花 刀 18
大切なのは貴方であって
私の心ではないものを
大切なのは貴方であって
私の願いではないものを
大切なのは貴方であって
私の望みではないものを
ままならぬ感情を
剣の一振りごとに
きっと砕いて消して
私はあなたのしあわせを願う
大切なのは
貴方が満ち足りていること
私がどんなに
満ち足りていなくとも
竹の音が、さらさらと鳴るのを聞きながら、二人は向かい合って竹刀を合わせた。面籠手を道場から持ち出そうとしたら、隊士たちに見つかりそうになって、結局は何にもつけない素面で向き合った。
「怪我した時は、自分で言い訳考えて下さいよ、土方さん」
こういうことも、互いにある程度慣れているから防具がなくとも構わないが、腕やらどこやらに青痣の幾つかくらいは覚悟すべきだ。
「お前もだろう、それは」
「私? 嫌だな、私は土方さん相手に、怪我なんかさせられるつもりないですから」
「この餓鬼、言いやがる」
面がなくてよかった。沖田は内心でそう思っていた。暫くぶりに、昔みたいな土方の顔が見れて嬉しい。彼は沖田をガキ呼ばわりするが、たった今の土方の、きらきらと輝いている目の方が、昔と同じ悪ガキの大将みたいで、微笑ましいやら面白いやら。
多摩に居た子供の頃、竹刀を振り回すのは鍛錬であって遊びでもあったのだ。そのせいか、こうして土方と二人、向かい合い打ち合っていると、様々なしがらみが、縄の解けて落ちるみたいに消えるのを感じる。きっと土方も同じだ。誘ってよかった。
「あぁ、やっぱり『剣』はいいなぁ…!」
「…お前は相変わらず、ガキの面してやがるくせ…っ。業腹なくらい、つよ…。う、ぁ…っ」
バシ、と沖田の竹刀が土方の二の腕に当たった。片目を閉じて顔を顰めた土方に、すいません、と沖田は小さく詫びる。
「勝負ごとで、詫びなんか口にすんじゃねぇ」
「や、そうですけど、でも今のじゃ相当跡が残って…」
竹刀を下ろし、沖田が懐から手巾を取り出す。いらねぇ、と止めるのも聞かず、すぐ傍の湧き水に布を浸して戻れば、土方は地面に腰を下ろして、無防備に片肌を脱いでいた。やはり相当痛かったのか、手のひらを当てながら顔を顰めているのだが…。
動揺して当たり前だと思う気持ちと、これほどまでか、と驚愕する思いと、両方がぐらぐらと沖田を揺さぶる。立ち竦んでいたのは、ほんの一呼吸、二呼吸の間だけだったが、その間に彼は一度息を飲み、一度目を閉じて、無理やりにでも自制した。
「……肌、白いですね、土方さんて…」
「何を今更。昔っからだ、こんなのは」
「でも、久しぶりに見たから」
土方の傍に行き、水の滴る布を差し出して、痛みますか、と、沖田は聞く。受け取って、早くも色を変え始めた二の腕に、布をひたりと当てながら、彼は自分の目の前の地面に視線を落としていた。
さやさやと竹の葉がなる。湧き水の音も微かに届いていて、少し離れた向こうの屯所からは、稽古しているらしい隊士たちの掛け声。そんな長い沈黙の果てに、何を思ったのか、土方は唐突に聞いてきたのだ。
「…変なことを聞くようだが、男に触れられた時、お前、どう思う」
「何…です? その質問」
「何でもどうでもいいだろう。こんなことは、お前くらいにしか聞けやしねぇんだ」
「別に、どうとも」
沖田はからりと笑って言った。
「だってそうでしょう? 屯所なんて男所帯もいいとこなんですから、風呂屋で背中の流しっことかね、ふざけてしてる人たちもいますよ。下手に助勤なんて偉そうな肩書きがついてるから、私の背中を流してくれようって人がいなくて、ちょっと淋しいとか思うくらいです」
「…そういう意味じゃあ」
沖田は立ち上がって、自分の視野から土方の肌を追い出した。撓る竹に手を置いて、そのずっと先まで見上げて眺めて、心を決めて振り向いた。
「そういう意味じゃないんだったら、残るのはもう、一つしかないですよね。…何かありました?」
「…い、いや、別に」
「斉藤さんと、ですか…?」
単刀直入、あまりにも。
土方は顔も上げられず、やっぱり目の前の地面ばかりを見ていた。水を含んだ布を握り締めたまま、その手を膝に置いて震わせているから、袴の布地が濡れていた。
「打ち身はそこじゃないですよ。土方さん」
沖田の胸は早鐘のように打っていたが、その言葉だけは酷く平静だった。いつもいつも彼の心を乱すのは土方で、そんな土方の心を、たった今乱しているのは沖田じゃない。それでも、支える側でいたい、と、そう思うのは彼の本心だった。
ずっと「弟分」のままで、今の居場所で、大切な貴方を、私は支えていたい。だから、あぁ、だから…。
「何があったか、知りやしませんけど、嫌じゃなかったのなら、それが貴方の気持ちなんじゃないですか…?」
「…俺ぁの……」
土方は難しい顔をして、自分の考えの中に沈みこんでいく。沖田は少しの間、そんな土方を見ていたが、やがては自分の竹刀を持って、黙ったまま更に裏山の奥へと踏み入って行った。
それから半日近く、沖田は屯所には戻らなかった。人知れず竹刀を振るい続けて、それこそ倒れるほど延々と振るい続けて、悔しさも淋しさも、妬みも恨みも、すべてばらばらにしたかったのかもしれなかった。
続
今回短いです。しかも進展してない。いや? 進展したのか? そんなこととは知らずに、斉藤はどんな心境でいるのでしょうか。「弟分」の沖田ですけども、二人が一線越えたら、一度くらいキレて欲しいっ。とか思う私って、もしや鬼ですか…?
おぉ、日付がすげぇ↓
11/11/11
