この手のなかの奥底に  8 






夕暮も終わる頃、舟が岸について、イサザは舟底に座ったまんま、黙ってギンコを見た。

 ギンコはその眼差しを受け止めて、ふ、と息を吐いて自分が先に舟から下りる。ぐらり、舟は大きく揺れた。よろめく腰を抱くようにして、イサザはギンコを支え、その背をしっかりと押す。

「海を一つ越すと、やっぱり風が違うな。岩の形からして、こんなだ」

 ギンコの後に舟から下りて、一つ一つがごつごつと、尖った岩をイサザは見渡す。柔らかな色の砂浜など無い。弧を描いて、ざざと寄せる波もなかった。ゆっくりと辺りを見回すギンコを追い抜き、その岩のひとつの上に、イサザはひょいと飛び乗る。

「さて…と、二晩舟の上だったからな、ちょっと贅沢して宿っていうのも」
「勿体ねぇだろ、そんな。野宿で」
「なんで?」

 聞き返す声の調子が、常の声より強かった。

「だから、金が勿体なくねぇか、って」
「…そうかもな」
「いや、他の旅人らと一緒くたに、雑魚寝するような安宿だったら、別に」

 イサザは暫し黙った。ギンコが何を考えているのか、手に取るように分かっている。いや、寧ろギンコは無意識なのかもしれない。無意識にそうするほど、もうずっとそう思ってきたのかもしれないと、そう思った。

 けなげなほどのその想いを、消してしまうにはどうしたらいいだろう。容易くないのは分かっている。それでも何か、方法があるなら。

「ギンコ、ならこうしよう。あそこに漁師って感じのがいるだろ? 漁師ったってここいらじゃ多分、海苔だの海藻とりの磯漁師だろうけどな。道具をしまう小屋かなんかがある筈だから、一晩その隅で寝さしてもらうのさ。安い宿よかもっと安く済む」

 ギンコが何かを言う前に、イサザは器用に岩から岩へと。すぐに漁師を捕まえて、少し離れたところに見える小屋を指差した。

「隅っこでいいからさ、寝さしてくれないか。宿をとるまでの金がねえんだ、少しは払う。いいだろう?」
 
 交渉はあっという間に終わった。早朝から小屋を使うが、それまでは休もうが寝ようが好きにしてていいらしい。

「さっそく休もうぜ、ギンコ。さすがに二晩舟の上はきつかったよなぁ、今晩こそしっかり寝ねえと、明日からの歩きにも応える。それともなんか精の付くもん喰うのが先か?」

 ギンコの腕を捕え、指に力を一瞬込めた。抗い、とまでは言えないような、小さな震えをイサザは感じ取った。でも離さない。


 優しくしてやるから、なんて言わない。言うものか。
 優しいのだろうあいつと、はっきりと違うように、
 俺は乱暴に、お前を抱くんだよ。 

 寒い、と言ったのは、ギンコだろ?
 優しくは出来なくても、あたためてやるよ。
 寒くないように…。

 
 梁に渡した幾本もの棹に、沢山の網が掛けられ干されている。這わねば動けないような狭さの中、イサザはギンコの手首を掴んだ。また、小さく強張る肌。その腕を取ったまま、もう一方の手で、イサザはギンコの体を押し倒すのだ。何も言わず、じっと見つめたまま。

 どさり、背から床へと落ちて、痛そうにするギンコの顔を、上から見下ろすように眺めている。

「狭いとこでヤるのも、悪か無いかもしれないぜ?」
「イ…」

 こんな軽口に、返事も出来ないギンコが、少し哀れだ。シャツを捲り上げて、胸をさらさせ、躊躇もせずに吸い付く。柔らかなそれは、愛撫にぽつりと固くなり立ち上ってきた。

「ん、…く…っ」

 歯を食い縛り、その顔を見せないようにか、ギンコはきつく真横を向く。歯を立てられ、跡が付くほど噛まれて、随分と痛いのだろう。許しを請うようにギンコの手が伸びて、イサザの肩を押し離そうとした。

