花 刀 22
幸先が良くない。
お前は確かにそう言って
心配し過ぎの俺を笑っただろう
顔色なんかいつもこうだと
逆に俺の色白をからかっただろう
なくして恐ろしいもののことは
欠けてはならぬもののことは
誰だとてそうして
余計に気にするもんなんだ
ずっと隣にいるだろう?
ずっと剣を振るうのだろう?
あの男もお前も
ずっとずっと俺の傍に…
「元来、体の丈夫な方ではおられないようですね」
沖田は屯所の空き部屋の一つに寝かされて、傍らにいる医者の言葉を聞いていた。彼の視野には、ぼんやりと天井だけが映っている。どうしたんだろう、一体。どうしたんだろう、私は。今夜は確か大事な、とても大事な戦闘があったのではなかったか。
「かもしれねぇが、今までこんなことは無かった…! 体弱ぇからって、いきなりあんな…ッ」
土方の声。あぁ、ほらまた。屯所内だからって、外の人が来てる時に、そんな取り乱したようなものの言い方。普段の貴方らしくない。軋むような体を、首だけをなんとか僅かばかり動かして、視野にその姿を見る。真っ青だ。血を吐いたのは私よりも、この人じゃないかと思うほど。
「吐血の原因はまだ、分かっておりませんが、身内に肺病の人がいるようなら」
「いるようなら何だッ」
「歳、そう声を荒げるな…。外まで聞こえる」
「勇さ…、局長、すまない」
近藤さんの声に、それへ詫びる土方さんの声が続いた。近藤さんに諌められる土方さんなんて、珍しい。けど…。あぁ、そうだった。零れたのは赤い牡丹なんかじゃなかった。思い出すとひいやりと喉に冷たさが来る。ざらざらと荒れた場所を、焼いていくように、冷気が。
「とにかく、体が弱っているのは確かなのですから、無理はさせないように。それから、お身内で肺の病の方がおられるなら、大病の怖れも」
「……っ…!」
「いや、内腑に傷のついたという場合も考えられ、そこからの血であれば、寧ろ病ではなく、ただそれを吐いただけのこともありますゆえ。また、こうしたお役目ですと、心労などもあるからしれませんから、それも…」
じろり、と医者を睨んだその目の色で、何を言いたいのか聞こえてくるようだ。てめぇに俺たちの仕事の何が分かる、とでも。散々怯えさせられて、医者が体を縮めながら帰っていく。部屋に残ったのは沖田と土方と近藤だけで、近藤はまるで母親ででもあるかのように、体を屈めて聞いてきた。
「何か食べたいものとかあるか? 総司。果物だとか、欲しくないか? なんでも…」
沖田は目を丸くして、ついで、ぷ、と吹き出した。
「い、嫌だなぁ、近藤先生。まるで姉さんみたいですよ。しかもうちの実の姉より、ずっと優しい姉さんだ」
今度は近藤が目を丸くして、安堵したように息を吐く。
「なんだ、そんなことを言えるくらいなら大丈夫だな。医者は大仰なことを言ったが、その内腑を傷つけたとかいう方だろう」
「勇さん…っ」
そんな近藤に、土方が切れ長の目を吊り上げた。何か言い掛けて無理やり言葉を止めたが、それを今度は沖田へ視線を向ける。ぎくり、として沖田は無理にでも息を整えるのだ。本当は苦しい。先の軽口などどうして言えたのか分からないくらいだ。ぜぇぜぇと喘いでしまわないよう、呼吸を押し殺しながらものを言う。
「土方さんも、今は私の不調のことなんか気にしてる場合じゃ、ぁ…、っ…」
一瞬詰まった言葉に、眉根を寄せた土方の顔。あぁ、もう気付かれたのかと、沖田がどくりと鼓動を跳ね上げ…。
「失礼します…っ」
と、その声は閉じた障子の向こうから。
「今夜のことで、至急話が聞きたいと、その…藩の方から」
それなら、立たずにはおられまい。大丈夫、あと少し、もう少しだけ。それくらいは、我慢していられる。してみせる。
「ほら、行って。今夜の首尾がどうだったのか、途中から見聞きしていない私に、あとで詳しく教えてくださいね、土方さん」
「…総司、てめぇは暫し、そこから動くな…!」
