇよ




 伊東甲子太郎が新選組に加入したのは十一月、もみじの紅色が目に美しい季節だ。土方は彼の加入に際し、参謀という席を設け、一応は歓迎しているふうを装ったが、内心ではあまり彼を好いては居なかった。

 少々気に障るほど柔らかな物言いのところどころに、おのれの真意を覗かせるような、そういう緻密な部分が、それはと知らず彼の神経を逆撫でしていたのかもしれない。

 表向きはあらゆることに賛同の顔。けれど伊東が常から口にする理想と、新選組のあり方は酷く異なっていたし、それほど簡単に信念を捨てるような生易しい男にも思えなかったのだ。土方は公的な場面以外では、彼との接触を極力避けていた。

 そんなある日の事である。

「土方副長」

 生真面目で真摯なその呼び方を耳にした時、土方は驚いたように肩を震わせて足を止め、空耳かといぶかる顔で振り向いた。そこに立っていたのは少し痩せた柔らかな印象の男。今は新選組の総長の座についている、山南敬助である。

「珍しい。あんたが俺をこんなところで呼び止めるなんて。あまり体調が良くないと聞いてたが、今は…?」

 土方は彼を良く知るものしか気付かないような、微かな笑みを浮かべてそう言った。端から見たら、いつもの仏頂面にしか見えないだろう。

「あぁ、今日はそれほど悪くはなくてね、良くもないけれど。それにしても沖田君のことと言い、私のことと言い、そんなに人を病人呼ばわりしてばかりいたら、それが副長の新しい趣味かと思われてしまうよ」
「何言いやがる。人を小馬鹿にする為に呼び止めるくらいだったら、大人しく寝ていやがれ」

 周りには聞こえないような小声だが、まるきり多摩の悪餓鬼のような言い方だった。土方は気を許す相手にしか、こんなものの言い方はしない。そのことも分かっていて、山南は染みるようにやんわりと笑い、傍らの庭石に腰を下ろして土方を見上げた。

「…私と副長がすこぶる不仲、だとか、そういう噂が立っていると教えて貰ってね。ちょっと仲のいいところを皆に見せたくなっただけだよ」
「何言いやがる」

 同じ言い方でもう一度言って、土方はほんの少し苛立った顔になる。照れ隠しだなどと分かるのも、古い馴染みのものだけだ。それでも通りすがる隊士達の目から見て、二人は不仲になど見えるまい。ちら、と人目を気にしながら、それでも山南に付き合って彼の方を向き、土方は何気なく尋ねた。

「誰がそんなこと言ってたんだ? よくよく暇なんだな。原田か? 藤堂か? 暇ならせいぜい駆けずり回れるように、仕事を都合してやるが」

 冗談半分にそう言った土方の顔が、次の山南の言葉で固く渋った。視線までが険しくなり、そこらにいた平隊士たちが、あっと言う間に歩み去る。山南は、土方がたった今、もっとも気に入らないものの名を言ったのである。

「伊東参謀だよ、あの人はまだここへ来て間もないのに、皆の事を本当によく見ている。流石は…」
「…そういや、あんたと同門だったな」
「立派な人だよ」
「立派かどうか知らねぇが、うちの空気には合わねぇ。見てれば分かるだろ、あんたにだって」

 どこか拗ねた子供のようにいって歩み去る土方の背に、山南は柔らかに言葉を投げた。

「新選組の風だって、少しずつ変わっていくよ」

 ちら、と振り向いた土方の顔は、少しだけ怒っていた。そのまま遠ざかる土方の背中を、見えなくなるまでずっと眺めたあと、山南は頭上の秋空を見上げる。

「相変わらずだなぁ、土方君は。私と彼とが嫌い合っているだなんて、本当に根も葉もない。彼をよく知っていて、それでも彼を嫌える人間なんて、この世のどこにもいないだろうに」

 少し話せて楽しかった。そうとでも言うようににこりと笑うと、山南は己の部屋へと戻って行くのだった。
 
 


 虫の声だけが庭に響く、静かな夜だ。このところ京の町も静かなもので、見回りで何か物騒ごとが起こって、副長の部屋に報告役が駆け込む、などということもずっと無い。

 その夜、斉藤の腕に抱かれたままで、一体何故の不機嫌か、土方は吐き捨てるように言ったのだ。

「…きれいだ、なんぞぬかしやがって」

 抱くたび、いつも一度は言っている言葉だったから、斉藤は己のことかと思って土方の目を見る。

「あんたは綺麗だ」

 言われて土方は目を吊り上げた。

「お前はあいつの肩を持つのか?」
「…誰のことだ」
「誰って、あのすかした野郎のことに決まってる」

 そこでやっと意味が通じる。土方は斉藤に抱かれながら、その日の昼間、伊東参謀と言葉を交わしたことを思い出していたのである。

 ここの所、大きな出来事がないからと言って、だらけるな、などと、隊士の殆どを集めて激を飛ばした場だというのに、伊東は聞えよがしの独り言で、こんなことを言ったという。たまたまその場にいなかった斉藤は、帰営してから沖田の口からその話を簡単に聞いていた。

