花 刀 19
人ならざるよな非道を為す時
あの日の痛みを思い出す
そうすりゃ目の前真っ赤んなって
平気で非道が出来るのだ
壊れないよに心を殺せ
揺らがないよに心を潰せ
其処な悲鳴に耳貸すな
目ぇ閉じたまま非道を尽せ
あぁ
血の匂いは消えねぇよ
こんな鬼でも
お前はいいのか?
忙殺、という言葉がある。二人いた局長が一人になってから、隊は多忙を極めた。そうでなくては困る、とさえ言い、土方は身を砕くようにして働いた。無論、土方以下、助勤の面々も多忙これ極まりなく、地へと潜るほど落ちていた信頼を取り戻すため、平隊士も皆よく働いた。
そんなある日のことだ、その男が捕らえられてきたのは。
大量の火薬や武器を、隠し持っていたための捕縛だ。一体何のための武器か。物騒な謀を隠しているのは明白で、勿論、悪事の仲間もいるはずだ。
昼夜責め苦を繰り返したが、男は一向に口を割らない。殺すのなら殺せ、と、疲弊して澱んだ目をして呟くばかり。埒があかないからと言って、詮議の手を緩めている場合でもなく、夜半を過ぎて幾度目かの報告の時、土方はゆらりと立ち上がった。
よくもまぁ、だんまりが続くものだ、と、やや薄笑いして土蔵へ出向き、内からもれる血の匂いを嗅ぐと、土方は扉の前で一度足を止めた。
足元に残るのは、今までこの「折檻」に関わったものたちの足跡だろうか。火を寄せれば、土がはっきりと赤黒く染まっているのが見えた。責め苦を受け続ける…古高の血。とすれば、つまり中は血の海か。
扉の左右を守る若い隊士たちの顔色は、一様に青い。私怨があるわけでもないのに、こうまで他人を責め続け、もしくはその物音やうめき声を聞き続けるのも、相当な苦痛だろう。
「お前たち、一刻、休んでいい」
「ですが、副長」
「誰に口答えしようとしているんだ? 従え。ちょうど一刻計って、それでも俺が呼びにいかなかったら、もう半刻。なんなら交替で寝ておけ」
「…は」
真っ直ぐに目を据えて命じれば、土方の言葉に従わないものは隊にはいない。平隊士ならば尚更だ。そうやって人払いをし、土方は土蔵の扉を押し開けた。その体を包み込む、血の匂いと汗の匂い。こういう場所に特有の、ねっとりと絡むような空気。
前々から、そう思っていたわけではない。ただ、今から心を殺さねば、と。鬼にでもならねば、と、そう思った途端に、脳裏にあの「顔」が浮かんだ。
俺を…縛って、犯して、辱めて、剣を握る腕を、奪おうとした、あの男どもの、顔。
「…出来そうだ」
土方はぽつりと言った。この憎しみがあれば、血も涙もないような、そんな拷問をこの手で…。
古高は視線だけを上げて、土方を見た途端に、どこか驚いたような色を目に浮かべた。まるで、眩い美貌の遊女の顔をでも、見たような目だ。どうしてこんなところにこんな綺麗な…。
「新選組副長、土方歳三。なんなら…忘れても構わねぇよ。忘れねぇで欲しいのは、お前が口を割るその時まで、俺が手を緩めることはねぇってことだけだ」
土方はあたりを見回して、予備に置いてある太い蝋燭を見つけると、ゆっくりそれへと手を伸ばした。
そうして、一刻と少し。追い払われた見張りの平隊士達が、叱られやしないかとビクビクしながら、土蔵の扉の前までやってきた。あたりは静まり返っていて、物音もしなければ、話声も、呻き声すらも聞こえない。
二人が顔を見交わし、どうするべきなのかと逡巡していると、中から扉が押し開けられて…。ど…っと、血の匂いが外気に流れ出た。匂いはそれだけじゃない。微妙に何かがこげる様な匂いも混じって、若い隊士たちは思わず手で鼻を覆った。
「ひとりは見張りに残って、もう一人は監察を呼びに行け。もう…何でも素直に喋るだろうぜ。問いが終わるまで水を与えるな。答えたらやる、と言って問え」
