ユ キ ツ ゲ 1
冬は辛い。
風は寒いし、雪は冷たいし、夜が長すぎて、冬は辛い。
それに淋しい。あんまり淋しくて、堪らなくなる。
そんな冬は、まだ始まったばかりだ。
まだ十二月にもならないというのに、今年の冬は随分と寒さが厳しい。
雪が降る前にいつも使っている小さな火鉢では、とても凌ぎ切れなくて、真冬用の大き目の火鉢を出しに、化野は蔵へと向かった。もう夕餉の片付けも終えた頃で、外は真っ暗。明るいうちに出して置けばよかったものを、何やらだるくて億劫がっているうちに、こんな時間になってしまった。
綿入れを着て首をすくめたまま、化野は蔵の扉を開ける。当然中は暗がりだから、火を入れた行燈を前に差し出し、丸く広がる灯りの内に、少し大きな火鉢の姿が見えてこないかと目を凝らした。
秋口に、手前の方へ出して置いた記憶があるから、そう奥まで照らさずとも見える筈。そろり、と一歩中へ進んだが、まだ火鉢は見えない。もしかしたら、邪魔にならないようにと、階段の陰へ引っ込めておいただろうか。
また一歩を踏み出した時、ガタ、と片足の先が何かを蹴った。ついで何かが落ちたような音がする。驚いて中腰になった途端、どうした加減でか行燈の灯が消えてしまった。今夜は空に月もなく、開いたままの蔵の扉から入ってくる明かりは無い。深淵といってもいいような闇が、化野の身を包んだ。
「あー、こりゃ、見えんな…」
行燈に火を入れ直してもう一度来るか、それとも今夜は、布団を二重に掛けて、体を丸めて寝てしまおうか。どちらかと言えば、後者に気持ちが傾いた。ものの落ちたような音は少々気になったが、それも夜が明けてから見に来よう。
火が消えたばかりで、まだ温かい行燈を抱き込むようにして、扉への方へ向き直る寸前、ちか、と蔵の奥の方で何かが光った。小さな光だったが、思わず目を凝らした化野の視線の先で、またその光が、ちか、ちかり、と。
「なんだ? 何かに光が反射して…?」
違う。そんな筈はない。外から差す明るさすらもない、こんな深い闇の中、行燈の灯だって消えたままなのに、いったいなんの光が何に反射するというのか。それにあれは、猫やネズミの目が光るのとも違う。もっと…なんというのか、もっと綺麗な…。
じっと闇の中を見据える化野の目に、またその光が映った。色味は温かさの欠片もない銀の色。炎の色とは正反対のその。
ちか、ちか、ちかり、と。
一つだった光が、見つめている視線の先で幾つもに増えて、その光は、不思議な星の瞬きのようにも見えてくる。そして段々と、その光るものが大きく、はっきりと見えるようになっていく。
なんて綺麗なんだろう。
一つ一つが、何かの模様のようで、
それが、ちかちか、光りながら、
少しずつ緩やかに回っている。
きらきら、きらきらと美しい。
そういえば、何だかどこかでこれを、
見たことがありはしないか…
化野は暗がりに一人立ったまま、ぼんやりとそれを見つめ続けていた。それらは、化野の視線の先を埋め尽くすほどに数を増やし、黒い闇の中で銀色に光りながら、それぞれが同じ、六角の形の花のような…。
「あぁ、雪…。雪だ」
闇の中に白い息を吐いて、化野はそう呟いていた。冬がきて、雪が降るようになると、春までの間に一度か二度見ることができる、美しい雪の姿。綿入れの袖にふわりとのった、その小さな欠片。目を凝らしてやっと見えるのは、細かな白い枝を、放射状に綺麗に伸ばした、氷の花のような、六角の雪の結晶。
今、化野が見ているものは、その純白の雪の結晶を、もっと大きくして、それをきらきらと静かに煌めかせたような姿をしている。
「なんて…綺麗な…」
翌朝、化野は熱を出して布団にくるまっていた。火の気などない蔵の中に、何時間も居続けたせいだ。化野はあれからずっとああして立ち竦んでいて、東の空が白み始める頃になって、やっと部屋へと戻ってきたのだ。
