生 青 花 - sei sei ka -  1






 青白い花を髪に挿した女が、森の中を歩いていた。枯れ草を踏んでも枯れ枝を踏んでも、微かな音すらしなかった。女は項垂れていた顔を上げて、ぼんやりと前を見る。少し離れて歩いている男の背を、その姿を。

 ・・まだ あるくの ?

 声無き声がそう聞いて、男はちらりと振り向いた。白い靄の立ち込めた大気の中で、冴え冴えとさらに白い髪をした男である。名をギンコと名乗った。ムシシなのだという。

「あぁ、歩くんだ」

 すぐに顔を前に向けて、淡々と歩きながら淡々と言う。

「まずこの森を抜けんことには、ちょいと休むことも出来やしねぇよ。いいから黙って歩きなって。別にあんたは疲れやせんだろ」

 俺は疲れるんだけどな、と、肩をすくめて男は笑うのだ。暫し歩いて、もう一度振り向いて、ギンコは付け足すようにぽつりと言った。冷めた言葉に少しばかりぬるい温度が染みた。

「…ま、好きでしてるんだけどな」

 ・・どうして もりを ぬけるの ?

「どうして、ってなぁ…。そのままでいたら、あんたさ…」

 そこまで聞いて、女の足は不意に止まった。風はそよとも吹いていないのに、髪にある花はゆらゆらと揺れている。青白い花と、殆ど同じ肌の色をして、女は呆けた顔をしていた。

 ・・もどる

「駄目だ」

 ・・もどるの

「それはあんたの意思じゃねぇんだよ。いいから歩いてくれ。昼のうちにここを抜けておかねぇと、もう取り返しがつかねえって。さぁ」

 ギンコは数歩戻って片手を伸ばし、女の細い手首を掴んだ。氷のように冷えていて、掴んだ途端に魂まで凍り付きそうだと思ったが、それでも離さずに自分の方へと引いた。

 ・・もどる もどるの いかないわ

「…なら、あんたこのまま蟲になっちまうぞ、いいのか?」

 ・・・・いや

「だろう。だから歩くんだ。あんたに憑いてる蟲が抗うだろうが、堪えて進んでくれ。森を抜けたら一時足を止められる。少しは休めるよ。な」

 虚ろだった女の目に、ほんの一瞬だけ「心」のようなものが揺らいだ。でもその温かな色はすぐに失われ、ぼんやりとギンコの手を見た。彼女にきつく握られ、爪を立てられて、指先の色が失せているギンコの手を。

 ・・わたし なに ?

「…あんたはただの女だよ」

 女だったものだ。昔、昔のことになるかも知れんが、この森の向こうに、ずっと以前にあった小さな里に、普通に夫と赤子を持って、生きていた女だ。だけど今は、違うもの。異なるもの。人の中から外れたものだ。

 女の髪で、青白い花が揺れた。夢のように美しく、幻のように儚く揺れていた。




「どこにいる、化野、蔵か?」

 もう夕暮れを過ぎ暮れていく頃合に、ギンコは化野の家を訪れた。縁側から覗く家の中には姿が見えず、出掛けている様子もなかったから、自然に足は蔵へと向く。

「…おい、探しもんか、いるなら返事を」
「あ、あぁ…ギンコ…?」

 やっと声が聞こえて、もう闇色の滲んでいる蔵の中を、ギンコは扉を開いてあった入口から見た。奥からごそりと音がして、まだ若い医家がギンコの前に出てくる。

「何してたんだ? こんな暗くなる時分に。蔵の中じゃ灯りがなきゃ何も見えないだろうが」
「い、いやぁ…その。お前、俺に文をくれたよな。そろそろ来る頃かと思って、ここ最近買ったものを取り出しとこうと思ったんだ。あぶなくないか、一つずつ見てもらうことなってただろ?」
「……やばそうなもんを買ったってか。ったく、懲りねぇな」

 大袈裟なほどの溜息をついて、ギンコは白髪を片手で掻いた。

「まぁ、いいよ。見てやるさ。俺の方もお前に見て欲しいもんがあるしな」
「何、ギンコが俺に…? おい、またどこか怪我とか、そういうんじゃないだろうな!?」

 腹の傷を診て貰い、それがすっかり治ったのは最近のことだ。険しい顔をされても仕方ない。そうじゃねぇよ、と苦笑しながら、こちらの話は後回しにして、蔵へと踏み入った。

「で、どれだ。どんな口上を聞いて買い取った? その時の話も覚えてるだけ全部聞かせろ、あだし…。ん…っ」
 
 前へと踏み出した途端に、片腕をぐいと引かれた。足元にある何かに躓いて、重心がずれたところを抱き止められ、怒る間もなく口を吸われる。驚きはしたが、別に意外でも何でもない。化野には、隙の見せられねぇ一面もあるのだ。

「お…、いっ、やめ…」
「生憎、嫌がられて止まれる心境じゃなくてな。お前、顔色が酷く悪いぞ。過労で倒れる寸前って感じに見えなくも無い。こっちの品の検分は明日でもいいから、今日のとこは体温めてもう寝ちまえ。手伝ってやる」
「て、手伝うって、お前、何…っ」

 よせ、と言ったはずの言葉は、言葉になっていたかどうか。そんなことをしている場合でも場所でもないのに、既に三割囚われている。本当に、侮れねぇんだ、この男は。

 暫し、湿り気を帯びた空気が蔵に満ちる。濡れた声と濡れたような音、実際に滴り、伝い、そして弾けたのだ。冗談じゃねぇよ、と思う。膝立ちで後ろからあちこちいじられ、体をそらして喘いで放って。

「ひぁ…っ、あぁッ!」

 その雫がどこへ飛んだか、どこを汚したか、気にしながらも逃げられない。

「は…、あ…、ぅう…」
「膝、痛くないか、ギンコ」
「ばか、そんな…気にするくらいだったら…っ」
「やめろとか言うのは却下だぞ、ギンコ。繋がる前に姿勢を選ぶくらいのことは、させてやると言っている」

 化野の指が、舌が、今どこを弄ってるか、とうに暗がりになった蔵の中でも、生々しいほど分かる。目を閉じていても分かるから、逆に夜目の利く目を見開いていた。満足そうに笑んでいる化野の顔は、案外嫌いじゃなくて、今の今ではそれが業腹だった。

 そして、四半時ほど後に、ギンコはべしり、と化野の額を打つ。打ちはしたものの、それで力尽きて、裸の腰を床に付いたまま、ぐったりと背の高い棚に寄りかかる。

「この、ケダモノが…」
「おいおい、そこまで言うか?」

 別に怒ったふうもなく化野は言って、丁寧にギンコを立ち上がらせて肩を貸す。縁側から家に上げてもらって、蔵に置き去りの木箱も持ってきてもらい、それを脇に置いてようやくギンコは息をついた。

「…くそ。話してぇことがあったのに」
「明日でいいんだろう?」
「急ぐことだから言ってるんだ。この馬鹿…」

 罵りながら、ギンコはまだ雨戸を締めていない縁側の外へ目をやった。ギンコには見え、化野には見えていないものが、庭先にぼんやりと立っている。

 青白い花を髪に挿し、薄水色の着物を着た女であった。








 ギンコが美人をつれて化野のとこにくる話。これからどうなるのかはまだ決めてませんっ。これから考えます。わーい♪


12/08/12