現の夢 2
もうどれだけ時間が経っただろう、化野はそう思っていた。時間の経過がよく判らない。不思議と腹は減らないのだが、何も出来ないでいるのが辛かった。
時期からして、そろそろお前がくる頃だ。
もし、留守にしている家を見て、
里のどこにも俺がいないと気付いたら、
お前はどう思うんだろうな…?
ギンコ…。俺はここだぞ。
彼の見られる風景は、草と木々の生えた山の景色と、目の前の細い道だけだ。人は通るが大抵は余所からくる旅人ばかりで、里のものはあまり通らない。通ったとしても、こちらの声も聞こえず、姿も見えないのでは意味はないが。
いつ出られるのだろう。腹は空かないとしても、このままではいつか死ぬのだろうと思えて、考えるとおかしくなりそうだったから、そのことはあまり考えないようにしている。思い悩まぬ為にも、道をゆく人の姿が恋しくて、ずっと目を凝らしているうちに、化野は疲れて少し眠ったらしい。
『もう少し早く歩けませんかね…?』
頭の中で、そんな声がした。目を開けると、道を数十人の人の列が通っていた。こんな田舎に珍しい。今、目の前にいるのは列の後ろの方らしい。声はそこで立ち止まっている、一人の従者の男の声らしかった。従者と言えど、着ているものは中々立派で、この列自体が裕福な一団だと分かる。
『……申し訳、ありません…』
『とにかく、もう少し早く歩いてくれませんと、また前の列から遅れて…』
話しかけられていたのは十一、二歳くらいの子供だった。子供は二人いる。しかも、同じ顔が二人。
『待って! 東雲は昨夜から少し熱がある、無理させないで』
その声を聞いて、思わず化野は目の前の見えない壁に取り縋っていた。
東雲だと…?
あぁ、そうだ。あれは…俺だ…。
そして俺が庇ったのが、弟の東雲。
『父上に…っ。いえ、お主様に言って下さい! 兄上たちの乗ってる輿に、今日だけ東雲も…っ』
『馬鹿を言わないで下さいよ、そんなことを言ったら俺の首が飛んじまう。とにかく遅れないでついていかないと…』
『…じゃあ、俺が負ぶうならいいんだろっ!』
そう言って、膝をつく幼い自分。化野は思い出していた。これは過去だ。疲れたせいで見ている夢だとか、幻なんかではない。つまり、今見ている風景は、時間まで遠く遥かな過去に戻った、昔のこの場所。幼い化野は、弟の東雲を負ぶった。そうして列に遅れないように、よろよろと道を歩いた。
何度も何度もその耳元で、東雲が詫びていた声が、耳に蘇ってくる。この場所を通った記憶はなかったが、こうして見える以上、これは確かに過去にあったことなのだろう。
自分と弟を含めた列は行き過ぎていき、化野の見ている風景は、今度はいつの間にか冬になった。真っ白く雪に覆われた中を、ぽつん、と一人の子供が歩いてくる。また子供だ、そう化野は思って、それから段々と近付いてきた姿に、息を止めた。
…ギンコ……。
ギンコだ…。
白い髪、白い着物。真冬だというのに、足袋もはかない素足で、古びた下駄をはいて、寒さのせいで、足の指が真っ赤になっていた。年のころは十四か十五か、一人だけで、傍には誰の姿もない。疲れているのか、それとも空腹なのか、ふらついて頼りなく、それでも足を止めずに行ってしまう。
お前、こんな辛い旅をしてたんだな…。真冬なのに、着物の一枚を譲ってくれる人もいないのだろうか。誰か他の旅人が、一緒に歩いてくれることもないのか。それとも、あの「なり」では、それも無理なことなのかも知れぬ。
確かにここでこうして見ているのに、時間を遥かに隔てていて、今いる場所から、一歩も動けないままの化野が、子供のギンコにしてやれることはない。仕方ないと分かっているが、それでも酷く辛かった。
ギンコが道を行き過ぎて、後姿の見えなくなるまで、化野は目を凝らして、彼をずっと見つめている。もしかして、ここで自分が死ぬのなら、今見たギンコの姿で、彼を見るのが見納めかもしれないと、ふと思う。
「あぁ…会いたいなぁ…。ギンコ…」