ぱんっ、と障子の一枚を激しく開け、そこに控えていた部下を仰天させながら、土方は足早に廊下を渡っていった。近藤も沖田に優しい言葉を掛けながら部屋の外へ出て、急ぎ土方のあとを追っていく。
障子が閉じた途端、沖田は口を押さえて体を二つに折った。喉から血の匂いが上ってくる。息を止めて、苦しい喉を狭めて堪えた。吐くわけにいかない。吐いて布団や床を汚せば隠せない。血の匂いを嗅がれただけでも気付かれる。
大病。まさか、嘘でもそんな話聞きたくない。
そんなもの、今まで兆しもなかったものを。
そんなはずはない。そんなはずは。
ちょっと体の弱いことくらい、知ってたけど。
暫し堪えていたら、喉の血の匂いは消えた。ゆっくり布団へ体を戻して、半時も静かにしていたら、随分と楽になった。数刻過ぎたら更に楽に。このまま起き上がって、訓練に参加できると思えるほど。
だけれど布団を出て、庭の手水鉢の水を覗き込んだとき、その顔の青さにぞくりしとた。見ただけで膝から力の抜ける心地がする。目を逸らし、はは、と一人で己を笑い飛ばす。
ほら、笑っても喉は苦しくなぞならない。
でもきっとこの顔色じゃあ、土方さんは、
私に暫し剣を握るなと、言うだろう…。
仕方ないから数日休んでおきますよ。そうじゃなきゃ土方さんが怖い顔をしますからね。と、そう言おうかと決めた。そうして沖田は布団に戻って横になった。
砂利道を踏んで、土方が歩いている。彼の来た道の先には、小さな神社があるのだが、彼はその鳥居をくぐって行って拝んでくるでもなく、けれど普段は行こうともしないその道を、わざわざ通って歩いてきたのだ。
深夜だ。ちゃりちゃりと砂利を踏む音以外に、脇から川のせせらぎが聞こえる。時折ふわりと横切るのは蛍の灯火だろう。つい少し前まで下げていた提灯の火は、まだ蝋も残っているのに消えてしまった。それがどうにも、不吉な気がして…
何も見てねぇ。
夕に、沖田が庭の手水鉢を覗き込んで、
怯えたような顔をしたのを、見てねぇ。
そんな心配事が増すようなもんは見てねぇ。
俺は、見てねぇよ。
ふと、砂利を踏む音が、一度きり二重に重なった。ちゃり、と一度だけ鳴ってそのまま止んだ音の方角を見て、土方は脚を止める。傍の竹やぶから人の形に影を切り取ったように、ふら、と誰かが出てきたのだ。
「何奴」
低く問うた声の緊張が、その後、一つ零した息で緩んだ。斉藤一が、そこに立っていたのだ。
「副長…」
「なんだてめぇ、何でこんなとこにこんな時間」
「沖田さんを、少し前に見舞ってきた」
「…何」
丁度雲が切れて、月が辺りを照らす。顔を上げて、不安そうにしている土方の顔が、斉藤の視野にいる。守ってくれと、言われたのを斉藤は思い出していた。
「それで、あいつ、どう…っ」
「寝ていた。顔色はよくなかったが。息遣いは平らかだった」
それで声も掛けずに出てきたところだ、と、彼は言った。部屋に戻ろうとするところを、外へ出ていく土方を見て、ここで待っていたのだと。
「当たり前だ、こんな夜遅く。眠っているのを起こすかと思って、俺ぁはいかねぇで戻ったのに」
無神経だ、と言下に土方は責めている。
「副長…。いや、土方さん」
わざわざ呼び方を変えて腕を伸ばし、斉藤は土方の左手を掴んだ。夏の夜だというのに、氷のように冷えた手だった。そうして引き寄せようとした。一瞬の抵抗のあと、端に気配の無いのを知って、土方は無言で斉藤の胸に抱き取られた。
「………なんの真似を」
言葉ばかりは冷たく尖らせて、彼は斉藤の肩に、そっと自分の頬を押し当てたのだった。
「あんたも、随分疲れてる筈だ」
たったひとつ、仄かな蛍の灯火が、二人の足元を横切って、竹やぶの影の中へと消えていった。
続
いや、斉藤が出ないかと思ってはらはらしました。美味しいとこ取りってやつかもしれません。このあとどうなるかは…。次に書くとき考えますけど、色っぽいシーンも書きたくなってきています! と、ここに書いておく〜♪
読んでくださいましてありがとうございます。執筆後コメ、ふざけていてゴメンなさい。
12/03/22
