冴ゆる花 … 3 





 また、春になった。ギンコは蟲を散らすために、化野の里からかなり離れた場所を歩いている。思えばもうずっとこうだった。蟲が散らせたら近付いて探し、寄せてしまったら遠くへと離れる。 無為だと分かっていて繰り返す日々を、どうしてもやめられないでいた。

 遠くに栄えた街の姿を見て、行くか行くまいかおぼろに考える。食料が尽きかけているから、行くか。足の進む方角を変え、ギンコは街へ向かい山を下りて行く。

 賑やかな街だった。右へ左へと、行商人らしき沢山の旅人が行き来していた。商家が多い。食べ物屋も。乾きものでも少し買おうかと思い、道を横切っている途中で、速足の誰かとぶつかってよろけてしまう。

「おおっとぉ! どこ見てんだいっ、気ぃ付けな!」
「あ、わるい…」

 詫びを言ったが、もう相手の姿は背中しか見えない。強くぶつかった肩が痛くて、無意識に手で庇った彼に、やんわりとした女の声がかかった。

「大丈夫かい? 傷めたんじゃないの? ちょいとお見せな、ほら、こっちへ座ってさぁ」

 見れば其処は薬屋のようで、女からは薬湯の匂いがした。

「……薬屋かい…?」
「そうだよ、見ての通りさ。おや、売り付けられるって警戒したかい? ま、そのまんまだけどねぇ」

 あはは、と明るく笑う顔を眺めて、久しぶりにほんの僅か心がほどけた。高い薬を買う金は無かったが、所持している薬は欠いているものばかりだ。

「うちはほら、街へ入ってすぐのとこにあるだろ? だからあんたみたいな旅人に買って貰うのが商売。それでね、さっきあんたとわざとぶつかったの、あたしの弟なんだ。ごめんねぇ」

 また女は笑う。要するに旅人に足を止めさせるために、故意に往来でぶつかっては、商売のきっかけを作っているということか。少々呆れた顔になって女を見れば、女は悪びれもせずにギンコの腕を引っ張った。

「座んなよ。店の前が賑わうのも商売のひとつさ。まずは滋養のある珍しい薬茶だ。お代はただだからご安心。なんにも買わなくていいよ。あんた貧乏そうだもの。旅の話をいろいろ聞かせとくれ。勿論ただでね」

 茶を貰い、軽く啜ると懐かしい味がした。同じ漢方の入った茶を、化野のところで飲んだことがある。いつだかの旅に発つ前だった。

「……ふ…」
 
 苦く笑う顔が、まるで泣き顔のようだったから、女は不躾に尋ねず、湯飲みに茶を注ぎ足してくれた。そこへ奥からさっきの男が、ひょいと顔を出したのだ。裏から戻っていたのだろう。

「アユねぇちゃん、東の山向こうの家に持ってく薬、どこだっけ。持ち忘れちまっ…、あっ」

 さっき自分がぶつかった旅の男の顔と見合って、男はしまった、という態になった。

「またかい、ソウ太。いやさ、そんな顔しなくていいよぉ、この人にゃ話しちまったから」
「えぇー、ねえちゃんこそ、またかよ」

 またかと言い合う姉弟。仲の良いその様子に、また少し心がほぐれる。
 
「このお人がいい男ぶりなんで、うっかり口が滑ったんだよっ。なんか旅慣れてそうだから、いろいろ話聞いて、ちゃあんと商売の足しにするから安心しなっ」

 姉が弟に持たせる薬を取りに引っ込んだ後、はぁ、とため息をついてソウ太はギンコの隣に座る。さっきは悪かったよと目で詫びて、それから彼は頭を掻いた。

「俺ぁねぇちゃんほど頭が良くなくてさ、おやじから店を継いだものの、ねぇちゃんが居ないとやってけねぇ。今から薬届けに行く先なぁ、なんか元医家らしい男が居て、ちょっと面倒なんだ。調合が甘いと、もの言いたげにしてくんのさ」
「医家…?」

 ぼんやりとしていたギンコの目に、その時、ちかりと光が宿った。

「今…医家…、と言ったのか?」
「ん? あぁそうだよ。人里離れた一軒家でな。一昨年だかから、壊れかけてたのを直して住んでる。行商やってる兄とその妹と、妹の旦那。二歳かそこらの子供もいたっけ」

 夫婦ものと聞いて、ギンコの目がまた力なく伏せられるが、でも、気になった。何故かその話が、心を素通りしていかないのだ。

 元医家の男。
 一昨年から。
 子供は二歳くらい。
 
「…その家は、何処にあるんだ?」
「ええっと…な。んー、どうしてだい?」

 客のことをうっかり言い過ぎたかと、急にソウ太の口が重くなった。ギンコは自分の足元を見ながら言葉を続ける。彼を突き動かすように、その心がざわついている。

「いいさ、教えてくれないのなら自分で探す。お前さんのその軽装、それほど離れた土地じゃないんだろう。行こうとしていた方角、他の行き先のついでで届けられる場所だということも」
「いやいやいや。参ったな。よくそんなに頭が回るね、あんた」

