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あの日の毒は、
ずっと体内のどこかに溜まっていて、
切っ掛け一つで滲み出すのだ。

滲むものは憎しみだけではなく、
自分では、どうしようもない、
恐怖と、屈辱と、嫌悪。
毒は俺の体だけに注がれたもの…。

なのに、何故お前が、
そんな目をしているんだ?







 いいんだ、と近藤が言った意味が、土方にはさっぱり判らなかった。面を被ったこの男が誰なのか知らないが、例え過去に会ったことがあるとしても、今、この場で面籠手つけている以上、立会いを命じて何が悪い。

 意地になるように、土方はそう思った。

「その気がないなら、総司はもういい。他に誰かいないか。腕に覚えのあるものは…っ」

 沖田は詰まらなそうに竹刀を放り出した。視野の隅では近藤が苦笑している。

「すまないな、山口君…いや、斉藤と変名したのだったか。とにかくちょっと試合って見てくれ。相手は…」

 近藤が見回すと、一人の体の大きな男が、槍を肩に担いで立ち上がるのが見えた。幹部らしい態度の土方の前で、いいところを見せようと思ったのかも知れぬ。剣に槍というわけには、と近藤は言い掛けたが、斉藤がそれを気にした様子はなかった。

「なら、三本勝負で」

 と、小さく低く言うと、気負いも何もない立ち姿で、槍の男の前に斜めに立つ。剣は抜かない。それは抜き打ちの構えで、馬鹿にされたと思ったのか、相手は鋭い気合と共に向かってきた。

「き、ぇえぇ…ッ」
「……」

 カ…っ、と鋭い音がした。

 剣を返した背で、斉藤が男の槍の柄を払っていた。剣を抜く姿が、殆ど見えなかった。だが、弾かれても怯まず、男は柔軟に槍の切っ先を翻す。長い柄尻で、斉藤の足元を数回突いてくるが、都度、斉藤はゆらりと揺れるような身捌きでかわした。

 土方は、一瞬でその動きに目を奪われる。緩やかな凪の海のように、男の動きは酷く静かで、素早くなど見えないのに、相手の槍は何度でも空を斬っているのだ。

 しかしやがて、かわし損ねたのか、斉藤の右足が槍の柄をかすめ、ぐらり、彼の体が傾いて…。

「…とった…っ!」

 叫んだのは、この試合を見物していた誰か。叫びに力を得たように、槍の男は得物を半円に翻し、切っ先で胴を取ろうと狙ってくる…!

 次の瞬間、からりと音立てて武器を落としたのは、斉藤ではなかった。何が起こったのか、はっきり見えていたのは、見物人の中にも殆どいなかっただろう。巨漢の男は、手首を押さえて地面に膝を付いていた。

「見事だ。今の一本で三本分に値する。歳、もういいだろう」

 機嫌よく満面の笑みをたたえて、近藤はそう言った。彼のその言葉に、沖田もにこにこと頷いたが、土方はまだ固い表情のままで微動だにしない。

「歳?」
「…あ、あぁ、いや…。そうだな。採用だ」
「立ち会った槍の、君も中々だった。斉藤君でなければ誰でも苦戦しただろう。あちらで名前を言って…」

 上機嫌の近藤の様子を、嬉しそうに眺めていた沖田が、ひょい、と土方の方を見て笑った。

「採用も何も、斉藤さんの腕は試衛館のみんなが知ってるんだから、よかったんですよ、別に。なのに、一度言葉にしちゃったら、土方さんは頑固だから」
「…俺はこんな」

 こんなヤツ、知らない、と意地を張って言い張るつもりだった。引っ込みがつかなくなりかけた土方の目の前で、斉藤は面紐を解き、ゆっくりと面を外した。視線は向こうへ向けていたが、剣と同じく、その酷く静かな横顔を土方は見た。

 あぁ、確かに、顔にも見覚えはある。
 だが寧ろ、知っているのはこいつの剣だ。
 確か一度だけ竹刀を合わせた。
 やりにくい剣だ、と思った覚えがある。
 強い、負ける…、とも。

 そうは見えないが、歳は沖田と、そう変わらなかった筈だ。なのにとても若い剣には思えず、興味を惹かれるままに土方は口を開いていた。

「お前、流派は、な…」
「別に」

 聞き取れるかどうか、というくらいの小さなかすれた声。前に聞いたような気がするけど、と、沖田は内心で思ったが、とりたてて何も言わなかった。彼は実は、数日前のことを思い出している。

