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器用なんだと、
自分のことを思ってたんだ。
笑うか? 総司。
笑うがいいさ、
お前にゃ教えてやってもいい。
実はな、俺ぁは…

夢の中でそう言って、
幸せそうに笑ってる顔が
心底憎いよ。
ねぇ、土方さん。

それでも私はいつだって、
あなたのしあわせを願ってる


 


 吐き気も、度を過ぎると意識が薄れる。脳裏から一向去らぬ己が所業に、土方はさんざ吐いたし、泣いた。古高を責め問いすることは、確かにせねばならぬことだったが、あれはただ、行き場の無い私怨を、どろどろと流し込んだだけのこと。

 醜い… 醜い… こんな俺ぁを知ったら、誰だって…。 

 もしも頭のどこかに穴を開けて、今夜の記憶を掻き出せるものならきっとそうする。あぁ、それよりも、あの日の記憶を消せるものなら、とうにしていると、そう思った。
 けれども、もうその記憶も、それゆえの憎しみも恨みも、土方の肉体の一部になって、これを一生抱えたままで、生きていくしかないのだ。醜い心引きずりながら。

「…だれ、か…」

 無意識の声が零れた。喉が渇いて、水が欲しくて口を開いたはずが、それとは違う言葉が零れ落ちた。

「助けて…くれ…。忘れてぇ…忘れてぇよ…。勇さ…、総…司…、斉…っ…。さいと、ぉ、さい…とぉ…ぉ…」

 繰り返し呼んでしまうその名。呼ぶたびに、何かが自分を包み隠してくれる気がする。震えがゆっくりおさまって…。
 
 その時、閉じた障子のその向こうで、かた、と微かな音がした。びくりと体を跳ねさせて、弱みなど欠片も見せぬ鬼副長に戻ろうと、必死に息を止めた土方の耳に、小さな小さな息遣いが聞こえたのだ。

 吐息。ずっと詰めていた呼吸が、とうとう堪え切れなくなって、気付かれないように、細く、細く繰り返される、息遣い。

「…さい…とぉ…?」

 息だけで、誰のものなのかはっきり分かった。避けられているのだか、事実は知らない。隊の中にいてくれるはずなのに、もう半月もひと月も、ずっと姿を見せてはくれなかった男の、押し殺した息遣い。

「お前なんだろう…入れよ…」
「……」
「…こっち…っ、来てくれ、斉藤」

 矜持も何も投げ捨てて呼んでいるのに、斉藤の気配はそれでもそこから動かない。びったりと閉じた障子が、まるで、開かぬ鉄の門のように思えてくる。そこにいるのに、俺はお前に会えないっていうのか? 
 焦れた土方の思いなど知らず、斉藤は息遣いだけで作られた、酷く聞こえにくい声で、やっと少しだけ何かを言った。

「俺は、そう…理性的な方じゃ、ない…」
「何言ってる、来い、って。命令だ、さっさと」
「命令でも…っ…、あんたが…っ、離れろ触れるな退けと、っ、そう言ったとしても、今はっ、聞ける気がしない…っ。だから」
「言わ…ねぇよ…」

 ついさっきまでぐったりと、畳の上に崩おれていた土方なのに、そんなことは嘘のように彼は立ち上がった。閉じた障子の両側に手を掛けて、勢いよく開け放そうとしたのだ。障子の曳き手に両手の指が掛かり、ほんの僅か、刀の柄の先が入るだけの隙間が開く。

 どうしてそれ以上開かない? 斉藤が向こう側から両手で押さえているからだ。開いた隙間に、見覚えのある着物の袖が見えた。隙間へもっと目を寄せると、斉藤の筋張った手首も見えた。土方の眼差しが、ゆっくりと上へ動く。大きく上下している斉藤の胸が見えた。そうして、月明かりが射して青白い、斉藤の…顔。

「斉藤…」
「……」
「…斉藤、斉藤…さい…」

 どちらも譲ろうとはしない。なんの力比べだ、これは。小さな笑いが込み上げて、土方は一瞬力を抜いた。障子が僅かに閉じかかり、それに添うように斉藤も力を緩め…その刹那、土方は分かっていたように渾身の力を込めたのだ。柄の先一つ分の狭い隙間が、一気に半身通せるくらいまで開いて、その向こうで酷く焦った斉藤の顔。

