終の夜語り
tsui-no-yogatari



… 2




『もし、少し話を伺いたいが、白い髪した、蟲師を名乗る男をご存知か。ここは随分「蟲」が多い。あまりに多くて、病を呼ぶほど』


『「蟲」のせいで里長のお孫が死にかけた。あわや間に合わぬところ、考えるだに恐ろしい。時折訪れる、その蟲師のことならば、くれぐれも頼りになどはせぬがいい。来させぬ方が里の為』


『このままにしては、やがて野山も田畑も、海にも無論、潜むようになり、「蟲」のみより住めぬ土地となろうに。何故、その蟲師は…』


『我が身を災いと知りながら知らぬ振りして、白い髪の蟲師は、良くない蟲を寄せながら、今まで何度ここへ来たのか』


『聞けば、この里の医家の先生は、白髪の蟲師と随分親しくしていたそうで、里の皆が知らぬことも知っていたのでは』


『長は、これまでのことで、医家の先生を咎めておられる。白髪のその蟲師は、もうこの里に二度とは入れさせぬ、と。そのような話を、たった今』



 聞きたいことがある体を装いながら、男は里人の何人もにその話をしてゆく。野良仕事の夫婦、浜から戻ってくる漁師達、庭の洗濯物を取り込む女、薪を割っている男にも、縁側の日向で休む年寄りにも。

 長く話し込むことはせず、興味を引くように、疑いを呼ぶように、不安を煽るように、少しずつ…。丁寧な物腰で物静かに、酷く同情でもしているふうな顔でいて、少しでも話が長引きそうになると、長には全てをお話した、などと言って話を畳んだ。

 里人は皆、不安に思い、とにかく誰かと話をせねばと、ところどころで何人かずつ集まって、自分の聞いた話を皆で伝え合った。するとその男の言うことが、はっきりと形をもって里人の心に迫ってきたのだ。

 白髪の蟲師。勿論知っている。
 先生のところに時々来る。ギンコと言う名だ。
 そのギンコさんが一体、なんだって…? 
 災い? 蟲を寄せる?
 長の孫が、あわや死にかけて?

 先生は今まで、
 知ってて、黙って…。
 
 
 その時、青い顔をして、里長の家から出てくる化野の姿。そこらにいた皆は、一斉に彼の顔を見た。化野は里人たちの眼差しに気付いて、どこか痛いような顔をした。けれど、何も言わずに、ただ一つだけを聞いた。

「今、長の家から出て来た男は、どっちに…?」
「え…っ?」

 視線の合った女は、狼狽えたように声を詰まらせる。

「教えてくれ。…頼む」
「あ、あぁ…あっちに…」

 女は山の方を指さした。辛そうな顔をして走り出した化野の姿を、そこにいた皆は無言で見送ったのだった。彼の姿が見えなくなってから、誰かが最初にぽつりと言った。

「先生、随分顔色、悪かったね」

 その声が聞こえた皆は頷いた。そして集まったもの同士、ぽつりぽつりと言葉を交わした。歯切れの悪い物言いばかりだ。

「…そりゃ、お前、やっぱり後ろめたい、とか…」
「さっきの旅の人が言ってたことで、かい?」
「ん、まぁだって、あれが本当だったんなら、とんでもないよ」
「うん。里長んとこの孫さん助かってよかったが、間に合わなかったら」

 ぶる、と皆は身を震わせた。里長の孫がどんなふうに蟲患いになったのか、ここにいる誰も見てはいなかったが、硯に潜んでいた蟲のせいで、子供が死にかけたことは、里のものならよく覚えている。

「な、なぁ? 今だって、蟲がここらに凄ぇ数いるって言ってたぞ。ギンコさんがもしもそれを見て知ってたって、黙ってられたら、俺ら、ずっと知らねぇまんまで」
「だとしたら、だよ? わたしらのこの里、蟲に取られっちまうのかい?」
「死んじまうような病気になるのか…?」
「…こわい」
「困るぞ、そんなの…!」

「………」

 暫し、皆は黙った。そこに集まっていたのは最初三、四人だったが、ふと気付けば増えて、十人ほどが集まっていた。見回せば少し離れた場所でもぽつんぽつんと固まって、立ち話している里のものの姿が見える。話題は恐らく、皆同じだと察しがついた。

「長んとこ、行こう」
「そうだ、長に頼んどこう。里を滅ぼさん為に、これからどうすりゃいいのか、聞こう…!」
「あたしらの里が、蟲だかなんだかに取られてたまるかいね」

