生 青 花 - sei sei ka -  2






 化野は奥の間に、二組の布団を敷いている。いそいそ、という音でもしてきそうな風情で、嬉しそうな顔を隠しもしない。恨めしくそれを見ていた視線を、ギンコはもう何度目かに庭へと移す。

 庭には女が立っている。身じろぎもせず項垂れて、ぼう、と白い光を放つ姿はどこから見てもまるで幽霊だった。幸いにしてその姿はギンコ以外の誰にも見えていないが、皆に見えたらさぞかし騒ぎになるだろう。

 そこでへらへら笑ってる誰かのせいで、ギンコは腰から力が抜けたようになっていて、立ち上がったとしてもよろよろとしか歩けない。見っとも無いとは知りつつも、四肢をついてなんとか這って、敷かれた寝間へ辿り付き、掛け布団の上にうつ伏せで横になる。

「聞けよ、化野。お前も好きそうな話だぜ?」
「ほう、どんな」

 ギンコが言うと、化野もまた彼の隣で体を伸べて、眠くなったらそのまま寝てもいいように、もそもそと体の上に布団を引っ張る。目が冴えちまうような話さ、と、ギンコは微かに笑って前置いた。


* ** *** ** *


ゆらり、ゆらりと花の中
白い、青い、花の中
揺れて、女は子供をさがす
声無き声で、呼びながら
ゆらり、女は子供をさがす
いつまでたとうと
子供をさがす

やがて、女は花になる
ゆっくりゆっくり、花になる



 それは、どこにでもよくあるような話だ。日が暮れたら、危ないから森に入ってはいけない。どこの里のどの親だって似たようなことをいう。どこの子供だって、たまには羽目を外して、家に帰るのが遅くなる。ただその里では「森」は、普通の森じゃなかった。

 入り込んだ旅人が、稀に姿を消す。子供が入って行ったきり、戻らなくなることがある。そういう「森」だったのだ。目には見えない白い花が、人を喰らう、と、そう噂するものもあった。

 だから親は戻らない子供がいれば、それはもう半狂乱になって探す。両親も近所のものも必死になって、手に手に灯りを持ち森の中を呼び歩く。けれど見つからずに朝になってしまえば、肩を落としてもう探さない。見つからないと、分かっているからだ。森に取られたと、誰もが理解する。

 その日、家に戻らなかったのは幼い子供。その子供を探して親たちが森の中を探した。やがては朝になって、もう駄目だ、森に取られたのだと皆は諦めた。項垂れてそれぞれで家に帰ったのだが、見つからない子供の他にもう一人、家に帰らないものがあった。

 消えた子の母親までが戻らない。ならば母親も森に…。皆は当たり前のようにそう言ってやはり諦めた。

 だが、話はそこでは終わらない。妻子をいっぺんに失ったと、酷く落ち込んだ男の下へ、昼近くになってから子供が戻ってきたのだ。前の日の夕暮れ頃に森で迷い、夜になる前に隣の里へ抜け出て、そこで親切な人の家に泊めて貰ったのだという。

 隣里の大人に連れられて無事に戻った幼い子供に、母親が家に居ない理由をどう告げたらいいか、男は酷く困ったそうだ。


* ** *** ** *


「それで、だ、化野」

 ギンコは布団に横になったまま、自分の話を食い入るように聞いていた医家に、こう言った。案の定眠気などどこかへ飛んでしまっているらしい。

「実は今、その女をここに連れてきている。ちょいと怪我をしてるらしいんで、もう少ししたら診てやってくれないか」
「…な、なんだって? 今の、ただの昔語りじゃないのか?」
「昔語り、というほど古い話じゃない。ほんとにあったのか分からねぇ部類の、御伽噺とは違うってこった。何しろ当の本人がそこにいる」

 ちら、と庭へ視線を投げるギンコを見て。化野は飛び起き、縁側に立って、見える限りのそこら中を見回した。勿論、化野の目に見えるわけが無い。今は、女は殆ど「蟲」なのだ。

「いることにはいるが、お前にゃ見えやせんだろ」

 素っ気無くそう言うと、化野は怒った顔でギンコのところへ戻ってきて。いや、その傍を通り過ぎて行灯に火を入れ、奥の薬棚の前に膝を付く。

「見えんもんを診ろというか、ったく、お前は無茶を言う」
「その無茶を、なんとか出来んかと思ってくれてんだろ?」
「無茶が無茶じゃなくなるようなことを、きっとお前が起こすのだろうと思ってるのさ」

