生 青 花 - sei sei ka - 4
「連れ歩くって、どこへ…?」
化野はなんとなく小声になりながらそう聞いた。ちら、と閉じた襖を見やって、ギンコも静かに返事をする。
「お蔭さんで、怪我の治療もしっかり出来たしな。どうしてもこの人に会いたいっていう人がいるんだ。それが今回の依頼主だよ」
「もしや、彼女の夫」
一番に会いたがっている人なら、夫か子供。そう思って聞いたのだろう。だが、ギンコは軽く肩をすくめて見せた。
「万に一つも、それは無ぇ」
「そう、なのか?」
「あぁ…。あの人に会いたがっているのは、彼女の子孫『きしゃご』にあたる人だ。何しろ、事の始まりはもう…どのくらい前になるもんか。ちょいと古い話だからな」
きしゃご…。それは一体、何だったか。暫し考え、思い当たって化野は眉を顰める。きしゃごは「来孫」。つまり曾孫の孫に当たるのだ。言葉をなくしている化野に気付いて、ギンコはもう一度肩をすくめる。まなざしが酷く静かで、冷たい程に静かで、言葉は淡々としていた。
「彼女に憑いた蟲は、随分長命の蟲のようだから、憑かれた彼女にとっては恐らく、数十年すらたったの数週間…なんじゃねぇのかと思うんだ。だから…」
だからもしかしたら、彼女はまだ、子供を探すことを諦め切れていないのかもしれない。夫はもちろん、その子供だってずっと昔に死んでるのに、彼女はそれすら知りようがない。だから止まったようにゆっくりと過ぎる時間の中、これからもきっと彼女は。
「…どうして」
化野が零れるようにそう言った。
「どうして、その曾孫の孫とやらは、彼女に会おうとしているんだ? 会えば彼女はすべてを知ることになるんじゃないのか? だったら、このままの方が」
「さぁ、な。そこまで突っ込んで聞く権利は、俺にはねぇし。このままがいいのかどうか、それも俺には分からねぇしな」
人ならざる者になってまで、迷子の子供を探し求める女。その身が蟲になりかけているせいで、体はいつまでも朽ちてはいかず、その分、心は少しずつ朽ちていき、今はたぶん我が子の事も、ほんの時々思い出すだけになって。それでも彼女は…淋しそうな姿で。
「俺は、反対だ」
「なんで」
「なんで? 可哀想だと思わないのか!」
「何が」
「ギンコ…っ」
大きな声を出すなよ、とギンコはやんわりと言った。
「治療してもらったのは恩に着るが、お前には結局、関係のない話だろ。当事者でもないし、関わるよう依頼された立場でもない」
言葉にしては言わなかったが、ギンコはあることを思い出していた。今とは真逆の立場で、自分は「生かす」ことを、化野はそのまま「見送る」ことを良しとした、あの時のことを。そう、恐らくは彼女は、事実を知ったら死ぬのだ。蟲に生かされたままで、肉体は生き続けるかもしれないが、探し求めていたものを失った時、人としての心はきっと、死んでしまう。
その時、ことこと、と木箱の中で音が鳴った。ギンコはあえてそちらへ視線を向けず、化野の顔を眺めて小さく詫びた。
「すまん、きつく言い過ぎたか。お前の気持ちも、分からなくはねぇさ」
そしてギンコは木箱の中から、手のひらに収まる大きさの竹筒を取り出す。それには何が入っているのか、化野もすでに知っていた。文が来たのだ。誰からかは知らない。
「彼女の怪我を診てくるよ」
化野は彼女のいる部屋へ入って行った。中からはやんわりと穏やかに話しかける声が聞こえてくる。化野という男は、患者の身に何かが迫っていようと、それを態度や顔に出すような医者じゃない。出来ることをするだけだ。しっかりとした声で、そう呟く化野の声が聞こえてくるようだった。
ゆらり、ゆらりと森の奥
白い、青い、花一輪
人の心はそろそろ消える
声無き声も、いつかは最後
ゆらり、揺れるはただの花
今に人の世の何すらも
聞こえぬ果てのものになる