 同意の声が揃ったところへ、後ろの方から声がしたのだ。震えるような小さな声だったが、誰も気付かないので、声はそれでも段々大きくなった。

「…待って…。おかしかないかい? ねぇっ、て、待ってよ…!」

 必死のその声に、皆は一斉にそちらを振り向く。

「ちょっとでいいから、聞いてよ。さっきから、みんな曖昧な言い方ばっかりじゃないか。本当ならとか、もしも、とか」
「けど怖いだろうがっ。病気になるのも死ぬのもッ」
「勿論、あたしだって怖いよ。でも、あたしんとこの子を助けてくれたのはギンコさんなんだよ…っ」

 見れば、皆に異を唱えているのは、硯の件で病を患った子供の母親である。それと知って、別のものが気の毒そうに言った。

「…あぁ…そうだけど、でもそのこと、俺、さっきの人に言ったら、それだって元々はギンコさんが寄せた蟲かも知れないって、そう言われ…」
「ほら、また! かもしれない、ってっ。はっきりしたことなんか、一つもないのに、皆の目には、前からギンコさんがそんな人に見えてたっていうの?! 先生の事も疑うのかいっ?」

「……」

 誰もがまた暫し黙った。皆の脳裏に浮かんでいるのは、化野の姿と、ギンコの姿。元々はこの里のものではなかったが、もう何年もこの里に住んで医家をしてくれている化野のことを、本当は誰も疑いたくなどなかった。それに…。

「関係ないかもしれないけど、俺、さぁ…」

 言い難そうに、ある若い男が言ったのだ。

「あんとき、降ってきたでっかい霰で、みんな家の屋根壊れちまったろ? でさ、俺んとこ特に酷くて、直してもらう前に雨漏りとかしてきそうで」

 何を言い出すのかと皆不審な顔をしながら、そういやそうだったと思い出している。

「旅に戻るとこだったギンコさんが、わざわざ足ぃ止めて、俺が屋根直してんの手伝ってくれたんだよなぁ。ほら俺、手先器用じゃないだろ? いろいろ下手やってたもんで」
「あ、それ覚えてる。隣だからあんたとギンコさんに、握り飯持ってったら、あの人、すっごい遠慮して困り果ててさ、別に好きでやっただけだから、って…」

 それを聞いた誰かが、ぷ、と小さく吹き出した。

「わかる、なんかあの人、ぶっきらぼうだけど照れ屋みたいなさ」

 聞いた何人かが、思い当たるような顔をする。殆ど、化野以外とは親しくならないギンコだけれど、彼が里に来るようになってから、もう随分になるのだ。そうやって思い出しさえすれば、ギンコと言葉を交わしたことのあるものは沢山いた。彼がどんな人間なのか、それだけでも少しは分かる筈だった。

 少なくとも、さっきの男の言うような、ただただ身勝手な人間なのかどうかくらいは…。

 何か憑き物でも落ちたように、皆、一様に肩の力を抜いた。そしてまた、真摯な声で誰かが言ったのだ。それはさっきと同じような言葉だったが、響きははっきりと違っていた。

「長に話、しにいこう」
「あぁ。それに、何があったのかちゃんと聞こう。聞かねぇうちから疑うだなんてな、馬鹿をやっちまうとこだった」




 眩暈が、していた。

 里人の眼差しが、何を意味するのかが、一瞬で分かって、確かにあの時、俺は誰かを激しく憎んだ。

「どうして」と、たった四文字が尽きもせずに脳裏で回り続けている。どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどう……。その「どうして」の下から、泣きながら痛みながら、想いが浮いてくる。

 あれほど
 
 あれほど、ほんの僅かしか、
 望まぬものを、
 それすら取り上げるのか…?
 誰が。
 いったい、誰が。

 教えられた通り、山に一歩を踏み入って、枯れた枝の先で頬を掻く。痛みで我に返った。憎むことなど、ない。その分、ギンコを守ることに全てを使え、化野。人は誰しも弱いものだ。恐ろしいものには恐怖を抱く。見えぬのなら、尚更。

 でも、あぁ、でも、
 それでお前が来られぬ里になるなら、
 俺は…。

 思い浮かんだお前の顔を、悲しく見つめたその時に、遠くの視野を、あの男の姿がよぎった。男は立ち止まり真っ直ぐに俺の方を眺めて、少し、笑ったように思えた。

 






 

  
 

 里人のターンが長すぎる。てゆーか、本当に君ら、疑い過ぎっ。化野にかわって刺すぞ、このヤロウっ。そんな里人のせいwで、化野がちょっとしか出てません…。とってもとっても残念ですー。急いで続きを書きたい衝動に駆られるが、予定も用事もいっぱいっ。だれか一日を30時間にしてくれ!

 次回はなんと化野が…っ。


12/12/22