もしも声が届かなくても、この道をゆく姿をみるだけなのだとしても。なぁ、俺はお前の子供のころの姿を見たぞ。なんだか辛かったのだが、それでも見れるはずも無いのに、この目で見れたのは嬉しかったよ。また見れないかなぁ、別の頃のお前が。あまり、辛い姿じゃないといい…。
それからも化野は、道を通る色んな人々を見た。知らぬ姿も多い。時々は見知った行商人とか、里のものとか、自分自身の時もあった。最近のことだったから、隣の里に薬を分けてもらいにいった時の姿だと、はっきり思い出せた。
見えている風景も、ころころと移り変わる。真冬や春、初夏に秋。雨の日や風の強い日や、木漏れ日までが眩しい晴れた日…。
そして化野は、またギンコの姿を見た。今度は大人のギンコだった。服装と景色から、冬へと向かう秋だと分かる。ギンコはすたすたと速足に道へやってきて、こんなことではすぐに視野からいなくなってしまう、と、化野が悲しい思いを仕掛けたその時に。
彼は立ち止まって、里の方へと体を向けた。それから随分長いこと、ギンコはそこに立っていた。真剣な目をして、何かに思い悩むような顔だ。そして彼は懐から何かを取り出し、それをじっと見つめていた。
化野はまた目を凝らし、ギンコが何を手にしているのか見ようとして、やっと見えたそれに……。
「ギンコ…。そんな、思い悩むようなことじゃないだろう…?」
ギンコが手にしているのは、化野のやった守り袋だった。小さな袋の中身は、海辺で拾った少し綺麗なだけのただの石だが、それを拾ってから次にギンコに会うまで、一生懸命にそれへ願いを込めたのを覚えている。渡す時は、こう言った。
…お前がまた、ちゃんとここへ戻れるように。
俺はお前が来るのを、ずっと待っているからな…
迷惑、だっただろうか…。そう思ってしまいそうな化野の見ている前で、守り袋を握ったギンコの手が、そっと口元へ動いて…。ギンコは化野のやったお守りに、目を閉じて口付けを落としていたのだ。
自分のしたことを恥じるように、ギンコはまた体の向きを変えると、今度は走るような速さで歩き出し、遠ざかっていってしまった。化野の胸の鼓動が強くて速い。あの守り袋をやったのは、何年も前のことだが、まだギンコがあれを持っているのを、ついこの間、化野は見た。
木箱の奥の隅っこに入っていたそれを、あぁ、こんなとこに、などと、忘れていたように言っていたギンコだったのに、新しいのをやろうか、と彼が言ったら、返事もせずに懐の奥深くへ入れたっけ。
冗談じゃないぞ、と、唐突に化野は思った。
強く思った。思い過ぎて、胸の痛いくらいに。
こんなとこから出られないで、人生終わりで堪るものか。まだまだしたいことがある、やりたいことがある、言いたいこともあるのだ。いつか出られたとして、もしも出られる前に、ギンコが一度でもこの里へ来ていたら、それは一回会い損なうということじゃないか。本当に冗談じゃない。勿体無い。
上と横は試したが、考えてみたら下をどうにかできないかとやってみてはいなかった。つまり地面だ。掘れないだろうか。化野は狭い空間で地面を探ってみた。それほど土が固くない気がする。素手で掘るのは指が痛かったけれど、もうそんなことに構える気分でもなかった。
無理にでも少し掘り進んで、そうしたら何か石のような硬いものに手が触れたのだ。よく見るとそれは真っ黒い石だった。闇を固めたように、艶の無い黒い石。
これか! そう思って土の中から取り出した。その途端、いきなり世界が開けていた。手の中の黒い石は、生き物みたいに逃げていった。
続
我ながら、なんだろう、この話は、と思っています。こんなにタイトルが大袈裟なのもないな! どうもすみません。見せ場をつくりたいと思って書いてたのに、見せ場はどうやら地味に終わったようです。あるぇ…? たぶん次回で終わりです。うん、たぶんー。
化野先生は筒状のものに閉じ込められていたらしく…。えっ、化野の缶詰?! 非常用にお一ついかが? ギンコとセットで詰めておきますか? 狭いので抱擁しているしかなさそうですがww
馬鹿ばっかり言ってる惑い星でしたー。
11/09/11
