花 刀 1
お前が花だというのなら、
その花弁を残らず毟り取ってやる。
お前が刀だというのなら、
錆びて光のひとつも無くなるまで、
膿に汚して踏み躙ってやる。
それが俺の、たった一つ望みなのだ。
夕刻前。随分と風が強い。ざざ、と引っ切り無しに枝が音を鳴らしていた。不穏な音だ。これから起こる何かを、たっぷりと内に孕んでいる。それに気付いていてか、土方は眉根を寄せて吐き捨てた。
「…気に入らねぇ」
「何がです」
「あいつだ。宿の一件はもう済んだじゃねぇか。だというのに、あいつはまだ近藤さんに難癖つけたがってんだ。目つきでわかる」
土方の傍にいた沖田は、その意見に半分は納得がいき、残りの半分を微妙な気持ちで聞いていた。大抵のことでは冷静でいられる筈の土方は、こと近藤に関わることとなると、妙に熱くて逸っていて危ない気がしてしまう。
「そうですかね」
幼馴染と言ってもいいような相手に、こんなに心酔しているのも、それは近藤が男から見ても、情に深くて勇敢で立派な存在だからだろう。反対とも取れる返事を聞いて、土方はさっそく目を吊り上げた。
「おめぇはまだ餓鬼だから判らねぇんだ」
「ガキかもしれませんけど、私の方が土方さんより」
「総司…俺は今、剣の腕の話なんかしてねぇ…。とにかく、とに…かく…」
ぐら、と土方の体が傾いだ。沖田が手を伸ばして支えようとしたのを、嫌そうに睨んで、土方はおのれの額に手を当てる。
土方は実は、もう五日もまともに眠っていない。あの芹沢が、隙あらば何かしでかしそうな気配を漂わせ、近藤の近くに寄ろうとするから、夜も気が抜けなくて、床に入ってもいないのだった。
「…無茶ですよ、土方さん。今日も寝ずの番をする気なんでしょう。私が代わると言っているのに、聞きゃしないんだから」
「おめぇなんかに任せられる筈が」
その時、どこか判らない方向から、チリ、と首筋を焦がすような視線を感じた。芹沢か、と油断なく、視線だけで土方は辺りを見回す。チリ、と、また視線が刺さってきた。
どこにいやがる、ヤツは…。
「今日は確か、後ろの方に居ましたよ。どうやら少し飲んでるみたいでしたから。でも…」
今のは、芹沢の気配とは違ったような。沖田は言葉には出さずにそう思っていた。実を言えば、この視線を感じたのも一度目ではなくて、数日前から、日に一度か二度感じていたのだ。
丁度その時、大人数で移動している浪士組の流れが、ゆっくりと動きを止めた。前の方から伝令代わりの下っ端が、走りながら一刻半程の小休止を伝えてゆく。
「ちょっと、見てくる。その間、近藤さんを」
「判りました。じゃあもう少し近くに行っておきますよ。だけど何でもなかったら、土方さんもどこかで少し休んでください。…あなたが倒れたりしたら、きっと私が背負わされるんですからね」
軽口を叩いて土方を見送ってから、沖田はほんの少し前に見える、近藤の後姿へと駆け寄っていった。
土方は油断なく見回しながら、列の中に芹沢一派を探した。少し戻ると、小休止している列から離れて座っている彼らがいた。樫の木の根方にだらしなく横たわり、周りに取り巻きに座らせて、零れて襟を汚す酒を、芹沢は自分の手のひらで拭っている。
屑が…。あんな奴らに、近藤さんを煩わせたりしねぇ…。
ともあれ、何か企んでいる風ではないと見て取って、土方は緊張を緩めた。その途端にまた眩暈が襲って、舌打ちを一つしながら、彼は自分も列を外れた。ち、と忌々しげに舌打ちするのは、ほんの数日不眠だっただけで、調子を崩しているおのれの体に対してだ。
半刻。半刻だけ休む。その方が効率がいい。半刻ここで休んでおけば、今夜も明日も、ちゃんと近藤さんの身の安全を確かめられる。
そう思って、土方は速足に列から遠ざかる。浪士組の立てる喧騒が聞こえていては、恐らく休まらないだろうと思ってのことだ。
ざざ、と頭上で枝が揺れていた。錆びた鉄のような匂いが、どこかから微かに漂っていて、駆けている足を無意識に緩めた、その時のことだった。ゆらり、と影が物陰で動いたのだ。その影は人の形になって、土方の進もうとする場所へ出て、そうしてこう言った。
「よぉ…薬売り…」
「…誰だ」