 新選組の副長は、
 美姫もかくやと言うほど美男だが、
 綺麗なのはその見目だけではなく、
 心根もまた凛々しく美しい。

「美姫」に「美男」に「綺麗」に「美しい」とは、これまた見事に連ねたものだが、確かに、大の男が大勢の部下の見ている前で言われたいような事ではないだろう。抱かれながらもずっと不機嫌だと思ったら、それで腹を立てていたというわけか。

「だいたい、ヤツは何をしに来たんだ? そんなことに目が行っているようじゃあ、ろくな男じゃねぇ」

 勿論、言葉になどしないが、無理はないのではないかと斉藤は思っていた。

 なんの前置きもなくいきなり土方の姿を目にしたら、十人が十人とも「綺麗だ」と思うだろうし、冷静になってもう一度見たとしても、毎日見ていたとしても、やはり土方は綺麗なのだ。それをそのまま本人に告げる人間は、流石にあまり居ないかもしれないが。

 どうするべきなのか方針も見つからず、溜息を付きながら斉藤は土方の背中を指で撫でる。

「俺から見ても、あんたは綺麗だ。だが、綺麗だと言われて腹が立つなら、言わねぇようにするが、でも、あんたは本当に」
「…てめぇに言われて嫌だとは言ってねぇ。てめえのとあいつのは意味が違う」

 変なところで生真面目に、首を傾げて不思議そうにしながら、それでも斉藤は土方の腰に腕を回して、背中から彼を自分へと引き寄せた。やや抵抗するような振りだけ見せて、結局は嫌がらずら抱かれてくれる。首を斜めに傾がせて、斉藤は土方の耳朶を舐めた。咎める声も、冷たくはない。

「止せ、もう朝だ」
「分かってる。なんでいつもここに来てると、朝がすぐなんだ」
「俺に聞くな、そんなこたぁ。来るごとよく眠らせもしねぇで、文句まで言うか、てめぇは」

 くく、と喉の奥で土方が笑う。笑いながら斉藤の腕の中から逃げて、手早く身支度を整えた。伊東が来てからというもの、隊の中に敵が混じっているような緊張が消せない。きり、と引き締まった土方のの横顔を、暫し惜しむ様に眺めてから、斉藤は何事もないような顔をして部屋を出て行った。

 
 
  
 その日の昼の事だ。屯所の門のところで、伊東が沖田を呼び止めているのを土方は見てしまった。にこにこといつものように笑ってはいるが、沖田は細い緊張を身の内に秘めているように見えた。

 じろじろと眺めているわけにもいかず、道場の方へと遠ざかり、暫ししてからそこをもう一度通ると、青い松葉を口に咥えて、沖田が詰まらなそうに足元の石を蹴っている。伊東の姿は近くにない。わざわざ目で沖田を部屋へ読んで、土方は彼に直接それを聞いた。

「なんです、怖い顔をして。土方さんがそんなだから、新人隊士がみんな土方さんのこと避けて通るようになっちゃうんですよ。もうちょっと可愛い顔とかして見せてもいいのに…」
「生憎、仏頂面は生れ付きだ。そんなことより、総司、お前、奴と何を話していた」

 誰の事です?と、いつもならしらばくれて聞くところを、珍しく沖田が真っ当に返事をした。

「…あぁ、伊東参謀のことですか。世間話と剣術のこと。京の町のこととか、他愛のないことばかりですが、何か」
「何かじゃねぇ。あいつには…」

 気を許すな、と言い掛けて、根拠など何もないことに気付いて土方は黙った。それよりも気になることが目の止まったからだった。沖田の指の節が、今までより目立つ気がして。

 あの病から立ち直ってもう随分経つし、体力も戻ってきたようだったから、ずっと安心していたが、もしかしたらまた少し弱ってきたり、などということもあるのだろうか。心配性だと言われようと、一度気になると聞かずには済ませられない。

「おい、お前、ちょっと痩せ」
「あ、指がね、少し太くなったでしょう。天然理心流のあの太い木刀、一人で鍛錬する時はなるべく使うようにしてるんです。あれは指の力をつけるのにいい」

 などと、沖田はやっぱりいつも通りに、にこにことしている。気のせいか、何だか痩せて見えるのも、顔色がずっと青白いのも。もともとこんなもんだっただろう、と、土方の思考は易い方へと逸れる。山南も言っていた。人のことを病人呼ばわりしてばかりも、確かによくはない。

「なんです? 何か今」
「なんでもねぇ。調子を見ながらよく鍛錬しろよ。余所から来たばかりの奴に、舐められるのも余計な助言を垂れられるのも、正直我慢がならねぇからな」

 何かが不安な気がしたが、不安の種はまだ小さくて、気付いたと思った途端に誰もがまた見失う。その種が知らずに芽吹いて、大きく伸びてからでは遅いのだが、そのことに今から気付けるものは、なかった。













 和やかな回ですねー。しかし、今まで出てなかった色んな人が出ました。って、山南と伊東だけかー。山南さん、初めて書きましたが、うちのはこんな感じみたいですね。あぁ…大河…風? かもしれません。だって好きだったんですものっ。

 史実に沿っている振りをして、なんか間違っているかもしれないですけど、すいません、スルーして下さいっ。勉強不足なんですっ。

 あぁ、それにしても山南さん。あぁ…(何だよ)



12/11/20