甘 い 雪 夜  …  壱




 雪の降る音がしていた。積もるには早い頃合だというのに、ここ数日細かい雪が、昼といわず夜と言わず、ずっと降りしきっている。

 眠れずに目を閉じていると、冬でも葉の落ちない庭木の上に、さらさら、さらさらと、雪の落ちる音がするのだ。何かが零れていく…。そんな気にさせられて、寒さがより一層、体の芯まで突き通る。

 何を今更。

 土方はうっすらと開いた目で、天井を眺めながら思っていた。

 何を今更、たった一つの「それ」で、心揺さぶられている? 今までだって、幾つ失くしてきたのか、もう、数えてもいないのに。「それ」は人一人に一つ、平等に与えられているモノだ。「それ」を失う時もまた、人一人に一たび。

 俺にも一つ、一たび。
 あいつにも一つ、一たび。
 けれど、あいつの「それ」だけが、もう先が無いと告げられて…。

 今夜は寒い…。こんな寒い夜は、また、咳を止められずにいるのではないか。

 そう思うと、自分の息まで詰まる気がして、土方は薄い布団の上に身を起こした。手早く着物を着て、枕元の二本を取り、廊下へ抜ける障子を、急いた手付きでからりと開ける。

 うっすらと雪の積もった廊下を数歩行き、顔を上げて見た先に、人影を見て彼は足を止めた。影は土方が今、ここに出てくることを判っていたように、驚きもせずに顔を上げる。

「……斉…」
「出掛けるのか? こんな夜更けに。今日の当番が、じき戻ってくる頃合いだ。何もなければいいが、何かあった場合、報告を受ける副長が不在では、何かとまずいだろう」

 斉藤の髪にも雪が積もっていた。彼の足元には足あとがない。来たときの足あとを、降り続く雪が隠してしまっている。

 いつからそこに、何故一人で立っていたのかと、聞く必要を土方は感じなかった。腰の刀に掛けた手が、するりと下におりて、少し赤くなった斉藤の指先が、袖の陰に見えた。

「出掛けるのなら、もう少し後に…。共は俺が」
「……」

 何も言わずに土方は部屋へと戻る。部屋へ戻って、また一人になると、あいつを思って熱されていた心が、ゆっくりと熱を下げていくのが判った。

 雪なら昨日も、その前も降っていた。今夜よりも昨夜の方が、冷え込みは厳しかったように思う。明日も恐らく、一日中、雪。

 ならば今夜、今、急いたように出向いて何になろう。寝入っている病人を無理に起こし、この不安げな顔を見せ、要らぬ気疲れをさせてしまうだけのことだ。

 刀を置いて、土方は小さな火鉢に火を入れた。手をかざして温めながら、さらさら、さらさらと雪の積もる音を聞く。さっきまで心を占めていた
別の姿の代わりに、自分を見た斉藤の姿を、心の隅に据えてみた。

 気付けばいつも自分を見ている…。静かだけれど、酷く深くて、激しい目をした姿。


 やがて見回りの隊が戻ってきたらしく、ほんの僅かの間、外が騒々しくなった。だが、それもすぐに絶えて、辺りはまた静けさに包まれていく。市中に、何も異変はなかったものとみえる。こう寒くては誰だとて、暗躍する気が起きなくなるものなのかもしれない。

 土方は火鉢に新しい炭を足して、黒い炭の内側が、ゆっくりと赤くおこるのを見つめていた。雪の音が続く。ぱちりぱちりと炭が仄かな音を立てて、内から外から、じわじわと灰になって崩れていく。

 そのゆっくりと崩れていく炭を見据えたまま、彼は言った。

「入れ」

 障子の向こうで、僅かに怯む気配が伝わる。微かに笑って、もう一度同じ事を言うと、今度は音もさせずに障子が開いた。

 開いた障子の向こうから、粉雪混じりの風か入ってくる。雪風に引き込まれるように、斉藤も体を滑り込ませてきた。肩にも頭にも雪が積もって、まるで白い粉を振り掛けたような恰好で。

「雪くらい払ってこい。まあいい…こっちへ。お前もあたれ」
「いや…俺はいい。別に寒くない」

 部屋に入れ。こっちへ来い。火鉢にあたれ。

 些細な言葉であろうとも、新選組副長の命令は逆らってはならない。それが鉄則の掟だから、いいえ結構です、などと、言われた事は殆ど無い土方だった。

 だが総司と、この男だけは彼の言葉に従わない事がよくある。今夜もまたその通りで、土方は小さく目元で微笑んだ。斉藤の目が、そんな彼をちらりと見て、ふい、と横に逸らされる。

「出掛けないのか…?」
「…出掛ける? 何処に」

 今にも笑い声を立てそうに、土方は目を細めて聞き返した。斉藤が不思議がって、軽く眉を寄せるのが面白い。

「そういや、共をするとかなんとか言ってたな、お前。何処に共をする気だったんだ?」

 言いながら立ち上がって、土方は着ていた着物の帯を緩める。斉藤は部屋に入ったままの場所で、怒るに似た顔をすると、くるりと背中を向けて障子に手を掛けた。その指先がほんのりと赤い。

「何処へ行く?」
「副長が出掛けないなら、俺はここに用はない。…寝る」
「用はねぇ…って、お前も大概、不遜な言いようだな」

 土方の口調に怒った様子が無いからか、斉藤は謝りもしないで、彼に背中を向け続けていた。


                                続









 暫くぶりの組ストーリー「あまいせつや」です。「ゆきよ」ではなく「せつや」と読んでほしい我が侭な惑い星。

 いつぞや、新選もの待ってますメッセージを下さった方がいた。ので! 妄想がそのときから発動していた。妄想すると、書きたくなる病もあることだしっ。書いちゃったよ〜。

 前、後編同時アップ。続きを読むと、多分、みなさん、叫びたくなりますね、きっと。私はそうなりました。ぐあーーーっ。誰かぁ〜っ、なんとかしてくれ〜。

ってか、前、後って言いながら、なんで「壱」「弐」と書いてあるのか。そりゃあ貴方、続きを書くかもしれないからですよ! 苦笑。


06/12/10
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