刀     24





敵は敵でも恋敵
斬って捨てるわけにもいかぬ
それほど憎いこともなく

恋は恋でも侭ならぬ恋
力で奪うわけにもいかぬ
これほど慕って苦しいほどで

ただただ焦れる
この日々よ






「大丈夫か」

 夕刻、沖田の枕元で土方がそう言った。今朝も来たのに、丸一日も経たないうちに様子を見に来たのだ。沖田は困ったように顔を顰め、暇なんですか、と軽口を叩いた。

 外の人のいる気配は斉藤だろう。このところよく土方の傍に居る。そのせいか土方の様子は変わったように見える。日頃から、どこか張り詰めていた雰囲気が薄れて、危なっかしいような痛々しさが無い。和んだような優しい目をして、土方は沖田の言葉を静かに咎める。

「暇でなどあるものか。でもおめぇの顔色が少しはいいのを見といた方が、仕事も捗がいくってもんだ。薬は効いてるみてぇだな」

 ふぅ、と深く吐く息が沖田の頬にもやんわりと届いた。薬というのは、土方が持ってきた滋養に効くという煎じ薬。彼が忙しい仕事の合間を縫っては、探し得る限りを探し回って手に入れたものだ。確かによく効いている。その薬を分けてくれた医者も、時々診に来てくれるようになっていた。

 少しずつだが、確かに沖田の顔色はよくなっていて、満足そうに土方が言う。

「過労でも、内腑を傷つけたんでも、…仮に肺の病の罹り掛けでもな、体に力がなきゃあどうにもならねぇ。おめぇはまだ若ぇから、安静にして良い薬を飲んで、体力を付けとけばどんな病だって逃げてくさ。布団から起きてぇだろうし、剣を持ちてぇだろうが、今は我慢して、しっかり」
「土方さん」

 土方の言葉を遮るように、沖田は彼の名を呼んだ。その後は口の中でぼそぼそと、聞こえぬような小声になる。土方は微かに目を見開いて、沖田の口に耳が触れるほど身を屈めた。

「…ありがとう」

 そう言った瞬間、ほんのりと軽く、沖田の唇が土方の耳朶に触れたのだ。沖田の胸はとくりと高鳴って、彼は自分の唇を、半ば乾いたおのれの舌先でなぞった。

「れっ、礼なぞいう暇があったら、一刻も早く治せ…っ!」

 そう叫んだ顔が、耳までも赤く染まっている。沖田はからからと声を立てて笑い、病人相手に乱暴するわけにもいかずに、握ったこぶしをふるわせる土方を見つめた。

「面白いなぁ、土方さんは。どこかの初心な娘さんみたいじゃないですか。床についてる間だけ、こうして貴方をからかえるんだったら、横になってるのも存外嫌じゃないですよ」
「ったく、口だけはいつでも減らねぇ野郎だ…っ」
「ひとりで来ているんでしょ?」

 斉藤の気配を知った上で、沖田は悪戯っぽく笑って聞いた。

「だったら、一人で仕事に戻って下さいね。その障子の向こうに来てないはずの人とも、ちょっと話をしたいから」
「…っ、誰もいねぇぞ」
「はいはい、分かってますよ」
「…の野郎……」
 
 ぼそりとそう呟いて、土方は一人で廊下を遠ざかって行った。開け放たれたままの障子をそのままに、沖田は暫しそこから吹き込んでくる風を感じている。耳の傍の後れ毛を、僅かな風に弄られながら、少し後で呟いた。

「なんだか風が冷たいなぁ」

 すると、障子がひとりでにするすると閉じていく。沖田は思わず吹き出してしまった。

「斉藤さん、斉藤さん、それ、不自然ですから」
「………」

 暫しの沈黙の後、そこにある気配がゆらりと揺れて、表情の無い斉藤の顔が、部屋の中を覗き見る。

「入って。小声で話したい話をするから、もっと寄って下さい。もっとずっと」

 言いながら、沖田は苦労して身を起こす。良い医者に診てもらい、良い薬を飲んで、養生しているせいで顔色はいいが、毎日していた鍛錬を、ここひと月もしていないから腕は随分細くなっていた。その腕から視線を逸らすでなく、じろじろと見るでもなく、斉藤は沖田の傍近くへきて膝を下ろした。

 ずっと言いたいことだったのか、まだ少し苦しそうな息を抑えながら、沖田は話し始めた。

「神仏にってわけじゃないですけど、願い事をしてみたんです。心のどこかでずっと『いつかは欲しい』と思っていたものを諦めるから、出来る限りこの世に居させてください、って。わたしにとって何より辛いのは、あの人が不幸になることだから、あっさり死んでる場合じゃないんですよ」