「御挨拶だな。お前が叩きのめした道場の師範代、覚えてねぇのか」
「……人違いだろう。俺は薬など」
土方は自分を、敵のいない人間だなどと思っていない。それどころか、逆恨みもされているだろうし、憎まれてもいるだろうと思っている。彼を好いてしまった女に関わることもあるだろう。そして、薬の行商をしつつ、いつも持ち歩いていた竹刀で、腕試しをして勝ってしまった相手も少なくない。
「武須賀道場。覚えてもないかねぇ。道場主の前で無様に負けて、利き腕を怪我したこういう男の顔も」
薄暮の淡い乳白色が、すべてを包む時刻。その朧な色を破るように、男は血走った目で土方を凝視していた。
「武須賀フチゾウ。もっとも、怪我のせいで道場を追われ、未来の妻も未来の地位も失くした俺だ。武須賀の名は、もう俺のもんじゃねぇ…」
「人…違いだ…。失礼する…」
嫌な汗が土方の背中を伝った。踵を返してその場を去ろうとした足が、派手に何かを引っ掛ける。重心を崩し、持ちこたえようとする体を捕らえられ、地面に片膝をつくのと、目の前が真っ暗になるのとは同時だった…。
* ** ***** ** *
覚えている。人違いじゃぁねぇ。
武須賀道場…。でかい看板の立派な文字、気合の篭った打ち合いに、勝てねぇだろうな、と思いながら薬を売りに立ち寄り、駄目でも構わねぇと思いながら、腕試しを申し出た。
一段高い座に、道場主らしい白髪の男。少し離れた低い場所に、綺麗な着物で綺麗な顔の少女が座っていて、道場に女は珍しいと思ったのだ。恐らく、ここの道場主と孫だろう、と、土方はそう思い、とすると、自分と立ち会おうと、妙に張り切っている師範代の男は、二人にいいところを見せたいのだろうと思った。
でも、そう思ったからと言って、意地でも勝たせたくなかったわけじゃない。酷く打ち負かそうとしたつもりもない。ただ、竹刀を持てば、いつだろうと本気だった、それだけのことだ。それなのに…。
ぱぁん…っ。
土方が籠手に打ち込んで、勝ち負けは一瞬で決まった。決まったと思ったのに、審判役の男は何も言わなかった。目の前の試合の相手が、頭に血が上った顔をして、さらに打ちかかって来た。それを何度かいなした。
偶然に足が引っかかって、男は…フチゾウは道場の壁にぶちあたっていき…。
それでやっと、決着がついたのだった。その時の、奇妙な居心地の悪さを土方は変に鮮明に覚えている。あとで風の噂に聞いたのだが、あの時、あの男は壁についた手を、妙なふうにひねっていたらしく、竹刀すら、もう持てなくなったのだと。
あぁ、忘れてねぇよ、覚えている。あの時の男だ。師範代の…。まだ跡を継いだわけではなくとも、もうそれと決まっていたからか、男は武須賀を名乗っていた。あそこに座っていた少女を妻に持つことも決まっていたのだろう。恐らく、それはあの日に、無残に覆されたのだ。
でも、それは、俺のせいじゃあ…。
* ** ***** ** *
「起きろ」
ばしゃ。と、冷たい水をかぶせられて、土方は意識を取り戻した。顔を上げると、見知らぬ男たちが二人、目の前に立っていた。武士とも、武士を目指しているとも取れない風体の、ただのごろつき風の男たちだった。
続
新連載です。えーーーーーーーーとね。へこたれる匂いがすでにしています。なんでって? んー、あのね、難しそうだから。本気入れて冒頭のプロット考えて、気合入れてスタート。ここがすでに、不穏な予感。
すでに登場の悪役は「武須賀フチゾウ(富知蔵)」と言います。すげぇ名前。(でも本当は腐血蔵のイメージで名前決めました)。そしてちゃんと名前出てくるかさえよく判らない、腰ぎんちゃく?二人は、井介(イスケ)と市柾(イチマサ)です。
判ってくれる人にはわかる設定として、冒頭のこのシーンは、芹沢篝火事件の数日後の設定でした。ま、どうでもいいんですけど。
とにかくこの話はこの後で、逆恨みで大変なことになっちゃう土方さんを、ある男がかっこよく助けるのですよー。ま、どんな感じか待っててやってもらえると嬉しい。そうそう、血まみれが苦手な方は、気をつけて読んでください。気持ち貧血になるかもよー。
でした。ではまたー。
2010/09/12