冴ゆる花 … 14




 化野はひとりの旅路を歩きながら思っていた。嘘が下手だと里の娘に言われたが、そんな化野とは違い、ギンコは嘘が巧かった。隠し事をしていると彼が見抜き、それを伝えてもちらと揺るぎもしなかった。冷たい男だと思ったこともある、喰えないと。

 でも、気付けば彼は優しかった。常に気遣われていたことが、思い出せばはっきりと分かる。無駄に優しくはせず、でも遥か遠くから見守っているような、静かな視線をいつも感じていたのだ。

 手助けがなくとも、一人で旅が出来るように。いつ自分が傍を離れても、大丈夫なように。報酬を受け取ろうとしなかったことも、その一つなのだろう。旅には金が必要だ。

「店主、何か日持ちのする食べ物が欲しい。干した雑穀と、干し肉が少し。あれば地図も見せてくれないか。あと、外の井戸で水も汲ませてくれるだろうか」

 街道を外れる時、旅人相手の店に寄ってそう聞けば、振り向いた店主はじろじろと化野を見て、値踏みするような顔になったが、ふと何かに気付いたふうに急に愛想よくものを言った。

「お客さん、蟲師ですかい?」

 違うと言い掛けて思い直し、化野は黙っていた。店主はそれを肯定と取ったらしい。

「木箱じゃないからどうかと思ったが、匂いがしまさぁ。蟲煙草のね。うちでも少し置いてますがね、上等のヤツ」

 店主は手慣れた様子で、化野所望の雑穀と干し肉を並べ、地図も幾つか開いて見せた。化野が地図を見ている間に、水も汲み上げてきてくれた。

「親切だな、随分」
「なぁに、蟲師さんはいい情報もくれる。仲良くしといて損はねぇってね。それで旦那、煙草は? 切らしたら大変なんじゃあ?」
「切らしたら?」

 化野は何気ないふうを装って問い返した。するとほんの少し声を潜めて店主は言ったのである。

「もしも寄せる体質だったらね、人によって程度は違えど、蟲が山ほど集まって、それがもしも悪い蟲なら…ってんでしょ。難儀だよねぇ。正直、アタシは見えないんで、寄せててもわかりゃしませんがね?」

 その話をもっと聞きたいような、それと同時に、これ以上聞くのが怖いような心地がした。相槌も打たずにいる彼を、店主はどう思っただろうか。化野は地図をひとつ選び、食べ物の分と共にきちりと金を払う。店主は羽振りのいい客だと喜んでいるようだった。

「へへ、そしたら旦那、近くへ来たらまた寄って下さいよ」

 化野は店を出てすぐ、地図に色々と書き込みをした。まだはっきりと覚えている、ギンコと通った道のすべて。自分の里の場所、フチの家、ソウ太の店の場所。

 再び歩き始めた化野は、雪混じりの強い風を浴びて、襟巻を口元まで引き上げた。さっきの店のものの言う通り、沁みついている蟲煙草の匂いが香る。それと同時にギンコの血の匂いを思い出し、自分を殴りつけたいような衝動を感じた。

 酷い怪我をさせた。なのにろくな手当てをしなかった。あんなに血の匂いがして、あんなに痛そうにしていたのに。自分で手当てしたというギンコの言葉を真に受けた。それでも医家か、と化野は心の中で自分を罵る。

 急がねばならない、一刻も早く追い付いて、捕まえて、手当てを。途中で何処か医家に寄って手当てしているかもしれないが、それならそれでいい。けれどギンコは、そうしていないだろうと、どうしてか思った。

「くそっ」

 なんで俺は里に戻った。そんなふうに化野は思う。里の迎えなど待たずに、すぐに彼を追い掛けるべきだった。そうしたら今頃は追い付いて。でも済んだことは仕方がない。お陰で追い掛けていく準備はすっかり整っている。化野は歩む足を速めて、ギンコと歩いた道を辿っていくのだった。

 彼は出会う人に時々聞いた。白い髪の若い男を見なかったか。珍しい洋装をしていて、木で出来た箱を背負っている。見掛けたという返事を何度も聞いて、じきに追い付けると化野は喜んだ。けれど、目的の場所までの道のりを半分過ぎた頃、ふっつりとそれが途切れた。