 だって、あの人
 わたしを案じて、あんなにも苦しそうにするんです。
 だったら仮初めにだって、
 治らないわけにいかないって。
 このまま死ぬなんて、できるはずがないって。

 話しているうちに、沖田の頬がうっすらと紅潮する。嬉しげなその顔に笑みを浮かべて、彼は言った。

「斉藤さんが一番だとするでしょ? 次が近藤さんだったら、その次あたりがきっと、わたしなんです。そのくらい思って貰えてるのを気付いたら、死ぬなんて勿体無いこと、してられませんよ。それでもわたしを殺そうって言うんなら、相手が病だとて斬って捨ててやるんです」

 土方から向けられる思いが、恋とは無縁のものだとしても。それでも沖田は嬉しいのだ。見す見す失うなんて出来やしない。運命さえ変えてやろうと思うくらい、彼にとっては大切だ。

 言い終えた沖田を、斉藤は淡々と見ていた。淡々としている彼の中に、何かが揺れるのが見えるような気がした。沖田は随分と深く笑って、酷く楽しそうにして、顔を布団へ伏せてくすくすと笑ったのだ。
 
 何故だか斉藤は、少しばかり苛立って、ものも言わずに立ち上がり、それでも丁寧に障子を閉めて歩き去っていくのだった。



 
 無意識に土方の部屋の方へ向かっていたらしく、通り過ぎようとした斉藤を、彼の声が呼び止めた。あたりに人がいないのを素早く確かめて、土方が聞いてくる。

「なんて言ってた?」
「別に」
「別にじゃねぇだろう。隠すようなことか? 元気な振りして本当は具合が悪いとか、そういうことじゃないだろうな」
「違う」
「…斉藤、頼むから教えてくれ。あいつのことが心配で堪らねぇんだ、分かるだろう」
「分かるが、別に話すことは無い」
「だったらなんで、そんな顔を」

 そんな顔? どんな顔をしていると言うんだ? 斉藤は無意識に自分の頬に触れ、眉間に皺を寄せて怒ったような顔になっていた。

「ほら、そんな顔してんじゃねぇか。何か聞いたんだろう。教えてくれ。ここで言えねぇことだったら部屋に」
「あぁ」

 すぐ傍の副長室に招き入れられ、背中で障子を閉めた途端、斉藤は土方の体を腕に絡め取っていた。びっくりして押しのけようとした両腕ごと、きつく抱き締めて首筋に唇を押し当てる。

「いつ、抱かせてくれるんだ」
「い…っ、いつって…! 言っただろう、もう少し沖田がよくなってからじゃねぇと、こういうことは…ッ…」

 つまりはまだまだお預けか、あそこまで許しておいて。頼るように縋っておいて。なるべく自分の傍にいるようにとまで言っておいて。結局口付け以外、斉藤はその先へは踏み込ませて貰えないでいたのだ。

 もう我慢の限界と、荒々しく腕に抱いたのも一度目じゃない。そのたびに沖田のことを言われ、自分でもあの痩せた青白い顔を思って、強引なことを出来ずにこれまで来た。沖田も最近、かなり具合がよさそうで、そろそろかと思っていたのに、今度は沖田本人にあんなことを言われたのだ。

 一番目でも二番目でもなくていい。
 土方が不幸になるのが、何より嫌だ。
 この手に入れられなくていい。
 何も出来ぬでもいい。
 それでも、なるべく長い間、
 あの人の傍にいられたら。

「…っ……」

 斉藤は唐突に腕の力を抜いた。恨むような目で、彼は土方を見て、結局は何も言わずに部屋から出て行った。黙ったままでは、余計に心配だろう。土方は尚更沖田を案じるだろうと、そうは思ったが、安堵させるようなことを言ってやるほど、余裕がなかったのだ。

 なんだか、踊らされているような気がする。病に罹って、床からもろくに出られぬ沖田に、自分は随分振り回されてはいないか。そんなことを思う己の小ささにさえ、斉藤は苛立ち、またも難しい顔になる。

 胸に渦巻く邪心を払うべく、斉藤は竹刀をもって、裏の山へと向かうのだった。




続  



 そろそろヤらせようと思ったが、焦らすことに決定。何気に酷い惑さんだと思います。可哀想な斉藤に、エールを送ってやってくだしゃんせv そしていつヤらせてもらえるか不明のまま、また一ヶ月放置か。マジ切ないね…。ではまた次回ーっ。


12/06/10