声無き声の、その最後
お か あ さ ん こ こ よ
ギンコが庭の石に座って文を読んでいる時、不意にそこに影が差した。見上げると、ギンコより少しばかり若い女が、旅装束を着て立っていた。
「あ、それ、私の文。もしかして、今、届いたばかりですか?」
逆光で顔には影が掛かっていたのに、その笑い顔がはっきりと見えたように錯覚する。何か、あまり嗅ぎ慣れない匂いがして、その女の手を見たとき、それが何の匂いなのかが分かった。絵の具の匂いだ。女の手のひらにも、指にも、取れないほど染みた種々の色。前にあった時は冬の終わりで、手袋をしていたから気付かなかった。
今回の件の依頼主、彼女の曾孫の孫、来孫にあたる女である。名前はトモリ。不思議な響きの名である。
「トモリさん。…あんた、絵師だったのかい?」
「まぁ、そうです。うちは代々『森』の絵を描いて、伝えていくよう言われて育つので、自然にそうなるんですけどね。今じゃそれなり売れるようになって、生活していけてるんだから、感謝してますよ、ご先祖に」
明るい笑みだ。あの青い女とは対照を為すように。化野は、どう思うだろう。関係ないと言って突き放そうとした癖に、今更のようにそう思う。振り切るつもりでギンコは言った。
「にしても、早かったな。ここにいると書いてあんたに文を出したものの、もうちょっとこっちから近付かなきゃダメかと思ってたんだ。早速会うか。そっちにいる。今、医者に、例の怪我を診てもらってるけどな」
そう言った途端に、トモリは笑いを少しだけ引っ込めた。少しばかり青ざめただろうか。表情が薄れると、似ているのがますます分かる。
「…それとも、少しは心の準備がいるか? 身内とは言え、ちょっと普通の姿じゃねぇし、なあ」
「あぁ、すみません。ここまで来ておいて、私、本当に会えると思ってなかったのかもしれない。ちゃんと探してくれるって、信じてるつもりだったのに」
「いや。俺こそ、助かったよ。そんなに何代も前なのに、彼女は随分あんたに似ていたから、確信をもってここまで連れてこれた」
トモリは何故か、ギンコの言った言葉をもう一度聞きたがった。
「似てますか、私」
「あぁ、そっくりだね。…彼女の髪や目を黒くしたら、多分、もっとな」
姉妹に見えるくらい、きっと似て見える。血筋を疑いようのないその姿。ギンコは不躾なくらい、じっと彼女を眺めながら言った。
「…実は、あんたの身内にちょっと世話焼きの主治医が付いちまってな。悪ぃけど、本人に会う前に、その男とちょっと話をしてくれるか? いい医家だってのは俺が保証させてもらうからさ」
「あぁ、はい。お礼も言いたいので、是非」
明日、お教え頂いた里に到着します。と、それだけを書いた彼女からの文をしまいながら、ギンコは中にいる化野に声を掛けた。
「化野。その人に客人だ。けど、会う前に、お前にも事情を話をしてくれるとよ」
ガタン、と中で少々派手な音が聞こえた。薬箱か何かに躓いた音のようだった。名医だと紹介したばかりだというのに、困ったものだと、軽く苦笑が漏れる。
「い…っつ、ちょ、待ってくれ、今…」
「焦らねぇでいい、この人も、彼女と会う前に心の準備がいるそうだ」
からり、と障子が開いたとき、故意なのか無意識なのか、トモリは下を向いていた。室内にちらりと見えた彼女も、まるで鏡に映したように項垂れている。たん、と音を立てて障子が締まる。化野は縁側に膝をついて、患者の家族と今から大事な話をする、そんな風情になってトモリを見ていた。
続
話の方針が決まりました。四話にしてやっとか! 自分で呆れますね。この話はもう今更なので、次になんか連載始める時は、ラストくらい決めてからにしようかと思いますよ! 出来るかどうかわからないけど!
トモリさんは行動力のある女性ですね!
12/09/14