 無口だったから、多摩の頃の自分の声を土方は覚えていないだろう、と斉藤は言っていたのだ。だが、もしも「あの夜」彼が土方と何度も言葉を交わしていたなら、その記憶がまだ新しいうちに、今、彼の声を聞かせるのは危険なことだ。

 土方はと言えば、聞きようによっては随分と不躾な、斉藤の態度が気に触ったようだった。

「別にってことはないだろうが、それだけの腕を…」

 言いながら、頭の隅が何故だかちりちりする。それは何かに気付きかけている時の感覚だった。気になって、もう自分に背中を向けてしまった斉藤に、何か問いかけようとしたその時、表門の方から、場違いな喧騒が届く。

 芹沢派の奴らだ。たまたま擦れ違った町人を、酔った声で脅しているのだ。

 機嫌のよかった近藤も幾分表情を固くした。沖田は肩をすくめて、会いたくなさそうな微妙な顔になるくせ、本当に足音が近付いてくると、おかえりなさい、芹沢局長、と朗らかに言った。

 土方は明らかに芹沢を嫌っている。前々からそうだったが、浪士組として旅路にいた頃とは、嫌悪の種類が変わってしまっていた。
 
 篝火事件の頃、恥をかかされた芹沢が、近藤に何か危害を加えるのでは、と土方は神経を磨り減らせていた。そう思う気持ちは京に来てからもあったのだが、いつからか、芹沢はしきりと土方に絡みたがるようになった。

「土方殿」

 半分呂律の回っていないような声で、芹沢は土方の名を呼ぶ。
「相変わらずの別嬪だ。なんでこんなところに郭の女がいるのかと思った」

 そう言われて、土方は震えた。反論したり、憤ったりしないのは、ここがそういうことをしていい場では無いと判っていたからだろうが、指先までを震わせているのは、嫌悪と恐怖のためだったかもしれなかった。

「一度、是非確かめてみたいものだが」

 芹沢はひょい、と腰から鞘ごと刀を抜いて、その柄の先を土方の足元へ伸べ、彼の着ている袴の裾を捲り上げる。真っ白な足袋を履いた土方の脚が、足首のすぐ上から脛、そして膝までの白い肌が、ほんの一瞬だけ露になる。

「本当に漢なのかどうか」

 微動だにしない土方の袴の裾を、芹沢の刀の柄が、もう一度引っ掛けて捲り上げようとした。何もない中空を睨み据えながら、土方は苛立ちを込めて、芹沢の鞘の先を踏み躙る。それを見た芹沢の手下たちが一気にざわついた。

「ぶ、無礼なっ!芹沢先生の…っ」
「いい。黙っていろ。たかが女の裾をめくった道具だ。無礼なこともない。それにしても、色白で…艶かしい足だったよ、土方殿」
「芹沢先生、今日は冗談は、もうそれくらいに」

 言ったのは沖田だ。土方は震えながら項垂れて、声も無かった。近藤は不快な様子だけを見せている。局長として並び立っている以上、簡単に仲違いするわけに行かないし、新人隊士の選出の今、隊内の不和をこれ以上曝したくない。

 斉藤は、震えたままの土方をずっと見ていたが、芹沢が視野から消える前に一度だけ、燃える火のような目で、彼の背中を凝視したのだった。




 

 

 







 なんですかねぇ、もう…。そろそろエロが書きたいです。…ってお前。すいません、正直過ぎた。近いうちうっかりと手を滑らせて、斉土エロを書いてしまうかもしれません…っ。えぇ、短編でっ。この上連載増やしたら首絞まるどころじゃないですしねっ。

 この十話を書く前に、思わずこれまでの話の流れを見つつ、史実本を凝視してしまいました。んでもって付箋つけて、この出来事使えそう、とかなんとか思ったり。

 普段、そゆことしないし、しないようにしてるんだけど、頭悪いから、また変なこと書かないように気をつけてるつもり…。頑張るわーっ。

 芹沢さん、ただの酷いヤツに書いてすみません、ごめんなさいっ。まだ悪役してもらうので、先に謝っときます。ではでは、続きはまた来月ー。


11//02/20