少々残酷な描写があります。
お気をつけくださいませ…。

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何が欲しいのか、と
あんたは問う

返事の返せぬ
その問いが
残酷だなどと
あんたは知らない

人に言うな、と
あんたは言う

頷いてみせた
その後で
人には言えぬことを
俺は考える

あんたの知らない
俺の欲








「先に…戻っている…」

 やっとそれだけ言えた言葉は、殆どが無意識のままだった。誰もいない方へと歩いたのも、意識してのことでは無い。ただ、一人になりたくて土方は逃げたのだ。血の匂いを嗅いでいるのが苦痛だった。無残な遺体を忘れたかった。

 走るような勢いで竹林を抜けて、その先にある松の木々の間へと逃げ込んで膝を追った。

「ぅ、げ…ぇ…ッ」
 
 また、彼は吐いた。芹沢に女と見られて愚弄された時の嘔吐など、比べられぬほど激しく吐いた。食べ物などすぐに吐き切って、胃液を吐きながら、臓腑まですべて、足元へ零れ出てしまうのではないかと思った。

 目の中にあの女の遺体が見える。着物を肌蹴られ、白い胸を剥き出しにされ、帯などは緩められもせぬまま、両脚が腿まで露わだった。破瓜のものであろう血で、真っ赤な色を付けた指の跡が、娘の肌にべたべたと。恐らくは下手人の手の跡。

「う…っ、ぅ…」

 吐くものがなくても、吐き気はおさまらない。沖田は何を匂わせていった? 隊内のものかもしれない、と、そう言いはしなかったか。あんなことをする人間が、この俺の…新選組の隊士の中に、いるというのか…!

 許せない…。許せない…。誰なのか判れば、安易には許しはしない。あんな愚劣な、あんな…あんな武士の風上にも置けぬ、非道い振る舞いを、よくも…。

 でも本当は、そんなものではない。込み上げるものの「理由」。それは、過去の傷を暴かれる恐怖と、その過去への嫌悪。一息で、飲まれてしまうほどの。

 気付けばかちかちと歯がなっていた。寒くて、なのに熱い気もして、肌の何処かを汗が伝う感触がする。視野にある筈の風景が、ゆらゆらと変に揺れて定まらない。体が強張って、自分の思うままに動かなくて、まるで縛り付けられでもしているような。

「嫌だ…。い、嫌だ……」

 何かから逃げるように、土方は無理にでも立ち上がった。連なり立つ太い松の木の、一本一本に縋るようにして進んだ。手のひらに触れる木の感触、山中の湿った匂いに嫌悪が湧く。また彼は恐ろしいほど克明に、思い出しかけているのだ「あの時」のことを。

「やめ…、嫌…だ、ぁ…ッ! …ぅう…っ」

 逃げ惑うように突き出した手が、不意に誰かに掴まれた。無意識に振り解こうとし、叫びそうになった口が、土方の顔が、突然何かに埋められていた。そのまま、身動き一つ出来なくなって、彼は必死にもがく。

「あ…、は…離し…っ」
「……」
「ぅう…っ、ぅ…」

 彼を捕まえた誰かは、一言も言葉を発しなかった。その胸に顔を強く押し付けられ、土方も嗚咽一つ零せずにいた。太い松の木の幹を背に、もがくことも出来なくなり、呼吸もうまく出来ず。相手の腕に爪を立てた指が、がくがくと震えながら、その袖の中の誰かの皮膚を何度も引っかく。

「嫌…だ…、ぁ…っ」
「…しずかに、していてください」

 初めて、声が聞こえた。その言葉と同時に、さらに後ろ頭を押さえられ、また声が封じられてしまう。

「今のあんたを、人に見せたくない…」

 告げられた言葉があまりに意外で、土方の体から少しばかり力が抜けた。もがく体が大人しくなったというのに、彼の腰に回された誰かの腕には、さらに力が籠もって強く抱きすくめてくる。そうだ、土方は抱きすくめられているのだ。抱き締める腕には、意思があった。

 恐怖に駆られ、叫び出そうとしていた彼を。
 過去の幻に囚われて、自失していた彼を。
 涙さえ頬に零して、喘いでいた彼を。
 誰にも見せたくなくて。

「だ…れ…っ」
「…いいから、黙って。人がこっちに向かってくる。動かないで、暴れないで、じっとしててください。ほんの少しの間だけだ」

 誰なのか、と問いながら、土方にはもう相手がわかっていた。殆ど閉ざされている視野に、それでも見える着物の模様にも見覚えがある。何より、この淡々とした感情の薄い声は…。

「さ…」
「…黙って」

 確かに、彼の言葉のとおりに、監察のものたちの声が近付いてきていた。二人は道から逸れた松林の中にいるが、土方がそこにいると知られれば、隊士たちは当然無視などしはしない。真っ青な顔をして、到底普通とは言い難く震えて、涙さえ零す姿を、見せるわけにはいかなかった。

「わかった…。わかった、斉藤…。手…ぇ、緩めろ…」
「………」
「斉…と…。…っ…!」

 ぎゅ、と尚更強く抱きすくめられて、折れるほどに強く腰を抱かれた。向かい合う形のまま、胸と胸をぴったりと付け、脚と脚を絡めるようにして。互いの鼓動までが、絡まるように交互に強く響いていた。高く結わえた土方の髪を、掻き混ぜるように斉藤の手が頭に触れている。

「まだ…黙って……」

 耳に息が掛かって、何故か土方の体が、びく、と小さく震えた。もう人の話し声は聞こえない。かさかさと葉を踏む音も遠くなって消えた。なのに斉藤の腕は緩まずに、そのまま二人はそこに膝を付き掛ける。