開けたままの蔵の扉から、夜明けの前の淡い日差しが差し込んで、黒い闇が消えて無くなると、あの美しいものたちは光に溶けるように姿を消してしまった。そして体の芯まですっかり冷やした、風邪ひきの化野がそこに残された。
解熱の薬を飲んで、布団に潜り込んで、化野はぼんやりと天井を見上げながら思っている。
あれはいったい、なんだったのか。朝の光の中で、蔵の奥をよく確かめたが、そこに光を放つようなものも、光を反射するようなものも見つからなかった。ギンコから買い取った蟲絡み「らしき」ものどもは、別の棚にまとめてあって、そこにはなんの変化も異常もなく…。
結局は、風邪で熱があって、幻のようなものを見ただけなのか。いやいや、こんなのはただの微熱で、幻覚を見るほどの高熱じゃない。
よく分からないが、ふみは、書くとしよう。熱が引いて元気になったら、見たものを詳しく書いて、ギンコにふみを出そう。今は冬の始まりで、春まで来る気はないだろうが…。
化野が寝込んでいるのに気付いて、近くの家のものが粥を作ってくれた。それを飲んでまた薬を飲むと、いい具合に体が温まって眠くなった。隣家のものが帰って行き、化野はうつらうつらとし始め、やがては静かな寝息を立て出した。
瞼を伏せると、閉じた瞼の中はむら一つ無い闇の色。その黒い闇の中に、ちかちか、ちかちかと、またあの光が見え始める。眠りの縁から引き戻されて、化野は目を見開いた。
今のはなんだ。夢か。それとも、夕べのことを思い出しているだけのことか。目を開けていれば見えない。けれど目を閉じると、暗がりになった瞼の裏に、小さな光の粒が灯り、それがだんだんと数を増やし、大きさを増していくのだ。眩しくて、とても眠れたものではなかった。
熱があって辛かったが、化野は起き上がってふみを書いた。そのまま綿入れを着て外へ出て、隣家に顔を出して、ふみを託した。なんでふらふら出歩いているのかと叱られながら、支えられて家へと戻り、布団に押し込まれたけれど、眠れるとは思えない。
俺は、もしかしたら蟲に憑かれているのか?
蟲がいるのか、俺の、この目の中に…。
カタカタカタ、カタカタ。
木箱の中に、ふみの届いた音が響いた。何か依頼かと思って吹きさらしの道から脇へと逸れ、大木の陰で風を避けながら、虚繭の中の小さな紙切れを引っ張り出す。ふみには短くこれだけが書いてあった。
例のの医家から
『蟲に憑かれた』らしき、ふみ在り。
眠れず、難儀の様子、急ぎ一報す
ギンコは短く溜息をついた。いつものことだが、化野のふみは少々長い。繭に詰めるにしても、虚に運ばせるにしても、紙の大きさや量が多過ぎるのだ。だからあの男からのふみがあると、虚守がふみを開き、気を利かせて要件を短く記し、こうしてギンコへと伝えてくれるのだ。
「ったく、何度言っても長ぇふみ、ってわけか、化野」
呆れたようにそう言いながら、ギンコは繭を竹筒に戻し、木箱の抽斗に戻し、箱の中身をガタつかせながらそれを背負い直した。雪深い道は、急ぐ旅には随分と厳しい。化野の元へと着くまで、ここから何日掛かるものか。
「無理でも眠れよ、化野、でないと参っちまうぞ」
そう呟くギンコは、寝る間も惜しむ覚悟を決めていた。
続
殆どギンコが出なかった。ユキツゲ、綺麗に書けてるでしょうか。図書館で借りた雪の結晶の写真集は、とっても綺麗で幻想的でしたよ。あれが自然に出来た造形だなんて! なんという、なんという…っ!
ここ北海道(道南)でも、まだ雪の便りは届きませんが、この話は雪が降る頃まで続いているかしらんー。それにしても、またやってしまった「ラスト考えずに出発ノベル」。いつものことか。
頑張りますV
12/11/05