 別に俺が起こすんじゃねぇよ、とギンコは肩をすくめ、だるさに難儀しながら身を起こす。

 今宵は天から零れ落ちてくる月明かりは欠片も無い。新月の夜だ。ギンコはそれを待っていた。だからこそ、今夜ここに辿りつけるように、歩調を考えて歩いてきたのだ。半ば人ならざるものを、こうして道連れにして。

 怪我と聞いたので、化野は傷の手当てに入りそうなものを、あれやこれや整えて、火の気のない囲炉裏の傍にそれを広げる。

「にしても、手当てなら昼間の明るい時の方が…」
「日の下じゃ駄目なんだ。それに、夜ならいつでもいいってわけでもない。…庭を見てな、化野」
「…庭」

 化野は言われた通り、庭の方へと視線をやる。部屋の中から見るだけじゃなく、化野はもう一度縁側に出て、そこで静かに膝を付いた。そうしただけで、初めて訪ねてきた患者を迎え入れるような風情になる。

「名医だね、お前さんは」
「何言ってる。…茶化すな、いつもどおりしてるだけだ」
「いや、安心して診て貰えそうで、ありがたいと思ったんだ」

 思いの他真っ直ぐにそう言われ、また何か一こと言おうとギンコの方を向き掛け…。化野は、己の視野の隅に、白く、ぼう、と光るものをみた。蛍とか、そんな小さなものじゃない。人の形をして、ほんのりと淡い光を放つもの。それが徐々によく見えるようになって…。

「…これは、凄い…」
「凄いとか言うな。失礼だろ?」
「そ、そうか。…しかし」

 青白い着物を着た、青白い肌、青白い髪の女。滲むように光るその髪に、一輪だけ花が挿してある。芙蓉に似た青白い花だった。彼女の髪や肌よりも、青色が少し強く見えた。その姿はまるで、庭の片隅に咲く不思議な花。

「おっと、いかん、生えてくる」
「えっ?」

 ギンコは無理でも立ち上がり、化野の横を擦り抜けて裸足のまま庭に下りると、遠慮も何もなく女の足元に身を屈めた。彼が手を伸べた正にその場所に、する、と白い細い茎のようなものが伸び、その先端には、蕾らしきものが。

 躊躇もせず、ギンコはそれを地面から毟り取る。毟るとその白い植物は、ふっ、と消えて何も残らない。しかしそうこうするうち、またすぐ傍から生える。それをギンコが毟る。また生える、毟る。

「おい、何呆けてんだ、早く彼女を家の中に…!」
「ど、どうやってっ?!」
「手ぇ引くとかすりゃいいだろ。ちょっとコツがいるが、何度かやれば手ぐらい取れる」

 コツ? コツって? 何を言われてるか分からないままで、化野も慌てて庭へと下りてきた。白く光っている女の手を取ろうとしたが、指が擦り抜けて出来ない。それでも諦めず何度か同じ事を繰り返し、ひいやりと冷たい温度がやっと手に触れた。

「こ、こっちへ」

 ギンコもその背中に触れるようにして、優しく丁寧に彼女を歩かせた。

「…歩いて。すぐそこだからな」

 そうしてやっと家に上がって、囲炉裏の横へ座った彼女は、見れば見るほど美しかった。白い肌に白い髪に、うっすらと青色を帯びた睫毛。伏目がちの瞳の色も、透き通る硝子のような淡い青。表情は何もない。それがこの女を余計に「花」のように見せていた。

「ギンコ…」
「あ?」
「この人は…ヒトなのか?」

 隠すように小さな声でそう聞かれ、一瞬なんと答えたものかとギンコは迷う。

「まぁ、辛うじて、な」

 その言葉に反応したのかどうか、女はほんの少しだけ項垂れて、どこか悲しげな顔をしたのだった。












 現代だったらそれじゃ済まないようなことが、蟲師の時代、蟲師の世界だと「この里ではそれが当たり前」なんてこともあったりしますよね。そういう特定の里では、当然、とされてきたことを、覆すような、そんな話を目指しているような気が、たった今、しました。

 この女性を思う誰かがいて、その誰かがギンコに助けを求めた、というような。まあ、まだ決まってないことだらけですが、頑張りますよー。



12/08/18