 酷く長く感じた短い時間が過ぎて、やっと土方の体が自由を取り戻した時、斉藤はゆっくりと、一人で土に膝をついて、唐突なことを言ったのだ。

「副長。二日、いや、一日程度で恐らくことは足りるが、俺に時間をくれ」
「何…、言って…」
「…用がある。済んだらすぐに帰営して、あんたに報告する」

 斉藤は土方の方を見なかった。見ないままにそう言って、返事も待たずに立ち上がり、そのまま背中を向け、殆ど足音さえ立てずに彼は走り去った。そこに残された土方は、体に残る斉藤の腕の感触を感じながら動けずに、松の幹に背中を寄りかけていた。

 そして、同じ日の夜半のこと。

 土方の自室の外に気配が立った。眠れずにいた土方は、ふ、と顔を上げはしたものの、何も言わずにただ待った。外の気配は、やっと聞こえるかどうかくらいの声で、今、戻った、とだけ言った。そのまま消えそうな気配に気付いて、土方は腕がやっと通るだけの隙間、障子を開く。

「斉藤」

 一筆、茶屋の名を書いた紙を折ったものを、土方は彼へと差し出した。闇の中で、斉藤は土方の白い手を暫く眺めてから、す、と手を伸ばして紙を受け取った。一瞬、指と指とが触れた気がした。

 刻限まで書いている間はなかった。いつ、と思うだろうか。土方はほんの少しの間だけ、部屋にじっと座っていて、そのあとすぐに裏木戸から屯所の外へと出ていった。

 


 土方は茶屋に辿り着いて、馴染みのものの手に金を渡しその場から立ち去らせる。密談のために話を通してある茶屋だ。自分が使う限り、外へこのことが洩れる心配は無い。そういう茶屋が、土方には二つ、ある。

 部屋へ灯りを灯さず、暗いままで、障子の向こうの月明かりだけで、斉藤を待っていた。来ないかもしれない。我ながら愚かなやり方をした。刻限が記されてなければ、普通はそれに気付いたあと、約束の場所にいくより先に、相手は時刻を確かめるだろう。斉藤も、明日になってから声を掛ける気でいるのかもしれぬ。

 月が少しばかり傾いた。斉藤は、こないかもしれない。来なければどうする。いつ言うんだ、どうしても告げたいこの言葉を。
 
 唇を噛んで膝の上の手を握って、苦悶し始めたころ、数刻前と同じ気配が、土方のいる部屋の外に立ったのだ。弾かれたように顔を上げ、今度は人が通れるだけの隙間を開け、土方は斉藤を招きいれようとした。

「斉藤、入れ」
「……いや、中へは入れない」
「どうし…」

 どうしてだ、と聞こうとした声が止まる。血の匂いがしたからだ。斉藤は懐に入れていた手を出して、その手にしているものを土方へと差し出した。…簪。藤をかたどってあり、若い娘ものらしい上等な。

「隠し持っていた。あの娘の髪にあったものだ、と言った」
「…何の話をしている」
「今、斬ってきた。娘と、佐々木愛次郎の死んだ場所で」
「誰を」
「佐伯又三郎」

 芹沢派、だ。聞いた刹那、ぶる、と土方の体が震えた。おかしいのかもしれないが、安堵したのだ。ずっと体の何処かに刺さっていた錆びた杭が、一本抜けた感じがした。

「何故、入れない。血が落ちるからか? 怪我をしているのか?」
「首を飛ばした。返り血が酷い。着物が汚れているから畳に付くし、匂いが部屋に残る。あんたにも…血の匂いが移る」

 聞いて、土方の喉にかすかな笑いが込み上げた。笑うような心境じゃないはずなのに、不思議だ。

 裏からだろうが、屯所に入って土方の部屋の前まで来ておきながら、この男は今更血の滴りや匂いの心配か。屯所ならば常に血生臭いから、問題はないとでも思ったのか。

「構わん。畳が汚れたら変えさせる。いいから、入れ」
「いや…」
「…なら、一言だけ言う。昼間のことは…他言無用に願う」

 声が少し震えた。

「引き換えに、何か欲しいものでもあれば」
「欲しい、もの」

 区切るように斉藤は言って、今度は彼の方が、ほんの僅か笑ったようだった。

「俺の処罰はないのか?」
「処罰? そのけだものを斬った故なら、立派に隊務だ。佐伯は士道不覚悟、切腹にすら値しない」
「士道不覚悟…」

 闇の中で、また斉藤の声に笑いが染みる。

「士道不覚悟は、むしろ俺だ」

 と、短くそう言って、斉藤は土方に背中を向ける、着物が翻り、一瞬月明かりに照らされた顔には、赤い飛沫の跡が見えた。

「…他言無用、承知」

 
 月明かりが陰った。血を浴びた彼の姿を隠すなら、暗い夜の方がいいだろう。土方は黙って空を見上げ、黒い雲に蹂躙されていく、欠けた月を見た。無意識に目を閉じると、昼間のことが思い出される。

 士道不覚悟…。
 
 斉藤の言う意味を考えようとして、やめた。


















 抱擁シーンといえば抱擁シーンですが、なんか性的なものを感じません。何故でしょうか? 

 それにしても土方さんの心の傷は随分深く、そしてすっかりこじれてしまっているようです。そんな潔癖になってるんじゃ、そりゃ性に溺れるとか、嫌だろうね。彼が女と遊ばなくなった理由わかる気がする。って、本当はどうなのかは知らないけれど。

 いやー、実は意識のない土方さんに、斉藤が口付けなんかをするシーンを書きたかったのに、気を失ってくれなかった土方さんです。まったく、ケチですね。←オイ。 今後に期待しましょうか。とほほ。

 エロ書きたいのになー。馬鹿なコメントでスミマセン。





11/07/16