 分かれ道は幾つもある。ギンコはフチの家に向かっている筈だが、道はひとつじゃないから、ずっと追いかけていけるとは限らない。迷って、迷って、結局化野は予定通りの道を行った。探していることを悟られない方がいい、知られたらきっとあいつは、また逃げる。

 何故逃げるんだ。教えてくれ、ギンコ。あの言葉の意味も。
 
『俺のせいで、お前が不幸にならないように』

 そして化野はさらに、歩いた。ぐっと寒くなった冬の最中だ。野宿などは出来る筈もなく、安宿を選んで泊まりながら、時には民家の土間を借りたりもして、旅の日々を、前へと進むことだけに費やした。

 けれど、ようやく辿り着いたその家の雨戸は、ぴったりと閉ざされていたのだ。戸を叩いて呼び掛けても返事は無い。勝手口へと回り低い窓から中を覗いたが、誰も居ないようだった。留守にしているのではなく、此処はもう空き家なのだと化野は思った。フチやシオや、オキが暮らしている筈の家。

「何処へ行った…?」

 化野は少しの間立ち竦んでいたが、すぐにその家に背を向けて、細い小路をもう一度通った。ここまで来たら、次の目的地もすぐだ。ソウ太に聞けば、フチたちのことも分かるかもしれない。気は急くけれど、しっかりと地面を踏み締めて彼は歩く。

 離れた時と同じに活気のある街へ、彼は脚を踏み入れる。そして一番に目に入ったのは、客引きをするアユの姿。彼女は調子よく客を呼ばわる。

「さあさ、そこの旅のお人、体にいい薬茶を振る舞ってるよぉっ。あったかい美味しいお茶だよっ」

 そしてその足元にくっついて、口上を真似ている小さな子供。

「あったかい、おいしい、おちゃ」

 シオだった。ほんの少し経っただけなのに、随分大きくなったように見える。びっくりして足を止めている化野の傍に、シオは走ってきて彼を見上げて、そして目をまあるく見開いた。

「…おちゃ……」

 驚いたままの顔で、言おうとしていたのだろう言葉を途切れさせ、けれど縋りついたりすることはなく、シオはアユの方へと走って戻っていく。シオに袖を引っ張られ、その時相手をしていた旅人のことなど忘れたふうに、アユは大声を張り上げた。

「あれまぁっ! ほんっとに戻ってきたんだねえ!」
「アユさん」
「あぁ、アユだともっ。そしてこっちはシオちゃんさ。店の奥にフチさんもいるよ。ソウ太とオキさんは行商に行ってるけどねぇ」

 がっしりと腕を掴まれて、引きずるように連れて行かれた。そうして化野は店の奥で、フチと引き合わされる。
 
「…化野さん」

 フチは、一瞬ためらったのち、かぶっていた手拭いを髪から外し、真っ直ぐに化野を見た。

「ご無事で、なにより、です」

 一言一言を区切りながら、はっきりと彼女は言った。あんた、と呼んでいたことはもう過去なのだと、化野に伝えるように。目を伏せがちにせずに彼を見る眼差しは真っすぐで、変わらず顔にある痣は、なんだか随分、薄れて見えた。 

「……あぁ。ありがとう…。その、驚いた。立派に、なった」
「え? あ、シオですか。あの子ったらアユさんに可愛がられて、旅の人の話を聞くのが大好きになって。自分じゃもう、立派なお客引きをしてるつもりなんですよ」

 シオのことを言ったわけではなかったが、フチはそう思ったようだった。彼女の手元には薬研や擂鉢などの道具。そして、化野が此処に置いて行った薬作りの書付の束。

「薬作りを、してるのかい…?」
「えぇ。今はここに住まわせて貰って、働いています。化野さんの書いた覚書、分かり易いし。私、ずっとあなたの仕事を、見てましたから」
「そういや、手伝って貰ったこともあったなぁ、フチは…フチ、さんは手先が器用で、あの時は驚いた。俺よりいい薬を作れそうだと思ったものだったよ」
「まだまだだけど、きっとそうなるつもりです」

 挑む眼差しに似て、フチは言う。別人のようだとまた化野は思った。彼の妻だったフチは、もう居ないのだ。生活の足しに、少しばかりだが支援をと思っていた金の包みは必要ないだろうし、きっと渡しても断られる。