 ソウ太に渡す薬を手に、戻ってきたアユが怪訝な顔をした。

「どしたの、あんたら。そんな顔して。ちょっと、旅のお人も、もう行くのかい?」
「行き先が出来た。茶をありがとうよ」
「ちょっとぉ!」

 アユは遠くなる旅人の背中を見ていたが、急に弟の腕を掴んで、無理にでも立ち上がらせた。
 
「……ソウ太。あんた、あの人と一緒に行きな」
「えっ、なんで」

 ぐい、と背中を押されたソウ太はさっぱり訳が分からない。もっともアユにだって、何もわかっていないのだろう。でもなんとなく、そうするべきなのだと誰かが頭の中で言っている気がする。

「元医家の家のこと話してたろ? あの家のことで知ってることは全部、道々話して聞かすんだよ。これはねぇちゃんの勘だけど、あの人はきっと、うちの薬屋にいい風を吹かしてくれる。ほらっ、薬持って。行きなったら。見失うよっ」

 どやしつけられてつんのめりながら、ソウ太はギンコを追い掛けていた。でもまだ姉に従うべきなのか分からず、少し距離を置いてついて行く。客のことをべらべら話すな、信用にかかわることだよ、と、今まで再三言われていたことが、今更思い出されていた。
 
 でも、どうしようかと迷っていられたのはほんの少しの間だった。木で出来た箱を背負い、前を歩く背中は迷いの一つもない足で、ソウ太が行こうとしている道を正しく選び取っていく。そして、どんどん先へ進んでいくのだ。

「すっげ…」

 こんなに分かれ道があんのに、なんでわかるんだ。どんだけ道を知ってんだよ。あの人、そんだけ旅に慣れてるってことか。しかも、脚が、やたらと速い。このままじゃとっとと置いてかれて、先に向こうに辿り着かれちまうっ。そんぐらいだったら。

 やっと心を決めると、ソウ太は息を切らしながら少し駆けた。

「ちょっ、待っ…。あんたっ」

 声をかけても止まらない背中。その背の木箱にようやっと手が届いて、がしりと両手で捕まえた。

「は、は…、話す、からっ。脚ぃ、止めてくれよ…ッ」

 やっと止まって、ギンコはソウ太を見た。ソウ太は体を二つに折るようにして、膝に手を置きせいせいと息をしている。まだまだ落ち着かない息の合間に、彼は言った。

「あんた、名前…っ」
「……」
「名前、お、教えてくれ」
「…ギンコ」

 振り向いたギンコの顔は、さっき街でソウ太がぶつかった時とは、まるで違って見える。別の人のようだとソウ太は思った。

「じゃあ、さ、ギンコ」

 ソウ太はぺたりと其処へ座って、疲れた顔に笑いをのせる。

「家の場所も其処に住む人のことも、知ってる限り教えるから、その前にあんたがなんで其処に行こうとしてるか、教えてくんねぇか? ねぇちゃんには『全部あんたに話せ』って言われたけど、頭悪い俺には理由が分かんねぇし、このまま向こうに着かれたんじゃ流石に困るしよ」

 ギンコは暫し黙っていた。もう行きたそうに道の先へと顔を向けるが、ソウ太が竹筒を差し出してくれたことで、喉がからからだったと気付く。

「…貰うよ」
「うん、飲んでくれ。俺も飲む」

 ソウ太とギンコは茶をわけあって飲む。またあの匂い。薬茶の、懐かしい香りだった。耳の奥で声が鳴った。

 これは滋養がつくんだ。
 病人の為のもんってわけじゃない。
 飲んでけ。
 旅が易くなるだろうよ。
 なぁ、
 ギンコ。
 
 息をひとつ吐いて、やっと体の力を抜いた。背中の木箱を下ろすとその上に腰を下ろす。茶をまた、ひと口、ふた口と貰う。静かな横顔をソウ太に見せたまま、彼は木々の合間に見える、ながらかな丘を眺めていた。遠い丘は淡い青。まるで海のように。

「…ずっと人を探してる。医家をしてた。二年と半年ほど前から、行方が知れない」
「急にどっかに、行ったってことかい?」

 水筒をソウ太に返してから、ギンコは己の膝と膝の間に視線を落とす。踏み均された土と、そこから疎らに生えた草。

「…冬に、崖から落ちたんだ」
「あぁ、それじゃぁ…」

 死んでるんじゃねえのかなぁ、と、続くだろう言葉だった。ソウ太は言葉を言わずに収めて、遠慮がちにギンコの方を見る。

「でもよ、この辺にゃ崖なんかねぇだろう。何処の話だい?」
「ここからずっと、東へ行った向こうの」

 搔い摘んで話された土地の場所に、ソウ太はますます気の毒そうな顔になった。

「それが、俺が話した医家の男なんじゃないかって、あんた思ってるのかい? 違うだろ。遠すぎるしよ」
「かもしれないが、違わないかもしれない」

 前を向いたギンコの目が、強い光で。だけれども何処かに迷いのあるようで。ソウ太は竹筒を荷の中にしまうと、行こうか、とひとこと言って立ち上がった。

 その家まで、まだしばらく道は続く。







 
 この話、何話で終わるのかなぁ。見失ったような顔の筆者でございます。またオリキャラ出て来て割と濃いし。でもさくさくと進んではいるので、そのまま行きたいと思ってます。長い話になってもぞうぞご容赦、下さいっませっっっ。


2022.03.13