「………」
告げられた言葉と、その淡々とした姿。隊士二人は声が出なかった。一刻前、入って行ったときとあまりに同じ姿に見えて、この人は、と、言葉にならぬ思いを抱く。ふら、とよろめいたかに見えた体が、その後はいつも通りに歩いていき、振り向きもせずに彼は言った。
「少し、休む…。報告は朝、聞く」
そうして部屋へと戻り、敷いたままの布団に膝をつくと、土方はそのまま体を前へ屈めた。蹲って、布に深く顔を埋めたその体に、ゆっくりと震えが這い登ってくる。
「…鬼」
ほろりと落ちた言葉に、閉じたままの瞼をさらに強く粒って、ふ、ふ…と、土方は笑った。
「上様の為でも、京の町のためでもねぇ、近藤さんのためでもねぇし、組のためでも士道のためでも、ありゃぁしねぇよ。あれは、ただの…鬱憤晴らしだ。鬼か、俺ぁは…」
耳の奥に、奴の悲鳴がこびり付いてる。これから先、いつだって聞こえてきそうな、生きたまま裂かれるようなあの呻き。
「見ろ…。見ろよ…。こんなでも、お前ぇは…」
蹲ったまま、土方の言葉は止まった。もう震えてもいない。意識が無いのだ。ふ、と、掻き消えるように彼は気を失っている。心も体も、どっぷりと疲れて、とうに限界を過ぎていたのかもしれぬ。
暫し後、閉じていた障子が、カタン、と小さく音を立てた。
「どういうつもり、なんですか」
親指の爪を噛みそうになって、それを寸でで止めながら、沖田はそう言った。右手を普通に下へ垂らすと、その手首か袖のどこかが、剣の柄に触れる。苛々するのだ、剣か、もしくは竹刀を握って、手当たり次第に何かを斬りたくなる。誰かを打ち据えたくなる。
「…とは?」
問い掛けられた斉藤は、いぶかしむように眉根を寄せて、斜めに沖田を見た。
「ずっとあの人を避けている。行き会わないように、謀って動いている。どうして」
「…別に」
違う、とも、気のせいだろう、とも斉藤は言わない。黙ったまま、何かを見据える目を宙に止めて、やがては言った。
「隊には、必要だと、言われたからだ」
「それ、どういう…」
「隊には必要だが、自分にはいらないと、そういう意味だろう…たぶん。だから隊のためになるよう働いて、あの人の傍には行かぬようにと…」
「……あなたって」
不覚にも、沖田は笑い出してしまいそうになった。いつまでもどこか幼い童顔で、それを一生懸命に怖い顔にしていたのが、その一瞬で台無しだった。苛立っていたの怒っていたのも、いっそ斬りたいと思っていたのも本当なのに、笑ってしまうとすべてが馬鹿馬鹿しく思えた。
変わりゃしないのに、
私が、あの人を思っていることは。
ずっと、ずうっと。
「そうやって、近くにいかないからわかりゃしないんでしょうけど、あの人、今ね、ぎりぎりなんです。だから、おかしな誤解してる場合じゃないと、私、思いますけどね」
すら、と沖田は剣を抜いた。帰営した隊士も多い、夕時の屯所内である。見ていたひとりが目を剥いて、金縛りに会ったようになるのへ、にこりと笑って安心させた。
「言いましたよね、斬りますよ? あの人をちゃんと、守ってくれないんだったら」
切っ先を目前に見ながら、怖れもせずに斉藤は眉を寄せて、それでも沖田の小声を聞いて、承知、と一こと呟いた。
続
ががーーっと、進展しそうで、また後退させました…よね。ど、どうもすみませんっっっっ。往生際が悪い私でっっ。どうしてこうなった? とりあえずでも、お膳立ては出来たかなーと思うのですよ。ここはもう、ためらうな! 斉藤! 惑は必ずしも見方じゃないけどな…!
いやー、ごめんごめん。
あ、組の年内更新はこれで終わりです。読んでくださった方、ありがとうございます! 来年もよろしくお願いしますっv
11/12/16