「薬茶も、作っているのかい?」

 化野はそう聞いて、それを出して貰えるようにフチに頼んだ。入れてくると言って、フチが其処を離れた時、彼女のしていた仕事の様を化野はまじまじと眺めた。薬研の中の薬の細かいこと、薬草の余分な部位を取り除く手仕事の、驚くほどの丁寧さ。諸々の道具の清潔であること。

「フチさんはあんた以上の薬師になるよ。お兄さんのオキさんは、随分遠くまで得意先を持っててね、うちの薬を売ってくれてて、近場には今まで通り弟が行ってる。ソウ太もしっかりしてきた。オキさんに負けてらんないって言ってね。お陰でうちは大繁盛、あたしは誰に感謝したらいいんだろうねえ、化野さん。あんたに? それとも、あんたを探しに来たギンコさんに? そうそう、シオちゃんも、物怖じしなくて可愛くて、ここらのみんなの癒しさね」

 アユのよく通る声が聞こえたのだろう、店先で「呼び込み」をしていたシオが、ぴんと背中を伸ばした。いたみどめー。きずぐすりー。はらぐすりー。などと、ますます声を大きくして「仕事」に励んでいる。

「実は、また此処で人を待たせて貰いたいと思ってきたんだ。でも、フチが居るんなら、薬師はもう要らないだろうなぁ」
「…人、って。もしかしてギンコさん?」
「うん、嫌われたんだかなんだか知らないが、逃げられてしまってな」
「逃げられて? 話を聞きゃああんたらって、なんだか変だよねえ」

 ふ、と化野は視線を流す。ギンコのことはきっとソウ太にいろいろ聞いているのだろう。アユは呆れたように溜息をひとつ吐いて、詳しくは聞こうとしなかった。

「そうだね、うちの新しい薬師はびっくりするほど頑張り屋でねぇ。物置から先代の頃の覚書を引っ張り出して来て、いつも勉強してるんだ。なんなら一緒にそれを読み解いてくれるってのはどうだい?」

 なにせ先代は達筆でさ、とアユはカラカラと笑った。台所から戻っていたフチは、茶を差し出しながらも頷いている。その日から化野はまた、アユたちの家に厄介になることになった。フチと一緒に薬作りを試行錯誤し、アユやシオと一緒に飯を食い、寝起きする。

 五日もするとソウ太が来て、これまでの話をいろいろ聞きたがったが、化野は度々口を濁して黙り込んだ。そして、その翌日の午後、一通の手紙が届けられた。遠くへ行商に行っているオキからで、明日には戻ると書いてあったようだった。

「化野さん」

 手紙を畳んで膝の上に置いて、フチは静かに言ったのだ。

「化野さんのことは、手紙で知らせてありますから、兄に詫びたりしないでくださいね。このことは、私と化野さんのことだし、それに、あなたが兄に重ねて詫びたりしたら、私もどうしていいかわからない」
「……」
「私はもう、あの時の私じゃない。化野さんとのことがあったからこそ、こうして強くなれた。私、明日からこの顔を隠さずに店先に出て、お客さんの相手をしながら、兄を出迎えるつもりです」

 強い私には、顔を隠して猫背でいる姿は似合わない。日の当たらない、店の奥に隠れたままでいるのも似合わない。だから。

「弱かった私を置き去りにした時のこと、詫びて欲しくない」

 化野は深く頷いて、店先から聞こえるシオの元気な声に耳を澄ませた。

「分かったよ。シオも、明るくて強い子だ。フチさんに似たんだ、きっと」
「えぇ、ありがとう」

 笑ってお礼を言ってから、フチは二つに折った紙を、畳の上に置き、化野の方へと滑らせた。

「私からは、お詫びしたいことがあります。夫なんだって嘘をついていたことの他に、もう一つ。海で見つけた時、貴方が身に着けていたものです。きっととても、大切なもの」

 手に取り、開く前に何故か、化野の指は震えた。














 今回は話はわりと進んだけど、急ぎ過ぎてる気がして…。そうでもない? ギンコが全く出てこなくて、淋しいような気がしましたが、次回は絶対出ますので! やっと再会しなりますので! …そういやこの話で三度目の再会になるのよね。

 そうかっ、三度目の正直かっっっ。てな! ではまた次回。


2022.07.31