「い、い…痛っ」
「痛いか? 我慢してな。今に痛いばっかじゃ、なくなるから」

 もう一方へはやわやわとかすめるように触れてやる。その部分を弄られることで、快楽はギンコの体を縦に下へと滑り落ちていくようだ。腰を捩り、或いは腰を跳ね上げて、苦しげな顔をしている。

 手を下へ伸べて、そのままその手を滑り込ませ、ぐりぐりと粗い愛撫をして、ギンコの肌が強張るのを感じた。あんまり正直で、憎いように思えてしまう。そんなに嫌か? そうだよ、俺はあの先生じゃないよ。お前が今抱いて欲しいあいつじゃないよ。

 それでも、今が辛くったって、お前はあいつを忘れたいんだろう? その為に俺のとこへ来たんだろう? どうしようもなく怖くて辛くて、俺に縋ったあの時みたいに、なんとかして欲しくて俺を頼ったんだろう? 違うのか? ギンコ、違わないよな?

「や…っ、んぅ、イサ…っ」

 乱暴過ぎて痛いせいだとでも言うように、ギンコの体はもがいて逃げた。沢山の網やら縄やらが、天井から下がったその中で、迷路に紛れたがるように、這って逃げようとした。イサザはそれを逃がさなかった。後ろから抱いて、前へと手を回し、其処を捕えて上下にしごく。

 逃げたがる癖、反応は酷く素直で、捕えた途端ギンコの体は崩れた。荒い板敷の床に伏して、斜めに体を捩じり、暗がりの中ギンコはイサザを見たのだ。

「な、なんで…っ」
「……」

 責めるような、声。恨むような眼差しが、ちかりイサザと合う。閉じた戸の隙間から、まだ薄明るい外の明かりが、細く小屋へと入り込み、それだけでも随分明るいから、イサザは気付いてしまった。ギンコは、あの日のことを思い出している。そうして、イサザを怒っているのだ。身勝手に、怒っている。

「イサザ、なんで…もっと、あ」

 あの夜、みたいに、
 酔わせてくれない…?
 俺の中の、何もかも。

 突き落とすような激しい快楽で、痛いほどの乱暴な愛撫で、俺がどんなにもがこうと、心の中の嫌なもの、怖いもの、忘れたいものを消し去ってくれたじゃないか。あの時みたいにしてくれよ、あの時みたいに、俺を真っ白に、してくれ、早く。

「……」

 だったら、俺だけを見ろ。その心の中をあいつで埋めたまま、必死でそれを抱きかかえたまま、俺に…なんてさ。身勝手が過ぎるじゃないか。今が、望んでいるものとあまりに違って、苦しい。

「…サザ、イサ…ザ」

 すまん、と、そう言ったのが聞こえた気がした。ギンコは体を捩って、イサザへと身を開く。自分から足を広げて、腰を持ち上げ、無防備にすべてを差し出した。

「お前に、やる、から…」
「………」

 嬉しい筈のことを言われたのに、返事が出来なかった。言いながら誰かのことを思い、傷を広げているギンコに気付いてしまった。

「…最初っからさ、俺の『もの』だろ、ギンコ、お前は」

 もの、という言葉に、ギンコの喉がひくりと震えた。零れかけた嗚咽は重ねた唇に封じられ、声を発することも暫し許してはもらえなかった。ギンコは、イサザがそう言ったことが嫌だったんじゃない。そんな意味じゃないと分かってる。寧ろ、だから守ると言われたのだと、分かっていた。

「わかったから、預けろよ、全部。ほら」

 無理やりのように快楽を引き出され、体のあちこちを噛まれ、噛み跡を舐められ、激流に揉まれて押し流されるように、ギンコは快楽に飲まれた。ようやっと、飲まれることが、出来たのだ。
 
 けれど、始終イサザにしがみ付いていた両腕は、ずっと、震えて、強張っていた。














  
 ド暗くてすみません! イサザ、ギンコがこうして傍に居て、自分を頼ってくれているのに、こんなんじゃ、嬉しいなんて思えないよね…! ごめん! 本当にごめん!

 愛、なんてもんは気の迷いなのかもしれないけど、一度迷ったが最後、ずっと迷いたくなるものもある。逃げ方がわかっても、そちらへ進めないものもある。それが真の…。や、なんでもない、照れた///


14/11/17