 無意識だったが、土方は笑った。激務でこけた頬、青く透き通るほどの顔色、髪も乱れて、見るからに疲れ切って打ちのめされた姿なのに、それでもあざやかに、綺麗に…。斉藤の手が障子から滑り落ちる。

「ひじかた…さ…」

 折れるほど抱き締められるのは、これで一体何度目になるのか。けれども、土方の方から動くのはこれが最初だった。喉を反らして唇を寄せる。それから触れて、離れる、ほんの一瞬だけの。
 鼓動が激しすぎて、胸がどうにかなるかと思った。煩いほどの鼓動で、彼に根を下ろしていた憎しみも苦しみも全部、あっという間に消し飛んでいく気がした。

 あぁ…
 ほんとうだな、総司。
 これが、俺の本心なのか…
 
 衆道だなんだ、どうでもいい。俺ぁが男で、斉藤も男だった。それだからどうした。お前でなくちゃ、俺ぁは。

 気付いたら、首筋に愛撫が落ちていた。手伝うように頭を傾げて、肌に甘く斉藤の息を感じる。土方の首に覆いかぶさった斉藤の顔が、首筋を小さく吸っていて、次の一瞬には焦ったように離れる。ぼんやりとしている癖、妙な理性が働いて、土方は片腕を持ち上げ、自分の襟を、ぐい、と開いた。

「…そこじゃ見える、も少し、奥に」
「ひじか…」
「呆けるな、していいって、そう言ってんだぞ、俺ぁは」

 あぁ、馬鹿が。
 全身震えて、慄いて、大の男が動けなくなっちまって。
 やられるこっちがそうなら分かるが、
 どうして首を吸ったお前ぇが、固まっちまってんのか。

 していい、と、そう思った気持ちが揺らぐ前に、先へといって欲しくて、土方は自分で腰の帯を解こうとした。しゅる、と鳴る音にさえ焦って、怖いものを見るように斉藤が土方の手元を見る。土方はとうとう彼の身を押しやって、斉藤の手を引いてもっと部屋の奥へと入らせようと…

「あ…」

 見れば、部屋の中は酷い様だ。吐いて丸めた懐紙が二、三。苦しんでのたうっていたから、布団はめちゃくちゃ。それに、今はのんびりしている場合だったか? 朝になれば、古高の吐いた事実を告げに、監察なら責め問い役やらが、次々やってくるのだ。

「…斉藤」
「……」
「返事くれぇしやがれ」
「…あぁ」

 振り向いて、斉藤の顔を見た途端、真っ直ぐ下へと視線を落として、土方は言った。

「部屋へ戻れ」
「…しょう、ち」

 震えた声が、何故だか嬉しい。もう一度ちゃんと斉藤の顔を見て、土方は言ったのだ。

「夢だっただのなんだの、寝惚けたこと思うんじゃねぇぞ…。ちゃんと現だ。…行け」

 そう告げたのは、己が心へも。ほんのひと寝入りしただけで、夢だったかと思いそうだ。いいや寧ろ、夢であれ、と願うかもしれない。新選組副長の土方が、部下と衆道の仲だなど。なんだと? 衆道? 違う、そうじゃねぇよ。ただ、斉藤の事が、他とは違ってしまっただけだ。

「斉藤」

 もう一度呼んだ。でも、もう斉藤は行ってしまった後だった。急に膝から力が抜けて、障子に縋り、畳に座り込んでしまいながら、吸われた首筋を意識した。

「斉藤…」

 組のことばっかじゃ足りなかったのだ。加えてお前のことも、この頭ん中へ入れて、いつも想っていっぱいにしときゃぁ、嫌なこともきっといつかはどっかに消えるだろう。
 酷い疲れで全身辛かったが、ほんの半刻前と比べて、土方は晴れ晴れと澄んだ目をしているのだった。





 




 


 
やらせんのか?!と思いつつ、そんな時じゃないのを思い出してガッカリしたのは私でありまして、土方さんはもとより、斉藤だってそんな余裕は無いのであります。
 無理やりだったら未遂まで行った癖して、ほらどうぞ、と言われるとおじけるあたり、年相応というか、可愛いとこあるんだよね、斉藤はっ。
 
 気の抜けたコメでスミマセン。いえ寧ろ、どっか気の抜けたノベルですみませっっ。こんなん読んでくださり有難うございましたーっっ。 


12/01/16